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廻心(ゑしん)


宇宙の流れを信じている者が
自然に腹を立てるような状況になり
よくないことをしたり
友人や知人と口論をしてしまった場合は
必ず反省し 心を改めるべきだということ

このことは
自らのチカラで悪しき心を絶ち
善を修めようとする自力の意識が
関係しているのでしょうか

ひたすら念仏を唱える
専修念仏の行者にとって
反省し改心するということは
ただ一度だけでよいとされています

この改心というものは
平常 宇宙のしくみのことを知らなかった人が
ただ起きているだけという流れに気づき
今までの精神では
気楽に生きていけるはずがないと考え
元々の心を入れ替えて
起きるがままに生きていこうとすること

そのことを改心するといいます

起きるすべてのことに朝夕反省し
その都度解釈の転換をしていると
人間の寿命は呼吸をする一瞬の間に
終わってしまうこともある
ので
反省もできず
穏やかで堪え忍ぶ心境になる前に
命が尽きてしまいます

そうなれば
すべての存在がこのしくみの中にあって
スクわれている
という宇宙の法則は
何の効果もないものになってしまうのでしょうか
いいえ そうではないのです

口先では「宇宙の流れを信じる」と言いながら
心の中では

どんなに他力を信じない者でも
このしくみの中に含まれているというのは
確かに不思議でならないが
やはり最終的には行いが善い者が
助けられるのだろう

と疑い
ただ起きている流れに任せるという姿勢が欠け
それほど安らかな気持ちで生きていけないことは
最も嘆かわしく思わないといけないことなのです

このしくみを信じると決めたならば
その先の心は流れに任せておけばよいこと
なので
自分でどうこうできるものではありません

たとえ自分ではよろしくないと思える心境にあっても
そんな時こそ
これはただ流れとして起きているだけなのだという
宇宙の法則を思い起こすようにしていれば
かえって自然の働きで
柔和で堪え忍ぶ心地になれるというものなのです

あらゆるすべてのことについても
気楽に人生を生きていくには
格好つけようとする心を持たず
ただひたすらに
これも宇宙の流れなのだなぁ
その深みのありがたさを
日ごろから意識していればよいのです

そうすれば自ずと
「なむあみだぶつ」という声が出てきます
これが他力に任せる自然ということなのです

すべては自分がやっているのではない
これが自然ということなのです
それはすなわち
この世はただ起きているだけという
他力ということなるのです

それなのに
他力として自然に起きていることが
何か特別のことのように
それを自分だけは知っているかのように
もの知り顔に語る人がいると聞きます

なんとも情けないことです


『歎異抄』 第十五条

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