ヴェーユとバタイユ

 父の蔵書だったのか、あるいは兄のであったのか、ずっと、なんとなく気になっていた背表紙の本があり、それがシモーヌ・ヴェーユ『ギリシアの泉』という本だった。その本をまだほとんど開いて読みもしていなかったが、その人のこと、その人の思想が私にとって重要なものであることが何故となくわかった。卒業論文のテーマを決める頃だから、学部の3年の終わり頃だったのだろうか、自分の卒業論文のテーマは、やはりこの人なのだろうと思った。それと同時に、論文を書くためには、なにかが足りていないということもわかった。4年になりいくつかの授業を受けているうちに、G.バタイユという人の思想や作品に触れる機会があった。自分のなかで何か心動かされるものがあった。卒業論文のテーマは、シモーヌ・ヴェーユと、このG.バタイユ、対称的な二人の思想家を付き合わせることで書こうと、道筋が見えた。そこに、ギリシアに始まりキリスト教と共に深まりすべてを飲み込みながら円熟してきたヨーロッパの長い思想の歴史のひとつの結末が見えるのではないかと、そんな野望とも云える大きなテーマを見たのだった。
 そんな構想がはっきり見えてきたが、その野望とも、無謀ともいえる大きなテーマはとても4年生の残りの時間、また他の勉強の合間に書けるとは思えず、親に頼んで在学を一年延ばしてもらい、その一年をおもにその研究と論文の執筆にあてた。
そうして書いたのがこの論文、『シモーヌ・ヴェーユとG.バタイユ ~最後の殉教者から始原の哲学者へ~』である。第一部、第二部でそれぞれの思想の特徴と全体像をできうる限り捉え、そして第三部でいくつかの彼らに共通する思想的なテーマにおいて二人の思想の対称性を照らし合わせるという作業を行い、最後に、二人の一見して対称的な、いうなれば究極の神と対峙する世界と無神のそれというような相反する思想を円環として捉えたときに、彼らに通ずる接点のようなものは在るのか、無いのか、そんな一点を探ることで論文の結語へと導くというような、そんな論文となった。
 大戦間期の同時代のなかを生き、二人には共通する思想的なテーマはいくつも見られた。ことに政治に関しては、結論的に似かようのではないかという論点がいくつも見られた。
宗教に関しては、述べたように全く相反する、相容れない世界観なのだが、ただ、例えばヴェーユの徹底した神の思想を突き詰めたときに、それはもはや神がいるといえるのだろうか、そんなニヒリズムにも似た相貌を見せるときが時としてあるのだ。
バタイユの師はニーチェであり、その無神論的世界の見え方ををヘーゲルの手法で叙述していくというのがバタイユの数々の論考の基本スタイルであったと言えるのだろう。扱う事柄と手法のミスマッチがそこにはあっただろうが、それでしか捉えられない歴史と世界の在り様の面白さと説得力がバタイユの思想の魅力であると思う。そして、彼の若い頃の、見るからに死にとり憑かれたような翳りに満ち充ちた写真と、戦後思想を深め年を重ねてからのそれを見比べたときに、この人ほど自分の思想で自らを救った人はいないのではないだろうかと、そんなことを思ったりしていた。
 二人の思想の接点を見いだすことで、私は何をしたかったのだろうか。そのことは今になってもはっきりと言語化できていない。
ただ、彼らの思想のブラックホールのようなものを発き出すことによって、その先の生を照らし出す道筋を、光を、見いだしたかったものと思われる。
「乾いた明晰さがそこでは聖なるものの感情と重なる」(Bataille, La part maudite)、そのような一点から射す光に照らし出された道筋を。

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