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知らなかった未来

 私は誰もが知らない未来をこの先描くことができなかった。
 時間がそれを許さなかったから。
「お待たせ」
「いいえ、待っていませんよ」
「すぐにわかった?」
「うん、タクシーで来たから」
 私はマッチングアプリで知り合った一也さんと祇園の一軒家の貸し切りを予約していた。三年ぶりの祇園祭を一緒に行こうと言い出した彼のために、私はインスタで知り合った、雅という八坂の塔の近くを選んだ。
 彼は滋賀県からやってくる。
 私は伏見に住んでいたが、ある理由により一ヶ月ほど入院していた病院を抜け出してここまでやってきた。
 お互いに仕事場が京都市内であったことから意気投合したのだが、知り合ってまだ半年しかたたない。いや、もう半年過ぎたというべきなのだろうか。
「いいね、こんなに広いのに二人で3万円なんて安いよねえ」
「そうなの、前からここには来たいなと思ってインスタの担当者の人と話を詰めていたのね。でも今年は祇園祭があるから予約はできないと思っていたけど、キャンセルが出たと言われて。よかったわあ」
 それは嘘だ。
 私は入院する前からこの雅を予約していた。
 きっとその時期はどこも予約でいっぱいになるだろうと予想していたから。
「私はダイエットしているから、あまりたくさんは食べられないの」
「そうなんだ、じゃあさ、外には出ないようにして出前館で食べたいものを注文する?」
「一也さんに悪いわ。ちょっと待ってね。フロントの人に聞いてくるね」
 私は二階の部屋から階段を降りると、フロントにいる橘さんに近寄る。
「あの、お願いがあるのですが、電話で話していたお料理やさんに手桶弁当を注文してもらうことはできますか?」
「はい、ほかにもおうどんや、お寿司なら提携しているお店がありますよ」
 私は病院で体力を削っていたので、うどんが食べたいと思った、彼と最後に食べるなら、もっとおしゃれなお料理を思い出にと思わないまでもない。
 しかし、私にはもうそんな力は残っていなかった。

「じゃあ、お弁当とうどんとお寿司をお願いします。それぞれ一人前で」
「わかりました、お時間は夕方7時になります。お風呂はその前でもその後でも、ご自由にお使いください」
 私はクレジットカードを渡して先に支払いを全部済ませた。
 すべて先払いなのだ。

ゆっくりと階段を踏みしめて、手すりを持って二階へと上がる。
右目の視力はあまり元のように戻っていない。
手術をしたが、いずれは全く見えなくなるのだとなんとなくわかっていた。
まさか、こんなことになるとは、自覚症状がなかっただけに、忸怩たる思いだ。

「お待たせしました」
「ごめんね、全部させてしまって。男の僕がお客さんみたいで。でも、明日は僕が全部仕切るから、任せてね」
「男とか、女とかそういうのはいいじゃないですか。気にしないで、私がこの雅さんに泊まりたいと誘ったんですから」

 窓の外は夕暮れの時間なのにまだ明るい。
 京都の7月は日が落ちない。
 しかし、私の視界は半分しかない、これを一也さんに悟られる訳にはいかない。そして彼とのデートもこれで最後と決めていた。いずれ、もう片方の目も同じ病気で見えなくなると私は調べて知っていた。
 彼との付き合いには普通の女の子がいいと思う。
 私から彼と距離をとる、いや、別れることが最善の方法だ……。
 最後に二人で。 
 私はこのまま一生一人で生きていく覚悟をした。
「さあ、先にお風呂に行く? 麻衣さんが決めて」
「ええ? じゃあ、先にいいですか?」
 私は病院での生活が長かったので、さっぱりとしたかった。片目での生活が一ヶ月あり、かなり慣れているが時間がかかるので先にすませた方がいいと思った。

 私がふすまを開けて廊下の突き当たりにある、檜の風呂に入って大きくため息をついた。これで最後、でも彼とは何もない方がいいと思う。今まで、半年の間にキスしかしていない。その先には進むべきではないと私は思っていた。彼も何も求めなかった。

「ただいま、戻りました」
「お帰り、どうだった? 檜のお風呂」
「広くてすごいきれいだったの。早く行ってきて」
 彼は着替えを持って立ち上がった。

 私は洗面で髪を乾かすと、あまりにも広いので方向を見失った。
「清宮さま?」
 橘さんの声が階段の方から聞こえる。
「はーい」
「お食事がきました。食堂に降りてくださいませね」
「連れに伝えます」

 私の肘を掴む力が強くて驚いた、体を堅くした。
「そこは階段じゃないか、もう少し前に行けば落ちてしまう」
「えっ。お風呂にいたんじゃないの?」
「君のこと、僕は知っている。僕がそんなに信用できないの?」
「なによぉ」
「病院にいたんだろう、一ヶ月会えないって。もしかしたら目が悪いんじゃないの?」
「なぜ、そう思うの?」
「半年も付き合っていて、おかしいだろ? そんなに頼りないかな。信用されていないのかな。会った時に病院の匂いがしたよ、アルコール消毒の匂いだろうか、僕は鼻がいいんだ」
「におい……」
 私は今まで耐えていたものが、堰を切ったようにあふれ出てしまいそうだと思った。堪えることになれていない。この一ヶ月、一人で戦ってきた自分には頼るものがほしかった。
 でも言えない。今日でさようならだなんて。
 失いたくない、この人を。
 あの日失った自分の瞳の中の一部のように、この人だけは失いたくない。けれど、私のためにこの人を不幸にしたくないと思う気持ちが入り交じる。

「あの、お食事が冷めてしまいます」
「はい、すぐ行きます」
 一也さんは私の手を取り、階段を一歩ずつ降りようとしている。
「大丈夫、片目でも歩けるのよ」
「僕がこうしたいんだ。それとも病人扱いするなと思うならば、もうしないよ。でも、ここは二人とも初めての場所だろう。いくら病院でリハビリしていても心配だから」
「ごめんなさい、ありがとう」
「もう、いやだな。話はご飯の後にしようよ。僕はお昼ご飯を抜いてきたんだ。この旅行を楽しみにしてね」


 この後、広いリビングダイニングで夕食を食べた後に、私は彼から指輪をもらうことになるなんて、知りもしない。


              了

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