見出し画像

●●さんへ 東京・上野  黒田記念館   《湖畔》 黒田清輝作 3通目  謎の大作《智・感・情》


1900年パリ万博銀賞受賞 《智・感・情》 黒田清輝作


画像1

《智・感・情》黒田清輝作 1899年 重要文化財 東京国立博物館蔵

●●さんへ 、もうしばらく僕の話に付き合ってくれますか?


この作品は、右から《智》《感》《情》とされています。作者の黒田は絵画の三つの形式、理想、印象、写実(主義)をそれぞれ智、感、情に当てたと言っていますが、それってよくわからない話ですよね。

また歴史的にも、日本人をモデルにした、最初の油絵の裸体画ということで超有名。

それだけでなく、実はこの作品は謎だらけということでも有名なんです。

なぜこの作品は生まれたのか?

同じ時期に黒田清輝が取り組んでいた大作《昔語り》(戦争で消失)には、スケッチ等の資料がたくさん残っているんですが、この作品には、ほんの少しの資料しか黒田清輝は残していないのですね。

なぜこの作品が作られたかのも、いくつか意見があるんですが、素人目線からざっくり言わせてもらうと、当時の美術界の大物、岡倉天心が1900年のパリ万博で、日本美術を世界にアッピールするためにヨーロッパで通用する作品を送り出すことを思いついた。そこでフランス留学の経験もある黒田に白羽の矢を当て、彼はこの《智・感・情》を描いたという説が一番わかり易いですね。


その頃、黒田清輝が取り組んでいた大作《昔語り》は、ヨーロッパでは絵画として評価が低い風俗画に当たるため、歴史画が一番評価が高いヨーロッパの美術界のヒエラルキー中で、それなりの実績を得るためには、別の絵がどうしても必要だった。だから彼は《昔語り》の作成と並行して、わざわざ新しい絵を描く必要性が出てきたんですね。

そこで、二人は相談して、題材は理想的で写実的な日本人女性の裸体画。仏教絵画のような3枚組という形式。背景が金で塗りつぶすという日本的な抽象的な表現方法をなどを採用したのだと考えています。

改めて言うと、日本美術がパリ万博で高い評価を得るために、欧米通の岡倉天心と黒田清輝が相談してこの絵を描いたという説です。実は岡倉天心と黒田清輝はこの時期に、よく会っていたという資料があるんです。
結局この作品と、前の便りで話した《湖畔》の2作品をパリ万博に出品することになり、めでたくこの《智・感・情》は銀賞を受賞したということです。メデタシ、メデタシ。


仏画を意識した3枚組の形式と、《智》の表現


画像2

《智》上部

この三枚組は仏画を意識していると思いませんか?まさに三幅対の世界です。例えば中央に釈迦如来、左右に文殊菩薩、普賢菩薩という風に捉えている説も読んだことがあります。特に右側の《智》は右手を顔あたりにおいているのは如意輪観音像に影響されたと言う説、また左手は説法印の形じゃないかという説もあり、仏教絵画の影響があるという指摘があります。


輪郭線の赤。背景の金。


画像3

《智》下部

細かく見ると、赤い線で体の輪郭線が描かれていることがわかります、僕はこの線が好きなんですね、強靭な線って好みなんですよ。ところで西洋絵画では輪郭線は存在しないことになっているのですが、日本の浮世絵とかのジャポニズムの影響で輪郭線を描く作品が出て来たのです、ということでこの作品の輪郭線は逆輸入ということになるかもしれませんね。

地の部分を全て金で塗ったというのも、一説には日本美術の趣を出すということを意識したらしいです、光琳などを意識したのですかね?本当に素人考えですけど。


日本人の顔に西洋人の理想的身体


画像4

《智》


画像5

《感》


画像6

《情》

どの作品も日本人の顔なのですが、身体の方は当時の普通の日本人の6頭身ではなく、ヨーロッパ人ぽい理想的なプロポーションになっているんですね。日本人のモデルを姉妹で二人雇っていたのは資料からわかるんですが、どの作品がどちらのモデルということもはっきりしないんですね、かと言って膝のところに描かれている座りだこなど、日本人の特徴は残しているんです。どうやって日本人のモデルから、理想的な身体を作りだしたんでしょうか?


新たに書き加えられたサイン


画像7

《情》左下部分

一番左側の《情》の左下側に作者のサインが入ってます。

2行になっていて、上に「SEIKI.-KOVRODA.」   下に「18  ⬜︎ 99」と入っています、名前の部分はアルファベットのフランス語の表記ですかね? さらに、1899と年号を入れています。18と99の間の ⬜︎  のところに花のようなものが描かれているみたいですが、よくわからなかったです。

実はこの作品は、1897年日本国内で、黒田清輝が自らが主催する第2回白馬会という展覧会に出品されています。そのあと1899年にパリ万博へ出品という運びになるのですが、白馬会の時にはサインはなかったらしいのですね、パリ万博へ出品する際このサインを入れたということです、黒田清輝という作家はデッサンにもサインを入れる人らしいんですが、なぜでしょうね?

黒田家秘蔵の作品へ

パリ万博から帰って来てから、この作品は誰の手にも渡らず、黒田家に秘蔵されることになります。つまり注文主はいなかったということでしょうか?これだけの大作なのにね。このことからも、この作品はパリ万博のために作られたという説は説得力がありますよね。

彼はこれを手放したくなかったと想像するんです、彼にとって、渾身の作品だったんだと思うんですよ、彼はこのような作品を他には作らなかったんです、でもこればかりは本人に聞いて見ないとね。

村上隆の 《黒田清輝へのオマージュ》

最後に、《智・感・情》を語る上で避けることができない作品が世に出ましたので、紹介しておきます。現代美術の有名作家、村上隆さんとオタク界のイラストレイター3名(Tony、KEI、大槍葦人)が一緒に作った《黒田清輝へのオマージュ》という3組の作品です。国内では2011年にカイカイキキギャラリーで2日間だけ発表されました(「黒田清輝へのオマージュ」で検索すれば、現在でも画像は見つけられます)。その後ロンドンのメガギャラリー、ガゴシアンでの個展で発表されたそうです。それらは黒田清輝の作品と同じサイズ、同じポーズ、同じ3枚組みとい形式をとっています。21世紀の日本のオタク文化 ーそう言っていいかわかりませんがー を表現する女性像になっています。作品としてとても面白いですよ。それぞれに作家ごとに個性があって、現代のオタク文化の中での、日本の女性像がそれぞれ違っていながらも、共通点があることがとてもわかりやすく表現されています。とても平面的なところも日本っぽいですね

これって黒田清輝のオリジナルと同じ流れだと思います。ロンドンのガゴシアンギャラリーでの個展のため、村上隆は日本のイラストレイターたちと一緒に、現代の日本人女性のヌードを、《黒田清輝へのオマージュ》として描くことを思いついた。これって、パリ万博のために、岡倉天心が黒田清輝と一緒にこの絵を作ったと言う説にとって、とても示唆的だと思いませんか?

《智・感・情》はとても力がある素晴らしい絵です。特に《智》が好みですね。
動きがあっていいですね。また観ると新しい発見があると思います。また見にいきったら報告しますね。よろしくお願いします。

と言うことで、最後までお付き合いいただきありがとうございました。


 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?