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はじめてのなつやすみ

 8月も終わりですね。お元気ですか?


 私は、娘が小学校に上がって、初めての夏休みでした。我が家は幼稚園の在園経験が無く、就学まで保育園を利用していたので、娘にとっても、母親としての私にとっても、初めての夏休み体験でした。

 夏休みが始まる前は子供と過ごす初めての長期休暇、40日以上、毎日ずっと一緒に過ごすイメージが中々湧かず、また、ここ数年は娘が夏に調子を崩しがちだったので、戦々恐々とした気持ちでした。実際に過ごしてみると。。。集団に難儀しがちで行き渋るタイプの子供だからなのか、学校というプレッシャーの無い日々は予想外に穏やかに過ぎて行きました。子供も元気╰(*´︶`*)╯♡


 私の実家に一緒に長期で帰省して、同年代の従兄弟達と一緒に田んぼの真ん中でワチャワチャ過ごしたり、普段できないお出かけや色々な体験ごとも、親子で一緒にゆとりを持って挑戦することができました。また、自宅に戻ってからは、半日×週2のデイと週1×1時間の習いごとに渋らず通えた(これは私にとって、嬉しい驚きでした)ので、短くても子供と離れる時間を定期的に・見通しどおりに持つことができました。なので、夏休みが始まる前に恐れていた親子関係の「逃げ場の無い息苦しさ」を感じることもあまり無く、「夏休みって、良いものだなぁ」としみじみ感じています。


 娘も1学期は緊張の連続だったと思うので、頑張った後には、「休む」期間がまとまってやって来て、自由に過ごしたり、いつもと違うお楽しみもあるんだなぁという経験が出来ていたらいいな、なんて考えたりしています。


 我が家は昨年引越しをし、現自治体のプロセスで就学相談を受けて情緒の特別支援固定級という形での就学を選択しました。今は特性に応じた支援をいただいている、という部分の寄与が大きいのかもしれませんが、保育園に比べて小学校の方が子供に対して「優しいなぁ」と感じることが多くあります。

 例えば、小学校の「時間割」システムの見通しの立ち易さ。その日に大体何が起こるかは予め決まっており、それぞれに「始まり」と「終わり」も分かり易く、子供にも分かる形で提示されています。保育園では自由遊びが中心で、区切りが曖昧な長い時間をお友達との関係性を主軸に過ごすことが求められていました。

(だからと言って我が家の場合は、子供自身が今はまだ、学校の「決められたスケジュール」の全てを受け入れることは出来ないので、毎日事前に時間割を見て話し合い、選択的に登校・授業参加をしています。)

 例えば、整然として構造化された教室に「あなたはいつもここに居ていいよ」という「自席」があり、十分なパーソナルスペースも確保されていること。娘が通っていた保育園は厚生労働省の規格を全て満たした上に、広い園庭と畑(!)まである、近隣の保育園と比べてもかなり「恵まれた環境」と言われることが多かったですが、それでも外に出られないような日には、狭い教室にギュウギュウ詰めで、いつもザワザワ大きな音も鳴り響いていました。


 そして、決定的だと私が思うのが、集団活動の時間の長さ。小学校は1年生だとフルで参加しても、精々6時間程度ですが、保育園は11時間保育を基本とする長時間の枠組みで、必須のお昼寝も付いてきます。

 感覚の過敏さをはじめとする様々な感じ取りやすさを特性として持ち、故に疲れ易い我が子にとっては、保育園は厳しい環境だったなぁ、と、小学校での生活を経験し始めた今ならよく分かります。

 一方で、このような私自身の感じ方は、一般的に「小学校」に対して語られていることとは大きなズレがあり、一般的な保育・教育システムに適応できているご家庭から見ると、あまり共感できないのでは、とも感じています。もし、我が家も、11時間保育の仕組み・環境に適応でき、大人の就労と子供の健やかな育ちを両立しながら小学校入学を迎えていたら、きっと、小学校のシステムを(大人からの目線で)「厳しいなぁ」だと感じていたのだろうと思います。

 この感じ方の「ズレ」は日々の色々な場面で顔を見せ、「みんなとは違うんだなぁ」という孤独を感じることもあるけれど、自分ならではの視点でもあると思うので、大切にして、「みんなはこうだから」ではなく「自分達はどのような暮らしをしていきたいのか」をしっかり考えていきたいとも思っています。

 丁度3年前、我が家では、子供は保育園への登園を激しく拒み、同時に睡眠障害を伴う様々な不適応行動で苦しさを訴えていました。私は「終の住処」と思っていた仕事を休職を経て退職しました。大人の側からの文脈から見ると、「特性と環境の不一致から、子供が保育園に通えなくなり、仕事を辞めざるを得なくなった」という言い方になると思います。

 でも、今振り返って感じていることとしては、「(親の就労を保証する一般的な方法である)11時間の集団保育の枠組みに馴染める子供もいれば、そうでない子供もいて当然。我が子は適応できないタイプだったのに、私は途中まで無理強いをしていたのかな」という捉え方もできると思っています。

 一方で、我が子の健やかな育ちと経済との整合性をどう取るのか? という課題については、まだ答えが出ていません。ここまで3年間ほど、子供との関係性構築や環境を整えることに集中できたのは、3歳台まで元気に保育園に通ってもらい、自分も好きな仕事をしながら贅沢をせずに暮らせたために幾許かの蓄えが出来ていたことが大きいと思います。

 また、退職の前に休職という選択肢をいただくことができ、経済的にも気持ちの整理の面でも助けていただいた、という背景も大きいです。休職前は「子供の特徴と社会システムの不整合から、仕事を諦めなくてはならない自分が可愛そう」と感じていましたが、退職時点では「自分自身の就労と子供のケアを両立できる人もいるけど、今の我が家の状況・自分自身の性格やスキルでは難しい」という現実を受け入れることができたし「子育て(特に子供との関係性構築と就学後の環境探し)に手を掛けるべきは(子供がそれを求めている)[いま]しかない。今、やりたい。」と、私なりの前向きなものに変化していました。


 実は夏休み中に、これまでは母子で遊びに行っていた近所の児童館に、子供が自らの意志で、自分一人で遊びに行くという出来事がありました。3年前の母子分離不安の状況からは想像できなかったこと。きっと、ここからも、くっついたり離れたりを繰り返しながら、でも、焦らなければ、この子はあと数年でしっかり離れていくのだろうな、という見通しが少し濃くなった出来事でした。


 急性期の混乱から3年間が経ち、少しずつ自分自身のことにも目が向けられるようになってきたので、今後長い視点でどうやってパンを得ていくか、ということについては焦らず、諦めずに模索していきたいと思います。40代は粘り腰でいきたい(๑╹ω╹๑ )

 
 と、途中から夏休みと関係無く、長文で重めの話になってしまいましたが、今年の夏休みは良い時間を過ごすことができたので、忘れないようにここに書き残しました。残り1週間も心置きなく楽しみながら、新学期への心積もりもしていきたいと思います( ´ ▽ ` )

 

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