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いのちを感じた日

2日前に義叔父が亡くなった。
今日はそのお葬式だった。教会葬で、その教会は45年前に叔母との結婚式を行った教会だった。

義叔父はアメリカ人で、45年前としては衝撃レベルの国際結婚だったらしい。
なにしろその当時は、太平洋戦争を知っている世代がたくさん生きていて、叔母の家でも鬼畜米英などと言われていた大反対に遭っていたらしい。

教会では牧師が、あたりまえだけど、キリスト教らしい話をしていた。
23歳の時に祖母が亡くなった時に、天国の存在を身体で感じたらしい。
それは亡くなる直前に、表情だだんだん穏やかになっていって、光に包まれるようになっていった、その祖母をみて、感じ取ったと言っておられた。

普段から、いのちのことを意識している人はそんなに多くない。
そんな普通の人でも、いのちを感じられる機会は必ずある。

人が生まれる時と、人が死ぬ時だ。

私は教会でパイプオルガンの音を聞きながら、義叔父の命が、肉体からこの世界全体に広がっていくのをその時はっきりと感じた。だからこれを書いている今は、その義叔父の命が、世界中に息吹いているのをなんとなく感じている。そこかしこにいるような気がするのだ。

命は、この肉体が分離している時には、肉体が物理的に感じられる肉体を通してしか感じられないものが、いわゆる「死」というプロセスを経ると、この世界全体へと還っていくらしい。

それは科学とかで証明することはできないものだが、私の中の真実として感じ取ることができたし、そもそも科学で理解することと、身体を通して感じ取ることは、情報を受け取るチャンネルが違うだけで、そもそもそれらはどちらとも、れっきとした情報であるのだ。

「天国から見てくれているような感じがする」と人が時に言うのは、この私が感じた感覚を、別の角度から(キリスト教的な)表現したものなのかなぁ、とか思った。

義叔父と叔母は、傍目に見ると、子供もいなかったし、いつ別れてもおかしくないカップルに、私には見えていた。どうして結婚生活を続けてきたのか、正直ずっと疑問だった。

義叔父は一匹狼で風変わりで、ブラックジョークが得意で、自由気ままで、独りでいることが好きで自然の中にいることが好きで、犬のことが人間より好きで、人間は種のひとつ、くらいにしか考えていなかった。叔母は、夫のことが理解できなくて嘆くことが多かった。

叔母は反対に、明るい宴会部長といった雰囲気の、人間のつながりを大事にして、夫に尽くして尽くしまくる、世話焼きな女将さんみたいな女房だった。そして夫に対してよく嘆いていたような気がする。

メンタルモデルを学んだ私としては、義叔父はひとりぼっち、叔母は愛なしモデルではないかと思っている。

義叔父は多分、絶対的なつながりが切れてしまった痛みや、決して自分がわかられない、といった痛みを持っていて、よく飛ばしていたブラックジョークは、分離の痛みを直撃しないように投げていた、変化球だった。そして叔母はいくら尽くしても報われない、という痛みを持っていたんじゃないかと勝手に思っている。

パートナーシップは、終わることのない学びである。

二人はお互いのことを理解するのがとても難しくて、大変だったとは思うが、絶対的なつながりが切れた痛みをもつゆえに、絶対的なつながりを実は奥で渇望している義叔父と、何度辛い思いをしても、つながりを決して諦めなかった叔母は、実はその目で見ると、いつ別れてもおかしくないように見えるのに、最後の最後まで45年にわたってパートナーシップを続けられたのだ。そもそも米国と日本があんなに遠かったあの時代に、二人は出会って結婚した。それはどう見ても、魂レベルのベストカップルだったのだと、葬式が終わった今日、私は腑に落ちたのだった。

最後の数年間は、叔母は義叔父の対応(介護とか諸々)に完全にはまり込んで視野が狭くなっていて、病気もして、時には感情を爆発させ、あちらこちらへ奔走して、疲弊しているように見えた。本日の昼までそうだった。

しかし昼に火葬を終えた瞬間の叔母のエネルギー感は、とても軽やかになっていた。生優しいとは決して言えない、ハードなパートナーシップを、魂レベルでやりきった、安堵の表情に、私には見えた。

目で認識できる義叔父のいのちは、肉体から抜けて世界へと還っていき、叔母の肉体としてのいのちはしばらく続くと思うが、ひとまずの区切りとして、この二人に、私はおつかれ様と何度も、心の中で言った。

(半分史実、半分イマジネーションです笑)


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