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不治の病人

「病人」
 ⇒「病気になった人」のこと。

この意味は
皆さんが
ご存知の通りです。

「治る人」
「治らない人」

どのような違いがあるのか考えてみましょう?

「病気になって治る人」
「病気になって治らない人」。

前者は、どういう人なのでしょうか?
後者は、どういう人なのでしょうか?

誰にも
理解できない

「難しい問題」

存在しているのです。

誰でも
発病しやすく
治し易い
病気だから
治るのか?

病気が軽いならば
治し易くて、
重くなれば
治し難いからなのか?

重病だから
治りにくいのか?

病気が分からないから
治りにくいのか?

様々な理由が考えられる。

でも
死にかけた人の話を、
よく仕事で聞くのですが、
共通点があります。

①このまま死ねないと思う人
②意識不明で運ばれて、
 気がついたら病院にいて
 助かったと思う人
③この病気は、これまでの人生が
 間違っていたというサインだろう
 と考え、再修正するチャンスだな
 と思って生き方を変えた人
④三途の川を渡っていたら誰かに
 呼び止められて戻ってきた人

意外と思いますが、
不思議と病気とは
関係ない話ばかりが多かったです。


逆に治療の甲斐なく亡くなった人にも、
共通点があります。

①医師の指示どおりに
 成功率の低い手術をした人
②医師の指示どおりに
 副作用が強い薬を飲んだり、
 特殊な高額治療をしている人
③医師の指示どおりに
 節度ある生活をした人
④病気のせいで
 自暴自棄に陥っている人
⑤病気のせいで
 「うつ病」を患ってしまった人
⑥生まれつき心配性で、
 神経質な性質を持った人

この場合は、
病気に立ち向かおうとして
力尽きてしまったり、
気力を失ってしまったりする
ケースが多いような気がしました。

このように
「治る人」と「治らない人」には
何かしらかの差があるようです。

だからと言って、

「ポジティブな考えを
   持った人が治るのだ」

という理由で、
カウンセラーの先生方が
患者さんを心理誘導しますが、
それでも
「治らない人」は存在します。

私達のような接骨院にも、

「病気を治して下さい。」

という患者さんが、
よく来院されますが、

「保険診療でお願いします。」

とおっしゃる方

「自由診療でもいいから
   何とかして下さい。」

とおっしゃる方

2分類されます。

しかし、
健康保険において

「病気を治すのは医師」

であり、
医師以外の医業類似行為者は
法律の枠組みの中で
区割りされております。

接骨院(整骨院)の場合
骨折、脱臼、捻挫、打撲、挫傷にのみ
保険診療は適用されております。

したがって

「病気は健康保険適用外です。」

確かに
マニュアルメディスンの中には
病気に対するテクニックは存在しますが、
日本では
保険適用外のため
選択肢の幅が狭くなります。

医師以外の医業類似行為者が
病気に対するには、
患者さんの

「自己責任」

を前提に
各医療資格の特性における
範疇で
自由診療を行わなければ
医師法違反となります。

しかし、
無資格医業類似行為者の場合は
法律そのものが存在しないことを理由に、
患者さんの自己責任ならば
病気に対して

「何でもしていいのだ」

というスタンスをとっています。

だから
誌上広告上
インターネット上
「~は治せる」
宣伝広告を出すことができるのです。

でも
各種整体や民間療法を受診した場合でも、

「病気が治る人」と「病気が治らない人」が
 確かに存在しているのです。

つまり、

「病気が治る人」

  医学的根拠は
  必要なく
  治るシステムが
  身体にあるとしか思えない
  経験をされております。

「病気が治らない人」

  医学的根拠の中で
  治らないシステムを
  信じているパターンを
  見受けます。

医学的根拠とは、
科学的に証明された
再現性のある治療であり、
原因と過程と結果の整合性が
一致したものをいう。


医学的根拠に基づいた治療は、
治癒に結びつく可能性が高いので
現在も重要視されております。

それとは別に
医学的根拠が証明されていない治療は、

「マガイモノ扱い」

として認識されています。

しかし、
医学的根拠のない治療でも
治る事例が
数多く存在するのも事実です。

医学的根拠の中で
未だに
科学的に
証明されていない
モノがあります。

それは・・・

「治癒系」

  →人はなぜ「治癒」するのか?

プロセスについて
科学的に
証明されていないし、
「治癒系」が
人体のどの部分に
存在しているのか
発見もされていない。

結論は、

「人が治癒する
  プロセスについて
   医学的根拠が存在しない。」

ということです。

「だから治癒系が存在しないのだ。」

とは誰も宣言出来ない。

何故なら、

「治る人がいるということは、
 そこに何らかの治癒系が
 存在していることを意味する。」

からです。

「何で治るの?」
と問われた場合、
「人間には治る力がある。」
と答えるしかないのが、
現状だからです。

もう少し医療技術や科学技術が発展して、
近い将来に、
人体のどこに治癒系があると発見されて、
初めて医学的根拠を
裏付けることが
出来るといいですね。
という
アバウトな返事しか出来ないから、
「病気が治る人」と「病気が治らない人」の
相違点が
医学的根拠として
証明できない理由が
ここにあります。

治癒系の存在が
明らかにされていない中、
「治る」「治らない」という理由を
論ずること自体
おかしい気がする。

「あの治療を受ければ良かったのに」
「あの先生なら治せるのに」
「最新治療だから治る可能性があるのに」

とか病気の人に
アドバイスをしたとしても、

「治る」という確証は無い。

かつて
「治る人」「治らない人」について、
統計的に
調査した
唯物論研究者がおられました。

その調査によると
「治る人というのは、
生まれる前に
人生のシナリオで
治るようになっている。
治らない人は
生まれる前に
人生のシナリオで
治らないようになっている。
だから、
病気は
本人が
選択した
シナリオ通りの結果である。」
と結果を述べています。

シナリオとは、
どんなモノなのでしょうか?

シナリオとは、

「運命」

というものだそうです。

研究者は、
多方面的に
統計を取って来て、
データを集計して
出した結果と報告しています。

人間の中には、
生後0才から6才までの子供たちの中に、
お腹の中での
記憶を持って生まれてきた子が、
数パーセント存在しているそうです。

その子たちの記憶を
データとして
数百人分の
6年間分の記憶を
集めた結果として、
人間は
生まれて来る前に
人生のシナリオを
自ら選んで、
そのシナリオ通りの人生を
テーマとして
どうやら生まれてきているようです。

ただし
6才になると、
その記憶は
何故か消えてしまうそうです。

つまり、
命あるものは
その生を生きるために、
各々テーマがあり、
そのテーマを
達成するために
自らシナリオを書かかなければ、
この世に生まれることは
出来ないようです。

だから
「病気」や諸問題は、
その人がシナリオに書いて、
その意味を理解するために起こる
クイズのヒントのようなものらしいです。

この研究者の報告や著書を読んでみて

「治る人」「治らない人」の差は、
自ら選んだシナリオの結果であり、
誰のせいでも無いのではないか?

と考えるようになりました。

医師、
治療家(国家資格者、無資格者)
治療、
シナリオの中の
エピソードでしかないのです。

だから
人間として生まれてきた以上は、
各々に与えられた
テーマ(使命)を果たすために、
自ら選んで書いた
シナリオを使って
各々使命を果たすことが、
その人が
この世に生まれたテーマなのです。

最新科学でも
解明出来ない世界は、

あるのか?
ないのか?

こんな突拍子のない研究をした
唯物論研究者が
導き出した答が、
神の領域の琴線に
ふれる内容だったのには
何らかのメッセージが
含まれているような気がします。



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