世界保健総会の舞台裏。パンデミック条約、ロシアの異議、活躍する日本人たち
ジュネーブの初夏は清々しい爽やかさに溢れています。
羽田を発って18時間。機内から外を覗くと白く光るアルプスの山々と青いレマン湖が輝きを放ち、長旅の疲れを癒してくれます。世界保健機関(WHO)の年次総会が開かれる国連ジュネーブ本部は、この地に古くから根付く国際都市の象徴とも言える存在。世界中から集まった代表団が集い、人類共通の健康課題の解決に向けて真剣な議論を重ねる熱気がこの小さな街を包んでいます。
国際舞台での政府代表演説 :日本の立場と決意
5月27日朝9時、この日のトップバッターです。日本政府代表として第77回世界保健総会の壇上に立ち、日本の保健医療政策について政府代表演説を行いました。
演説の中では、パレスチナにおける即時停戦の要請、優れた保健衛生の実績をもつ台湾にオブザーバー参加を認める重要性、そしてロシアによるウクライナ侵略が多くの市民から適切な医療や食料へのアクセスを奪い、劣悪な公衆衛生環境を生み出していることを指摘しました。特にロシアの行為は国際規範に明らかに反する行為であり、国際社会が毅然とした態度で臨まねばなりません。当然ながらロシア代表からは異議が出され、一時は緊迫した空気が会場を包み込みました。しかし、同様の危機感を共有する多くの国と共に、こうした人道危機を看過することなく声を上げ続けることは、私たちに課された責務です。
一方で、こうした深刻な課題に直面する中でも、日本から世界に向けて前向きなメッセージを発信することを心がけました。①医療制度への効果的な投資のノウハウを低中所得国と共有する「UHC(ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ)ナレッジハブ」を2025年に東京エリアに設置することの発表、そして、②気候変動と健康の課題に取り組む国際的な枠組み「気候と健康のための変革的行動のアライアンス(ATACH)」への参加表明は、多くの国から日本の積極的な国際社会への貢献として歓迎されました。世界一の長寿国として優れた保健衛生のノウハウを持つ日本に対する期待の大きさを感じました。
スピーチを終えた後、様々な国の代表団の方々から励ましの言葉を頂戴しました。厚生労働省や外務省のスタッフの皆さんと時間をかけて一言一言練り上げたメッセージが、多くの国々に届いたという手応えは、私自身の大きな糧となりました。こうした期待にしっかりと応えて、約束を一つ一つ実現して参ります。
「パンデミック条約」をめぐる熾烈な外交交渉
日本政府代表には、代表演説以外にも重要な役割が課せられています。日本が重視する保健分野の課題について総会中に各種サイドイベントを主催したり参加したりすることで、国際社会の関心を喚起し、連携を深めていく絶好の機会となります。またその合間を縫って、二国間の重要な外交交渉、いわゆるバイ(ラテラル)会談を文字通り分刻みでこなしていくことも求められます。
今回の総会で、各国との会談を通じて議論が集中したテーマの一つが、新たな国際条約「パンデミック条約」の締結交渉をめぐる議論でした。新型コロナの経験を踏まえ、将来の危機に備えるための多国間のルールづくりの必要性が広く認識され、2年余りに渡って交渉が続けられてきました。一方、先進国と途上国の間では、途上国が求めるワクチンの知的財産権の移転や公平な供給確保の枠組みをめぐって大きな立場の隔たりが指摘されてきました。
総会中のバイ会談では、パンデミック条約についての各国の本音を色々聞くことができました。医療制度が脆弱な国の代表からは、新型コロナ禍での痛切な無力感とワクチン確保に苦労した恨み節が吐露されます。一方、先進国からは、新たな条約がワクチン開発などのイノベーションをかえって阻害することへの懸念や、過度な経済的負担への根強い憂慮が伝わってきます。日本としても、パンデミック条約の意義は十分理解しつつ、公平で機能的な枠組みに向けて建設的な議論を重ねる重要性を訴えました。
パンデミック条約以外でも、「静かなパンデミック」と呼ばれる薬剤耐性(AMR)問題など、日本が主導してきた重要課題があります。医療や農業の現場などでの抗生物質の濫用や不適切使用などにより、世界各地で従来の抗菌薬が効かない強力な細菌の発生事例などが広がりつつあります。2050年には全世界で1000万人が命を落とすとも言われる深刻なAMR問題。最近は日本の製薬企業の取り組みなどにも期待が高まっています。今回の総会でも、日本がアジアの30カ国以上を招いた朝食会合を主催し、地域での協力を進めるための共同文書に合意するなど、着実に成果を重ね、存在感を発揮することができました。
国際保健の最前線で奮闘する日本人たち
ジュネーブ滞在中、WHOや様々な国際NPOなど保健分野の国際機関・組織で活躍する日本人スタッフの方々との交流も、大変印象深い体験となりました。初日の夕方に開催した小さなレセプションから、最終日の幹部メンバーとのランチまで、様々な立場で働く日本人スタッフの皆さんから直接お話を伺う機会に恵まれました。
「人道的な目的のために働きたい」「グローバルな課題解決に貢献したい」
国際機関での仕事のやりがいについて語る皆さんの目は輝いています。組織や文化の違いに戸惑いながらも、海外に拠点を移し、世界の人々の健康と幸せのために尽力する姿は、まさに日本人の誇りと言えるでしょう。
一方で、言葉の壁やキャリアパスの不安など、悩みを吐露する方もいらっしゃいました。特に、意思決定の中枢を担うポストに日本人があまり見当たらないことは、組織の多様性という点でも課題だと感じました。私からは以下のようなエールを送らせて頂きました。
「多くの国際機関のトップに会うと、欧米出身者が大半を占めているのが実情です。しかし、彼らが皆ネイティブスピーカーかと言えば、決してそうではありません。言葉の壁はもはや言い訳にはなりません。皆さんの中から、将来、国連機関のトップとして活躍する人材が多く現れることを心から期待しています。」
国際保健分野におけるリーダーシップに向けて
ジュネーブでは多くの海外の方からこんな言葉をかけられました。
「ミスター・タケミなど少数の例外を除いて、国際保健の分野は関心を持ってくださる日本の政治家が少ない。必ずまた来てほしい。」
たしかに、名前と顔の知られている他国のベテラン政府代表の周りには常に多くの友人・知人が集い、至る所で活発でディープな意見交換が行われていました。国際保健はまさに外交。それぞれの政治家が築く個人的な信頼関係のネットワークが、国益を守る上でも重要な武器になります。
厚労大臣政務官として、一期目からこうした分野に関わる機会を頂いたのはありがたいご縁。日本が明確な強みを持つ健康・医療の分野だからこそ、更なる世界的なリーダーシップを発揮できると確信しています。今回の経験を糧に、私も微力ながら日本の国際保健分野でのプレゼンス向上に向けて取り組んで参ります。
最後に、今回の出張に向けて入念な準備とサポートを頂いた厚生労働省、外務省をはじめ多くの関係者の方々に心から感謝を申し上げます。