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初めまして!

初めまして!
前々から自分の思ったこと、感じたことをなんとなく文字にしておきたいなと思いnoteを始めることにしました。
会社員として働きながら、音楽クリエイター(職業作曲家)として活動しているAKIHATAと申します。
投稿頻度は少ないと思いますがよろしくお願いします!

さて、コロナ渦で会社員としての仕事もほとんど在宅勤務となり、音楽のことやこれまでの自分のことについて振り返る時間が増えてきたので、
今日はそれを整理してまずは自分の音楽のルーツや、音楽クリエイターの活動を始めるまでの経緯を書いていきたいと思います。

まず、音楽のルーツについてですが、よくよく記憶を辿ると保育園児ぐらいのときから(もしかしたら幼稚園かも)音楽は良いなあ!音楽が好きだ!という感覚があったと思います。
というのも、私は4人兄弟の末っ子なのですが、3人の兄姉はピアノを習っていました。幼い頃から家の中でピアノを楽しそうに弾く兄姉の姿を見ていたので、
自然と音楽の良さに気づいていたのだと思います(ちなみに幼い頃からピアノの音を聴いてはいたものの、いわゆる「絶対音感」と呼ばれる音感は身に付いておりません、残念・・)。
そして、私も小学1年生から兄姉のようにピアノ教室に通い始めるのですが、最初の高いモチベーションはすぐに消え去り辞めてしまいます。なぜなら、私の音楽の興味は俗に言うJPOPに向いており、クラシック系の音楽に心底興味が無かったのです(当時のピアノ教室の先生には非常に失礼な話ですが・・)。
私の興味がJPOPに向いていた要因としては、森山直太朗さんの「さくら」やSMAPさんの「世界に一つだけの花」の2曲が当時大ヒットしていたのが大きいと思います。影響を受けやすい私はめっっちゃくちゃたくさん歌っていました笑 毎日飽きることもなく歌い続け、ついには森山直太朗さんの声マネや歌い方のマネを家族も本人と間違えるほど高クオリティでできるようになっていました笑(声変わりしてからできなくなりました、裏声も出ない、、、)
なのでピアノ教室でもJPOPの曲がやりたかったのですが、「どんな曲をやるにも基礎が大事」というなんとも言えない理由でバイエルやらソルフェージュを強要され、モチベーションは消え去るわけです。今思えばちゃんとやっておけばよかったなと思うんですけどね・・・当時の私にはその重要性は理解できずピアノ教室への情熱は無くなりました。
一方で私のJPOPへの熱はどんどん溢れていきました。先ほど挙げた2曲以降にも平井堅さんの「瞳をとじて」や、ゆずさんの「栄光の架橋」、一青窈さんの「ハナミズキ」等々、大ヒット曲と呼ばれる作品が次々にリリースされ、JPOPの素晴らしさに毎日浸っていました(声マネのレパートリーも増えていきました)。
併せて私の兄はMr.Childrenさんの大大大ファンでよく曲を家の中で流したり歌ったりしていたこともあり、私もその影響を受けまくりました。
そして、私が将来音楽で飯を食べたいと夢見る瞬間が小学校6年生のクリスマスの日に訪れます。その日、現在は活動休止中のレミオロメンさんのライブがあり、母と一緒に行きました(ちなみに母によるサプライズでライブに行くことは知らされず一緒に出掛けておりました)。そして私はそのライブがあまりに素晴らしすぎて、私もああなりたい!と強く思ったわけです。この日を境に音楽に向かう姿勢が変わった気がします。私はギターを得意楽器としていますが、ギターを始めたのもこのときのレミオロメンさんのライブがきっかけです。
この小学生時代が私の音楽のルーツの中で一番色濃い期間だったと思います。
中学生になってからは同級生とバンドを組んで、ろくにコピーもしないでオリジナル曲を作って披露していました(ちなみにギターボーカル担当)。バンドは高校3年生まで同じメンバーで続け、オリジナル曲はそれなりの数になりました。基本的に私が作詞作曲アレンジをして、メンバーがアレンジの細かいところ補強していきオリジナルは増えていきましたが、将来音楽でやっていこうと考えていたのは私だけであったため、本格的に受験勉強期間に入る直前で解散しました(バンドメンバーとは現在でも連絡を取り合ったり、年に何回かご飯にいったりしています)。
ギターボーカルをしていましたが、自分の歌声を売りにしたいという欲はなく、曲を作ることに楽しさや面白さを感じていたため、大学生になってからはもっとちゃんとしたクオリティの曲を作れるようになりたいと思い、本格的にDTMを始めました。なんとか大学4年間でそれなり(と言ってもまだまだクオリティアップしなければならないところが多いですが)に作れるようになり、大学院から歌手活動している方(ちゃんと事務所に所属している)に楽曲提供するようになりました。音楽クリエイターとしての活動はこんな感じで大学院に入ったぐらいから始めたわけです。

ざっくりした音楽のルーツと現在の活動開始に至るまでの経緯を書いてきましたが、今の私は最初にも書いたように会社員として働きながら音楽クリエイターとして活動しているのでまだまだ音楽だけで飯が食えるレベルには到達していません(時代も変化して音楽だけで飯を食うという、昔からプロを目指す人の考え方も古いと言われてきていますが)。
さらなるレベルアップとコンペへの挑戦機会を増やすために現在某クリエイターコミュニティに参加しております。

これからこのnoteでは音楽クリエイターとして活動していく中で感じたことや、DTMのこと、今回のように自分のことなどを書いていこうかなと思っていますので、興味のある方は読んでいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします!