コロナと人間と桜と
「人間には都合のよくないコロナウイルスも多様性の一つ。登場してしまったからには共存するしかない。」
これは2020年3月28日付の読売新聞朝刊(出典)で養老孟司さんがおっしゃってた言葉です。
確かにコロナは人間にとっては都合が悪いです。しかし、人間社会という枠をはずし生命の多様性を考えるとコロナの存在は我々に害があるかどうかは関係のないことでしょう。これまでの歴史を振り返ると天然痘、ペスト、スペインかぜなども人類を脅かしました。ただそれも養老さんの言葉を借りればそれらも多様性の1つということです。もはや共存するしかありません。
ただ現在は世界はグローバル社会で政治経済が複雑な状況でありコロナの感染拡大は大変な問題です。この状況の長期化による経済的不安、健康的不安、自粛ストレスなどが私たちを苦しめております。
だからこそ、今はもしかしたら制限の中の多様性が必要なのかもしれません。それは身近な人同士の助け合い、生活の工夫の仕方、1人での時間の過ごし方などの知恵の多様性です。
対してbeforeコロナ時代は制限のない自由な中で人々はリアルである場に集いそれぞれで豊かなカルチャーを形成してきました。そのおかげで多様なカルチャーがうまれ、本やネット上にはその蓄積が残ってます。
それを今はじっくり味わいながら来るべきときにまたカルチャーをつくり出していくことがこれからの希望であり人間の価値であるように思います。
よって今は立ち止まる時です。力を蓄える時です。動き回るだけが人間の価値ではありません。立ち止まって沈思黙考し広く深く想像力を働かせましょう。そこから知恵が生まれてきます。事実これまでは人間は立ち止まったり、動き回ったりして変化に順応してきました。災害やパンデミック、政治経済の変化などに対応してきました。
そして今立ち止まって自宅から外を見れば自然は何も変わってません。毎年のように春がきて夏がきて秋がきて冬になります。4月である今は近くの公園では桜が咲いてます。
人間社会はバタバタしておりますが、空は今日もまた綺麗に晴れ渡り爽やかな気持ちを誘います。と同時に、結局我々は自然の一部でしかないという人間のちっぽけさも感じます。
コロナも人間も自然の一部なんだと。パスカルの言う通り、我々は1本の葦なのかもしれません。
「人間は一本の葦にすぎず自然のなかで最も弱いものである。だがそれは考える葦である」パスカル
緊急事態宣言後の今、フラジャイルな私たちはこれからできることを考え知恵を集積する時だと感じた1日でした。
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