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#3 リサーチャー幸福論

リサーチ部門で働く人々の「幸せ」について考えてみました。

事業会社、とくにBtoC製造業の多く企業にはリサーチの専門部署が設けられています。「マーケティングリサーチ部」などの名称でプロダクトやブランドを担当するチームと連携して自社及び自社製品に関わるリサーチを行うことが主業務です。そこにはリサーチャーという肩書きのメンバーが所属しているわけですが、彼らの多くはリサーチの世界で渡り歩いてきた人材が多く、ある特定の価値観や慣習の中で育ってきています。

日本でマーケティングリサーチという概念がメジャーになり始めたのは1960年頃と言われています。戦後の高度経済成長期にあり、広告代理店によって「リサーチ」は育てられてきました。大規模な広告によって大きな売上をつくるという広告代理店の戦略の一部(あるいは商品の一部)として、リサーチは発展してきたのです。このような経緯において、リサーチは本来目指すべき「探求すること」ではなく別の目的のための道具としての役割が重視されました。

そして広告代理店の急速な成長とともに、このようなリサーチの性格はますます強化されていくことになります。象徴的なのが調査の「規模」の追求です。より多くのデータを集めるリサーチの方が価値が高いという考え方が広まり、広告代理店やその先のクライアント企業から調査規模への要求が強まっていきます。同時にリサーチ会社も調査規模の大きさに準じた課金モデルを採用することになり、データ量が多いことが正義であるという論理がますます定着していくことになります。

失われたリサーチャーのやりがい

こういった歴史的な背景の中で育まれた独自の価値観や慣習が、今でもリサーチ業界に根強く残っています。そしてその世界で育ってきた人材にも独特の思考特性があります。「調査サンプルの規模を重視する」「計画通りに調査手順を踏んでいくことを重視する」といった特徴です。これらの思考特性に共通しているのは、目的ではなく手段の形式に固執してしまっているということです。

依頼元の要求仕様通りに調査を企画・設計することに慣れてしまい、多くのリサーチャーが生産活動のゴールからリサーチのあり方をデザインすることができなくなっています。リサーチ業界での人材キャリアが、広告代理店、リサーチ会社、企業のリサーチ部門という3者の中でだけ閉鎖的に循環しているということも、この課題の改善を妨げている構造的な問題なのだと思います。

そして最も重大な問題はリサーチャー自身の働きがいです。外部の要求仕様に応えていくだけの業務にやりがいはなく、彼らの仕事は下請け的になっていくばかりです。そこには達成感や成長の実感もありません。調査費という名目の財布を握っていることだけを拠り所をとして、自らの立場を守ることに終始してしまっているのが多くのリサーチャーの現状です。

知ることは楽しいこと

リサーチは本来、新しい何かを見つけるための活動です。そしてそこには発見の喜びが伴うはずです。今まで自分が知らなかったことを「知る」という喜びです。多くのリサーチャーたちも、それぞれ子供の頃に味わったはずの「知る喜び」「発見する喜び」を忘れてしまっているのかもしれません。

実はリサーチの仕事はとても面白い仕事です。

未知の領域を自分なりに考えて工夫しながら探索していき、努力や苦労を乗り越えて、ようやく新たな発見にたどり着くことができます。そしてリサーチの結果として得られた発見には、喜びや驚き、感動があります。発見することに向かってまっすぐに進むことができれば、リサーチはやりがいや楽しさに溢れた仕事なのです。

多くのリサーチャーは今、自分の地位や立場を守ろうとするばかり、「知らない」「分からない」ということに素直に向き合うことができていません。知らないとか分からないということは自らの弱さであり、自分の価値を下げてしまうことだと恐れてしまっているのです。

ところが実はそうではありません。自らの無知に向き合わない限り、新たな発見はありません。今、リサーチャー人材にとって大切なことは、彼らを業界の伝統的なしがらみから解放し、自分の無知と真摯に向き合わせ、探索や発見の喜びを実感させることです。そうすることでリサーチャーの働きがいが向上すると同時に、生産活動の中でリサーチが価値を生み、輝きを取り戻せるはずです。


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