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”色眼鏡”が可視化された体験。母親との関係が変わった時。

よく、
『人はそれぞれ独自の色眼鏡をかけていて、それを通して物事を見ている』って言います。
フィルター、という言葉を使うこともありますね。

この”色眼鏡””フィルター”を物理的に見た体験があります。


母と共依存状態だった頃

私は27歳ぐらいまで、母と感情的に共依存状態でした。
母の感情と自分の感情の区別がごちゃごちゃで、常に「母になんて思われるか」を気にしていました。当時はそんな自覚はありませんでしたが、たとえば洋服を買うのでも『これを買ったら、また母に文句言われそう』と思ってやめたり。もう何年も別々に住んでいても、そういう言葉とともに、頭の中に母が浮かんできていました。

それなのに、私の敵は父で、母だけは私を理解してくれて、保護してくれている。母は味方だ。そう思っていました。


少しずつ母と距離ができ始める

ですが、ヒプノセラピーをきっかけに自分の心の奥を覗いていくと、少しずつ母と心理的な距離ができ始めました。
『あれ?母は味方だと思ってたし、母は私を傷つけたりなんてしてなかったと思ってたけど、実は全然違ったの?』『実はお母さんは、たくさん私に八つ当たりをしてきていて、私はお母さんに深く傷つけられたきてたの?』

最初は受け入れがたかったですが、過去を振り返るほどに、実は母に相当たくさんいいように”吸われて”きていたんだということが分かってきました。
でも、まだ『お母さんはそんな人じゃない、そんなはずがない』と、母への期待が捨てきれずにもいました。

それがある時決定的に母と感情的に自立する方向へ進み始めたのですが、きっかけは、父親との和解でした。

本田健さんのリードによる父との和解のプロセスワークや、その後実際に父と会って関係が変わるにつれて、『もしかしたら父は、母が言うようなただの暴君ではないのかもしれない』と思うようになりました。
父に愛されていた自分、父のことを大好きだと思う自分を取り戻してゆくにつれて、母からの洗脳が溶けてゆく感じがしました。

そんな中、私の心が離れてゆくのを感知した母が、めちゃくちゃに叫んでキレて向こうから私を拒絶したり、という過程もありました。
その後はまたつかず離れずの距離を保ちつつ、私は私で、本田健さんの奥様のジュリアさんの講座に参加したりして、自分の内面の癒しに取り組んでいました。


色眼鏡、フィルター可視化の瞬間と、母との癒着が切れた瞬間

そして42歳の時、母にこれまで母にされて辛かったことを正面から伝えてみました。
これはしたことがあるようで、実はこれまでなかったことでした。
無理やり行かされていたそろばん塾をサボったのがバレた時、バドミントンのラケットでめちゃくちゃに打擲されたこと。
私が小学校1年生で誘拐未遂に遭った時、それを母に告げたら「なんでもっと早く言わないの!!」と怒鳴ったこと。学童からの帰りに被害に遭ったのに、母が仕事を休まなかったので、その後も変わらず私は学童に行かなければならないのが辛かったこと。それを辛いと言わせてもらえなかったのも、とても辛く厳しかったこと。
私が妹をぶったり、怒鳴ったりしているのを、いつからか全く止めてくれなかったこと。
友達とのトラブルを相談しても「明子が悪いんじゃないの」と言われたこと。

それらを切々と伝えても、「そんなことした?」「覚えてない」「そういう経験があったとしても、明子みたいにそんなグジャグジャ悩んだり、体調崩さずに生きてる人はいっぱいいるんじゃないの?」「あなたこそ、カウンセリングが必要では?」「私だって辛くて首を吊ろうと思ったことがある」と、全く響いていませんでした。

その様子を見ていたら『ああ。この人は、もう本当に分からないんだ。ダメなんだ。分からないんだ。絶対に無理なんだ』ということが突然理解できました。その事実にもう降参するしかない。

ガーンという衝撃があり、次の瞬間、急に目の前に分厚く少しくすんだビニールの幕が現れました。役所の窓口にあるような、あれです。実際に、前に座っている母の姿がぼんやりと見えなくなりました。
『なんだ?!見えない!これ邪魔!!どいて!』と思ったら、そのビニールが突然崩れ落ち、目の前に初めて見る初老の女性がいました。

『・・・え?これ誰?もしかしてこのおばあさんが、私のお母さん?!』『私のお母さんって、ただのおばあさんなんだな?!!』という大きな衝撃がやってきました。

衝撃の後に、ものすごい空虚感がやってきました。本当に胸に暗い大きな穴を感じました。
私は、ビニールの幕が崩れ落ちたあの時に、”いつか私がどうしても手に入れたかった、子供時代を完璧にやり直させてくれるかもしれない幻想のお母さん”を失ったのです。
あの瞬間までずっとずっと追いかけて、焦がれて求めてやまなかった、”幻想の母”を完全に失いました。
そのことによる空虚感でした。

初めての感情と感覚に戸惑う

数日後、その空虚感に雪崩れ込むように母への憐れみの気持ちが唐突に湧いてきました。

この人は、こんなにも心が分からず、痛みが分からないんだ。誰とも本当の意味で繋がれず、自分の痛みを癒すことも出来ず、痛みでいっぱいのままなんだ。そのまま老いてゆくなんて、なんて辛く寂しい、救いのない人生なんだろう。なんて一人ぼっちで頑張ってきた人生なんだろう。なんて可哀想なんだろう。

自分が母に対してそんな気持ちを感じることにかなり戸惑いましたが、でもこの憐れみや慈しみが空虚感を埋めていってくれました。同情とは違い、母自身がまだ全然感じていない母の痛みを、私が全身で感じている感覚でした。
それからは特に何をしたというわけでもないのですが、幻想という幕が取り払われた状態で、少しずつ母との接触が増えることで、自然と母との関係が再構築されて行きました。
そうしたら面白いことに、母の方から「子供の時にしてあげられなかったから」と、色々としてくれるようになっていました。旅行に連れていってくれたり、あれこれお店に入っては「これ欲しい?買ってあげようか?」と色々と買ってくれようとする。
妹があれこれとモノをねだる子供で、それに対して母がものすごい剣幕で怒っているのをちょくちょく見ていました。私は元々そんなにモノが欲しいタイプでもないのですが、母がそれを喜ぶので、ことさらに物欲が薄く見えるように振る舞っていたと思います。
旅先の素敵なものを買ってもらえることは単純に嬉しいですが、”明子の子供時代を取り戻してあげたい”という母の思いが何より嬉しい。

幻想の母を失い癒着が切れたことで、等身大の母との気楽で日常的な関係が始まり、かつ時々は子供時代をやり直させてくれるようになりました。


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