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ピアノがやってきた!①

小学生の時にピアノが苦手になった。音楽を始めたのは3歳の時に生家にピアノが来た時。白と黒の規則正しく並んだ鍵盤を触ると響く輝きのある音に魅了された。その後通ったヤマハ音楽教室での歌、ソルフェージュ(注1)、楽器の演奏は楽しくて仕方なかった。小学校に入る頃にはピアノ教室に通うのは自然に思えた。

しかし通い始めた教室は今までの音楽環境とは別のものだった。ヤマハ音楽教室では仲間と一緒に演奏したり歌ったり。ソルフェージュはクイズ番組のようで楽しかった。しかしピアノ教室では先生と一対一。レッスンを受けるには自宅で1人練習を積んでこなければならない。一人っ子なので1人遊びは苦ではないのだが、毎日ピアノと向かい合うたび、それまで友達と思っていたヤマハアップライトピアノが面倒な存在となってきた。それでもバイエルを進めるうちに、曲が弾けるようになるのは嬉しいもので、なんとか歩みはゆっくりだがバイエル106曲を数年かけて踏破し、達成感を味わった。

そこへとんでもない敵が現れた。名はハノンという。ハノンはフランスの作曲家で様々な美しい器楽曲や歌曲を作曲していたらしいが、聞いたことがないので知らない。ではなぜハノンが敵なのか。ピアノのレッスンでは、ハノンといえば指の基礎体操みたいな練習曲集のことを指すからだ。ピアノをやらない方のために他のジャンルで例えると、漢字ドリル、素振り、にんじんとセロリを5mm角に10kg刻むみたいな「大事だけど退屈な」ことの毎日反復練習。これをやらないとモーツァルトとかショパンとか指の動きが大変な曲が上手にならないのはよくわかるのだが、コツコツ積み上げるのが何よりも苦手な性格。このままでは大好きな音楽が嫌いになりそうになった。音楽が嫌いにならないよう選んだのがハノンとピアノとの決別だった。

それでも中学に入ればバンド活動に目覚めてキーボードやシンセを弾いたりしていたが、高校でハイグリー(合唱部)に入り、音大の声楽科を目指すようになると再びピアノと向き合わなければならなくなった。音大の入試というのは1週間に及ぶ長丁場で、国語と英語(なぜか数学は無い。音楽には必要なのに)、ソルフェージュ、音楽理論、もちろん声楽オーディション。そしてピアノの試験があるのだ。しかもピアノソナタを1曲。バイエル終了、ハノン1番で挫折の身にはあまりに高い山を登らなければならない(注2)。基礎的な技術の無さに自分で苛立ちながらもなんとかベートーヴェンソナタ「悲壮」を悲壮感たっぷりの出来ばえで演奏し、なんとか合格できた。

月日は流れ、実家を離れた後はピアノの無い暮らしが30年以上も続いていた。歌の活動で必要が無い訳ではないが、自宅の向かいにヤマハ音楽教室があり、ピアノ練習室を借りれば事足りた。

そんな日常がコロナ騒ぎと心筋梗塞で一変した。週一の楽しみだった合唱団は練習中止。また心筋梗塞が持病となってしまい、都内へ練習に行く負担を考えると復帰は厳しいかもしれない。音楽の無い人生なんて、と気が塞いでいた。そこへ病室で眺めるiPadからあいつが語りかけた。「ピアノを再び始めないか」と。

漠然とした思いが実現するまでの話はまた次回に!

(注1)ソルフェージュ いわゆる読み書き。耳で聞いた音を楽譜に書いたり、初めて見た楽譜を歌ったりできるようになる訓練。

(注2)昭和のピアノレッスンの主流はバイエルという教則本から初め、ツェルニー、ブルグミューラー、ソナチネを済ませたらソナタを弾くことを許されたものだ。つまりバイエルをやっと終えたレベルでソナタを弾くのは、年に1回しかスケートに行かない人がいきなりダブルアクセルを決めるような離れ技が求められる。

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