本音に気づく時
友人に「カレー好きだよね。いつも頼んでいるよね。」と言われた時、私は本当に好きなのかよくわかりませんでした。
私が外食をしてカレーを注文するのは、早く出てきて、食べるのにも失敗が少なさそうで、奢ってくれそうでも値段が高額でないからといった理由からだったからです。
何年か経過して、外食する機会が激減した頃のこと。何も考えずにカレーライスを食べた時に、とても美味しく感じました。
友人が言ったことは本当だったのだと初めて気づきました。
私はなかなか、自分の本音にうといのです。
一度時間を置くと気づく好きもあります。
色んなスポーツを楽しみつつも、野球の試合を見ると、面白いな、好きだなと気づいたりします。
どうして好きな気持ち、いいなという気持ちがわからないのだろう。そう考えた時に浮かんだのは、失ったり、傷つくこと、失敗することが怖いからだとわかりました。
そんなに好きでなければ、一生懸命でなければ、深く傷を負わなくて済む。そんな気持ちでいたのです。
しかし実際は、そうやって自分の本音に蓋をして、もっともな理由をつけて、諦めてばかりの人生の方がよっぽど深い傷を負うことになるのではないでしょうか。
私はなぜか、老若男女に夢を語ってもらう機会に恵まれてきました。いやいや、それはもっとあなたの大切な人に言った方がいいことでしょう。と思うこともありました。みんなにも言っているのだろうと思っていたら、自分にしか言っていなかったことも多々ありました。
なぜだろうと思った時に、私は誰の夢も否定しなかった。できるし、叶えられると本気で思っていて、肯定して応援していました。
しかし本人が無理だと諦めていたら、周りの人がどんなに信じてもそうなってしまうと思うのです。
そして、そんな諦めて、まだまだこんなもんじゃない実力なのに、本来いる場所にいかずに燻っているのは、私自身の問題だと思うようになったのです。
私は人にも、職業や、社会の問題についても本気でぶち当たったことがあっただろうか。
自分と向き合ってきたことがあっただろうか。
見ているだけ、見上げているだけで、私は同じ舞台に立ったことがない。上がろうとしたこともないことに、上がることすら最初から諦めていたことに気づいたのです。
日々の小さな諦めや、妥協や我慢が、自分の本音をどんどん隠し続けます。奥へとおいやります。
ずっと日陰にいても、ある時遮るものがなかったら、日に当たってしまうのです。
仕事ではもう無理、倒れるまで(病気になった)頑張り続けたことはあります。
でもそれは、本当はそんなことする必要がなかったし、本当にやらなければならないこと(自分と向き合う)から逃げていたからこそ、仕事に逃げてしまったのです。
自分が何が好きなのかわからなくなるような生き方はやめます。
人生かけてやりたいことと向き合う時が来たサイン。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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