思いが現実を創っている
やったことがないことにチャレンジする時に、周りの人も誰もしたことがなくて聞きようもない時、どんな気持ちになりますか⁉︎
私は「やってみないとわからない!やってみよう!」という気持ちになります。
そしてなぜか出来てしまう。
理由は、「できない」「わからない」と思っていないからです。
自分の中に「できない」「わからない」という気持ちがどんどん成長してきたら、そこで中断して、何も考えなくてもできることや、別の今できることをします。
すると「できる」ことに意識が向いて、次々とヒントや情報が閃いたりします。
よく、飲み物をこぼす友人や、後輩に「こぼさないでよ!」と冗談で言ったら、豪快にテーブルを水浸しにしてくれたことや、鍋のスープが激減してしまったことがありました。
おっちょこちょいなのもありますが、私が「こぼす」と言ったことで、意識が向いてそうなってしまった。つまり「こぼさないでは」は、前提に「あなたこぼすよね」があるのです。
ここまでは「仕事のコツ」にもいかせると思います。できなくてもいいけれど、できるようになりたいことがあるなら、よろしければお試しください。
私が今回伝えたいのは、素直で誠実であることに関してです。
私は本当に自分の気持ちに素直に正直になれないのです。小学生のピュア集団に囲まれて、大いに影響を受けたこと。また、彼らは嘘を見抜くから、そうならざるを得なかったと言ってもいいと思います。
ここのところ、素直に自分の気持ちにを伝えること、自分の心にも人にも誠実にあることって本当に素敵だなと思うことがあったのです。
自分がそうできると、本当に清々しい。
なぜできなかっただろうと思った時に、私には正直に言うと人を怒らせたり、怒られるという経験が深く観念にもなって、長年パターン化されていたことにようやく気づいたのです。
自分の本心する見失って、人が言ってほしい言葉を言っていただけだったころ。(それはその人にとって本当に必要な言葉とは限らないのに。)
無関心、挨拶してもスルー位の人たちが、私がある人に「髪、切りました!素敵ですね!」と言った時、その場の空気が激変したことがありました。
月曜日の朝、一番忙しくて、目の前の大量のやらなくてはならないことにいっぱいいっぱいな人たちが、全員顔を上げて「どこが⁉︎」とこちらを見てきたのです。
実は、どう注文したらこんな髪型になるのだろう。と疑問に思い、いつも私と同じタイミングで強烈なカットをしてきて、私の変化など霞む位のインパクトの強い方に、思わず「素敵」と言ってしまったのです。
素直な人は「どうしてそんな髪型してるんだ」「なんだその頭は!」と突っ込みまくっていて、私は笑いを堪えるのに必死でした。
それは自分がよく思われたいと思ってウソをついていた訳ではなく、幼い頃に正直に話すと大人にキレられることが多々あったので、本当のことを言うと相手を怒らせると思い込んでいたからだったのです。
人から本音が聞けれると嬉しいのに、私は言えなくて、唯一できるのは書くことでした。
書くことでも、怒りをかってしまったことはやはりあります。
それも素直、正直=相手を怒らせる
と思っていたからなのです。
今は相手が望んでいる言葉を言えなくても、言ってほしいのはそんな言葉じゃないと思われても、受け取って貰えなくてもいいのです。
嫌いと言うのも、好きと言うのも、
それは言ってはいけない、悪いと判断しているかいないかの差であって、相手を傷つけようという意図がないなら、どちらでもないのです。
自分が誠実で、素直なことしか言わなければ(言いたくないことは言わなくてもいい)
人の言葉を疑って素直に受け取れなかったり。
そもそも何も言おうとする気が失せたり、何も聞きたくないとならないのだと思うのです。
自分の意識を「素直、誠実」であることの素晴らしさに向けます。
これが習慣になった時、正直に素直で誠実であることが普通のことになるのです。
誰かに対してでなくてもいい、まずは自分自身に心を開いてみませんか。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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