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【09】他者を認めつつ、適度な距離を置くことが没頭する自己を確立する『自分探しと楽しさについて』森博嗣

自分探しという言葉は大学生のためにあると思う。
時間を持て余した大学生は、野宿しながら自転車で四国や九州を一周したり、1日で220キロ走って動けなくなったりするものだ。
観光地を巡るわけでもなく、名産品を食べるわけでもない。
ただペダルを漕ぎ続けることは辛いけど楽しかったことを覚えている。

そんなモラトリアム時代を過ごした大学で助教授をしていた森博嗣さんのエッセイ
『すべてがFになる』などシリーズで小説を量産しているお方で
このエッセイもトータルで約十二時間で書き上げた驚異の執筆スピードの持ち主

そんな著者が自分探しと楽しさについて淡々と語る。
改めて自分探しとは不思議な言葉だと思う。
「自分」は、「他者」以外の概念として捉えるものであり、その思考はすなわち「自分」と言える。
そんな自分は探す対象などではなく、当然に存在するものである。

ではなぜ自分探しが行われるのか。
思考に頼りすぎることが一つの原因と考えられる。
思考するだけではなく、行動する、もっと言えば没頭することが自分を見つけることになる。
昔ながらの修業が没頭に通じることは興味深い。

もう一つ印象に残ったのが
「簡単な工作セットを説明書どおり作った気でいても、傍から見たらそれは明らかに、「作らされている」姿である。」
現代では多くの商品・サービスが丁寧に用意されている。
消費者は短時間でお手軽に物事を体験することができる。
しかしながら、それは作られたものであり、自分で見つける楽しさとは別物である。
これまで無自覚だったが、作られた楽しみかどうかは認識したい。

他者を認めることが自己を確立する。ただし、自分や自分の楽しみには他者を入れないほうが望ましい。

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