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烏滸がましい妄想

水羊羹が一年中あればいいという人もいますが、私はそうは思いません。水羊羹は冷し中華やアイスクリームとは違います。新茶の出る頃から店にならび、うちわを仕舞う頃にはひっそりと姿を消す、その短い命がいいのです。

向田邦子 "水羊羹" 「眠る盃」より


私は水ようかんが大好きだ。


20代の頃までは洋菓子派だったのが、年齢を重ねるにつれ、段々和菓子が美味しく感じるようになり、中でも水ようかんは大好物。現代人の特権、夏の水ようかんも大好きだし、黒糖の香りと味が優しい、福井方式の冬に「炬燵で水ようかん」も大好きだ。

夏に水ようかんを食べる時、私はいつも脳内で密かに、「江戸時代ごっこ」を楽しんでいる。お江戸は今日も蒸し暑いけれど、アイスクリームも無い、ソーダも無い、冷蔵庫も無い時代。ひんやりした水ようかんをひと匙すくって食べる。ああ、冷たい。甘い。至福。。。といった具合に、脳内で江戸時代にタイムスリップしたつもりで食べると、美味しさ数倍。

上記の妄想は、突っ込みどころ満載だ。そもそも、江戸時代、夏に水ようかんをどうやって冷やしたのか?川で?氷で?? 諸説あるが、水分の多い水ようかんは痛みやすく、江戸時代には冬に食べられていたという説が濃厚だ。そして、農村出身のあきこさんは、江戸時代でも、どう考えても農民。仮に川や氷で冷やしたとしても、絶対にあきこさんの口には入らない。


でも、そんなことはどうでもいい。水出しの緑茶に合わせて、苦⇄甘の反復横飛びを楽しんだり、温かいコーヒーと合わせて、甘⇄苦 × 温⇄冷という立体的な落差を楽しむ。そして、気持ちは江戸時代にタイムスリップしている。ほんの数分の短い時間だが、普段の生活から離れて、誰にも邪魔されない私だけの時間を味わうことができる。

この、「○○になったつもりでやってみる」という妄想技は、あきこさんの生活の色んな場面で力を発揮する。あきこさんは、娘が保育園時代に不登校(不登園と言うのか?)状態となり、回復期に所謂「付き添い登園」をしていた時期が一年半ほどあった。園長先生の計らいで、園内に「あきこさんのお部屋」をご用意いただいた時期もあった。

本来、母子分離を前提とした、保育/教育現場に、子供がいる間ずっと家に帰らず同じ施設内で待機の状態で過ごす付き添い登校は、(付き添う大人側が)大変。その消耗具合については、「暮らしの手帖」5世紀29号の「みらいめがね」に荻上チキさんがとても分かりやすく書いてくださっているので、興味のある方は読んでいただきたい。我が子が少しでも安心して集団の経験をできるようにと、他の選択肢が殆ど無く、追い詰められた状態で、苦肉の策として行う事が多いと思う。我が家も、完全不登校状態からの回復期に、他に打つ手無く、必死で行なっていた。

長い付き添い期間は、「おもしろがり屋」のあきこさんでも、心が折れそうになることが何度もあった。私の方が疲れてしまい、ママ都合での欠席もままあることだった。そんな中、烏滸がましいのは重々承知だが、私は皇后雅子さまの存在にいつも助けられていた。

報道を通してしか情報を得られないので、何が本当かは分からないが、それでも、一年半以上の期間、学習院に付き添い登校されたと報道されている雅子さま。同じ付き添い登校でも、あきこさんは、日によってものすごく変な洋服を着ていたり、左右の眉がチグハグだったりしても、許される。誰も気にしない。子供が活動している間は別室で持参した発達障害に関する専門書をマイペースに読んで過ごすこともできる。

だけど、雅子さまはどうだろう。装いはもちろん、所作の一つひとつが注目されてしまうし、読んでいる本ひとつをとっても、メディアのネタにされてしまう。(あきこさんは保育園の待機部屋でエレイン・N・アーロン博士の本を読みながら、きっと雅子さまも、メディアの目に触れない場所で読まれていたのでは、とまた勝手に妄想していた。)一般人の何倍もご負担の大きい中で、愛子さまに寄り添い、繊細な我が子のために最善と思われる行動をなさる勇気を想像しただけでも、涙が出てしまう。

烏滸がましいことは重々承知しているが、私は娘の付き添い登園をしていて心が折れそうな時、「雅子さまだったらこんな時、どのようにお考えになり、どのように行動されるだろうか?」と脳内で妄想することで、逃げ出したい状況の中でも、一瞬立ち止まって背筋を伸ばす事ができた。いつの日か、雅子さまが、あの頃についてご自身の言葉でお話しになる時が来たら、きっと沢山の母達を勇気づけるだろうとまた妄想を広げるあきこさんだ。



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