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節目のマラソン大会

そっか、最後の大会に出てからまもなく1年が経つのだなと思い、ランニング、マラソン大会について書いてみようと思う。

まだ20代の頃、休みは決まって友人と福岡のカフェを巡ったりしていた。

その時は大濠公園のスタバをチョイスし、いつものおしゃべりに花を咲かせていた。

ふっと、こんなにも「走っている人」っているんだなぁ..と思った。

ヨガは好きだったけど、運動大嫌いで生きてきた私には無縁の、「走る」という行為。

でも..なんか、走ってみたいかも、私も。

そう思い立ってから、次の休みには、自分の持ち合わせている普通のスニーカーで、もうギブと思えるまで走ってみようと、走ってみた。

すると、20分も走れていた。
距離は分からない。

でも、20分走れた自分に驚いたし、あれ、練習すればもっと走れるようになるのでは?と思った。

ひとまずシューズを買おうと、次の休みにはNIKEのアウトレットでスニーカーを選んでいた。

そこが始まりの私のランニング。

走った後、キツイけど、爽快感を感じ、自分の自信にもなっていった。

これ、本格的にできるかもと思ってからは、ウエアや帽子、NIKEのアプリなんかも取って、練習を重ねた。

大濠公園に一緒に行った友人も興味を示してくれていたので、地元のマラソンにエントリーしない?と誘って、いいよ、と返事をもらった。

エントリー開始すぐにアクセスして無事にエントリー完了した私。

友人からいつ連絡来るかな?と思ったら、数日後、ごめーん、エントリー締め切ってた、とのこと。

仕方がない、走るのは結局1人だ、そう思って、10キロを走る初の大会に挑んだ。

ドキドキした。
だって、結局走れて40分くらいしかできなかった練習。

その時点で約7キロほど。

残り3キロ残しで挑む大会で走り切れるのだろうか?と不安でいっぱいだった。

しかしながら、参加してみると、会社の上司が奥様の応援に家族で来られていたり、数人知ってる人に会ったことを記憶している。

スタートから、前方でものすごい盛り上がりのあるファシ。

もうやるっきゃないと走り出すと、2キロから5キロくらいまではランナーズハイ。

7キロ抜けて、周りもヘトヘトメンバー。

私をを追い抜いていく、腰の曲がったお爺さんやお婆さん。

そして、周りの声援はとてもあたたかかった。

行きつけの薬局の奥様、花屋さんの奥様など、私に気付いて、がんばってーー!の声援。

最後のコーナー付近では、上司がおり、「⚪︎⚪︎、がんばれー!」と応援してもらい、お婆さん状態で泣きながらゴールを迎えた私。

感動した。
自分に感動。大きな自信。達成感。

そこから近くのマラソン大会にエントリーする年が続き、30歳を迎えた時に、この節目に何か大きなことを成し遂げたいと思った私は、

ホノルルマラソンでフルを走りたい

そう思い、当時の同僚を誘って、年1の長期休暇をそこに合わせて、フルマラソンにチャレンジした。

朝5時から始まるこの大会。

ドキドキして寝られたような寝られてないような。

スタート後は人も多く、走れる状況ではなかったのもあって、ほとんどしゃべって歩いていた私たち。

そこから少しずつ走れるようになったものの、トイレ休憩やら、しゃべり休憩やらしながら、なんとか進んでいった。

30キロ地点になると、あと10キロやん!という変な思考になっていた。

そこから、8時間は切ろう、と目標を定め、上り坂は走れないけど、下りは絶対走ろうと決め、ほぼ走り続け、ゴールが見えてきた。

またしても感動で泣きながらのゴール!

8時間を3分切った!
(いやいや、遅すぎでしょ、でも成し遂げることがテーマだし!)

ゴール後、木陰で休んだり写真を撮ったりしていたら、次に立ち上がった時に、自分の足が、ものすごく変な感覚で、筋肉痛とも違う、骨がずれてるのでは?と思うような感じになった。

さっきまで走れていたのに、今はもう歩くのも普通に歩けない..!

それはそれはゾンビで笑いが止まらなくなった。

そして迎えた40歳の年。

30歳でフルやったんだから、結婚して子供が産まれて環境が変わった30代を過ごした私でも、全然練習できる時間なんてないけど、チャレンジするとしたら、やはりまた最初に参加した地元開催のマラソンだろうと、主人を誘ってエントリーした。

10月エントリーのあと、11月良性腫瘍発覚からの、年明け入院手術を経て、3月に10キロマラソン。

ただでさえ練習できなかったのに、入院生活で余計に練習不足。

両親に子供と沿道で応援してもらうようにし、無事に10キロ走り終えた私。

泣かなかった。

だって10キロでしょ?の私。
それよりもゴールが遠くてたまらなかった。
でも、最後球場のトラックに入ってきた辺りから、最後の力を振り絞って、ダッシュをかけられた私。

まだまだいけるやん。

またまた2から4キロくらいまでは、ランナーズハイ、しかしその後は昔走っていたのとは比べ物にならないほど重い体。

しかしながら今回も、沿道の声援、周りの被り物をしたランナーや、スーツ革靴で走るサラリーマンランナーに勇気づけられ、なんとかゴールできた。

サラリーマンに至っては、待って、やめて、笑わせないで、と笑いを堪えて走って余計キツくなった..!しかも私を追い抜いていくという、そのスタイルで走る人より遅い私、にも笑えた。

親にも子供にも、頑張っている姿は見せられたかな?と昔に走っていた頃とは違う感情になっていたが、どんな思いだとしても、やり抜くことには達成感と自信がつくものである。

それからもうすぐで1年が経とうとしている。

次なる野望は..。

60歳でホノルルマラソンのフルに再挑戦!

いけるかな。どうかな。

もう走るを趣味にはちょっと出来そうになく、今はちょこちょこやっている姿勢改善の運動へとシフトしたが、このまま元気な私でいられるのであれば、60歳チャレンジ、してみたいなという思いがある。

50歳は、今のところ考えは思い浮かばない。

節目節目をマラソン大会で過ごしてきた私。

節目にチャレンジ、悪く無いな、いや、なかなかイケてる人生の歩みじゃないかと思っている。

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