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義母から学ぶ「母親」という呪文の解き方

母は専業主婦で、基本的に家にいた。運動神経抜群で料理も美味しい。手先も器用なので、書道と華道、どちらも師範の資格を持っている。父の要望で「自宅でできる仕事なら」と自宅でこじんまりと教室を開いている。

私が母になったとき、まず浮かぶのはこの母の像だった。昔ながらの日本の母。家庭の役割を全て担って、自分のことは後回し。父親と議論することなく、家族を支える。母の意見が採用されることはほとんどなかった。

母の性格上、やれることはたくさんあるし、言いたいこともあると思う。しかし、これが40年以上かけて築き上げてきた、私の母の家庭での役回りだった。


結婚して、もう一人「母親」が増えた。
義母は、さっぱりした性格と押し付けがましくない優しさが魅力の女性だ。

70歳を超える今もやりたい仕事で社会貢献する姿に、意地やプライドみたいなものはなく、飄々とやりたいことをやっているように見える。

転勤族だった義父に付き添い、海外で家族を育てながら、第二波フェミニズムを目の当たりにしてきた義母は、私を「嫁」や「母親」という役割で見ていない。

私が夫と結婚を決めたとき、私の両親は結納と両家の顔合わせを望んだ。姉の前例を見ていた私は、結婚ってそういう感じかーとぼんやり思っていた。しかし、義父母に話した際、義母は「あちらのご家族が望むなら対応するけど、昔からのしきたりなだけで必要ないことよ」ときっぱり言った。

当時、少しだけ私の家族が否定されたように感じたのは事実だけど、義母の意図することもしっかり理解できた。いまだに続く家父長制的な意識を手放す意図だったと思う。

そんなわけで、家族だけで行った結婚披露宴も、最後の両家代表挨拶は義母と義父が順に言葉を述べた。そして私は、結婚したが苗字を変えず(国際結婚のため、夫婦別性が可能)、私が夫の家に嫁いだ意識もない。

息子が生まれてからも、義母の対応は変わらなかった。

息子を夫に任せて姉妹で台湾へ行こうと、趣味のフラダンスに没頭しようと、後ろめたい気持ちにならない。

本来は、これが普通であってほしいが、悲しいかな日本の社会は「母親」というものに私のような自由を与えてくれない。

仕事と育児の両立に悩んでいるのは圧倒的に女性の方が多いと思う。友達と話していても、子供の体調不良が多く、気まずくて仕事を辞めることにしたという話も珍しくない。

子供について何か起きた時、まずは母親が対応するもの、と夫婦間で話し合うこともなく自動的に決まっていたりはしないだろうか?


そんな義母を見てきた夫も、私に「母親」としての役割を押し付けてくることはない。

洗濯物は各自畳む、食事を作らなかった人が洗い物をする、掃除は気がついた人がする。(水回りは夫が済ませてくれることが多い)

未来を決めていく際も、お互いの意見を出し合い、その中で今選べる最善を歩み寄り決めている。

「母親」だから、という呪文は、時として私たち女性を苦しめる。「母親」という名の元に泣く泣く仕事を手放したり、自分のやりたいことを我慢している人もいるのではないだろうか。

「母親」だから自分より子供を優先するべき。「母親」だからキャリアは諦めなきゃいけない。「母親」だから自由な時間は取れない。「母親」だから…

このような女性を縛り付ける呪文は、私の時代で消滅してほしいと願う。「母親」になることが全てではない現代にも関わらず、「母親」になることを選んだ人が、ただの役割なんかで苦しむ必要はないはずだ。

義母は、去年から長野に土地を買い、トレーラーハウスで一人暮らしを始めた。小さな庭にきゅうりやトマトを植えて、オンラインで仕事を続けている。

義父は義母を追う形で、長野に土地を買いトレーラーハウスを買った。今はお隣さんとして夫婦生活を続けている。

私は義母から「母親」としての呪縛の解き方を教わっている気がする。フットワーク軽く、気持ちが赴くままに生きる姿は美しい。

そして、「母親」という呪縛がないだけで、私はこの上なく生きやすい。

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