ビジネススクールを卒業して、学校の理事長へ。教育の世界に一歩を踏み出したワケ。- Part.1若い×民間企業出身×父の一言
みなさま、はじめまして。学校法人 高木学園の理事長、高木暁子と申します。横浜市港北区で、私立の女子高等学校「英理女子学院高等学校」と認定こども園「高木学園附属幼稚園」を経営しています。
り、理事長?!若い
たいてい、こう言って初対面の方にお会いしたりすると、100%の方がおっしゃいます。
「り、理事長ですか?(しばし沈黙)随分お若いんですね。」
みなさんがそうおっしゃるのも無理はありません。だいたい"学校の理事長先生"と聞いてイメージされるのは、永年学校の先生~校長先生などをつとめられたのちに理事長をされている大ベテランの先生や、企業の重役などをされた後に理事長に就任された方などではないでしょうか。
私のように女性×若い理事長は、非常に珍しい。
とはいえ、実はもう10年以上も学校の理事長を務めています。(就任当時は、どれだけ若かったんだ!という話ですね。よく「どこかの学校の理事長先生の助手の方」と間違われました・・・笑)
り、理事長、民間企業出身!
しかも、学校で仕事をする直前は、私はビジネススクールの学生でした。イギリスのLondon Business Schoolで経営学修士(M.B.A.)の学位をとるために留学していました。
ビジネススクールに留学する以前は、(新卒で)トヨタ自動車→日本ロレアルという企業でマーケティングの仕事に携わっていました。(こんな経歴の理事長って、本当に稀、です。)
民間企業→ビジネススクール留学~卒業となると、その先のキャリアは外資系コンサルティングファーム勤務とか、外資系金融機関勤務・・・となりそうです。(実際、同級生の多くはそのようなキャリアを歩んでいます。)私自身も外資系のコンサルティングファームでインターンさせて頂き、内定をいただいていました。
やれやれ、これで、留学にかかった莫大な費用も何とか返せる(当時はポンドが最高値をつけていて、私費留学の私には本当にキツかったんです・・・)と思ったのもつかの間・・・。
「学校が創立100周年だから、手伝ってくれ!」
卒業を間近に控えた私に、父がこんなことを言い始めました。
ひいおばあちゃん、学校を創る
実は、私の実家は学校を経営していました。
・・・という「実家」もなかなか(いや、相当・・・)珍しい。
何となくは認識していたんです。
ひいおばあちゃんが、自力で学校を創ったこと。それも、15歳のときに、慶應義塾創立者の福澤諭吉先生の講演(@横浜開港記念会館)を直接聞いて、
「女性もこれからは学問よ!そのための学校が必要だから・・・私が創る!」
と謎の(?!)固い決意をしたらしいこと。
そして、サラリーマンだった父が、50代になってから、祖父の後を継いで、理事長に就任していたこと。
ですが、私自身は、その学校の仕事をするつもりは全くなく、大学卒業→就職→転職→海外留学と自分の人生を歩んでいました。
そして、いざコンサルティングファームに就職か・・・というタイミングでの父の一言でした。
「学校法人 高木学園が、2008年に創立100周年を迎える(しかも、何というべきか、私がビジネススクールを卒業したのも2008年だったのです・・・)ので、手伝って欲しい」
この時の衝撃たるや・・・
民間企業で生きてきて、ビジネススクールに留学した私は、当然その後もビジネスの世界で仕事をしていくと信じていました。
どうする、私?!
これって、確実に人生の「わかれ道」だよね?
という状況で、当時の私が下した決断は
「1年間、学校で100周年の手伝いをする」
ということでした。
そんなに簡単に決断できたのか??? もちろん、Noです。非常にいろいろな葛藤がありました。それでも、「やってみようか」という決断をした、その理由については次の投稿で詳しく触れたいと思います。
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