アートに求められるものとは?
アートを制作するとは何か、ということを探る中で、上記のような定義を見つけた。
しかしなぜだか強烈な違和感を感じた。そして権威的な圧力を感じた。
アートとは、新しい意味を提示しなくてはならないのだろうか?
必ず社会的意味を持たせなくてはならないのだろうか?
確かに、新たな社会的意味や定義をもたらす作品が、概念として面白いのはわかる。発見や気づきを得られること自体はとても面白いし、十分に社会を変える可能性を持っていると思う。たとえ、制作物が既製品トイレのように自宅に飾りたいとは思わなくても。
しかし、アートとは、もっと自由で、個人にとって意味があるものでも良いのではないだろうか、制作者が美しいと思うもの、感動した体験、自分のルーツの表現、など。
例え社会をハッとさせるような意味を持たずとも、自宅のダイニングに置きたい絵画を制作しても良いではないか。
秋元氏の著書は、ビジネスとアートの融合を目的として書かれているので、おそらく上記のような前提を置いたのだろうし、氏のアートに対する信念かもしれない。しかしそれは、アートに求められるもの、アーティストが望むものの、一部であると思う。アートには他にどのような意味があり、アーティストが望むものとはどのようなことなのだろうか?
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