様々な変化が自分を成長させるキッカケになる-Story②
こんにちは!
今回は主に中学時代を遡ってみたいと思います。
前回のストーリーでも書いたように、小学生の最後はスランプや人間関係からもやもやした自分が居ました。
◆ 環境の変化、心境の変化
◆ 新たな決意。世界を目指す!
◆ 大きな挫折。なぜ自分は勝てないのか?
◆ 環境の変化、心境の変化
そんな自分から抜け出せたのは環境の変化が一番大きかったです。
大きな変化として2つありました。
・中学に進学したこと
・地元のスイミングスクールから京都の強豪スイミングスクールに移籍をしたこと
です。
まず、中学に進学したことで、それまで3クラスだったのが一気に12クラスに増えました。僕の通っていた藤森中学は京都でも1,2を争うマンモス校で、色んなスポーツ選手や芸人さん、著名人の方が卒業された学校です。
そんな学校に進学して変わったのが周りの友達です。
1学年400人くらい居る学校だったので本当に色んな人が居ました。卒業する時でさえ名前の知らない同級生もたくさん居たと思います。
それだけの人数が居れば俗に言うヤンキー(不良)もそれなりに居ました。
僕は兄や姉が居たおかげで、不良の先輩たちからは「〇〇ちゃんの弟ー!」と言って可愛がられていたのを覚えています。
もう一つの変化としてはスイミングスクールを移籍したことです。
水泳を始めてからはずっと家から近いスイミングスクールに通っていたのですが、担当のコーチが辞めるのと同時に、京都でも有名な京都踏水会というスイミングスクールに移籍しました。
練習環境が変わり、一番感じたことはとにかく“練習が楽しい”という事でした。
何が楽しかったのかは詳しく思い出せないのですが、純粋に“水泳を楽しめていた”ように思います。
◆ 新たな決意。世界を目指す!
それと同時にちょうど2000年のシドニーオリンピックがありました。
たまたまスイミングスクールの先輩が出場していたこともあり、母親とシドニーまで応援に行きました。
大きな会場で日の丸を背負って戦う先輩の姿に感動をし、それまで感じたことのない高揚感に包まれたのを覚えています。
自分もここで泳ぎたい、日本代表になりたいと強く思うようになりました。
そんな様々な環境の変化を経験しているうちに、いつしかもやもやした自分はすっかり消えており、夢や希望に満ち溢れた自分になっていました。
水泳の方も順調で、全種目をそれなりに泳げていた自分はコーチの指示もあって、中学1年で専門種目をバタフライから個人メドレーに変える選択をしました。
それが功を奏して、自己ベストもどんどん更新していきました。
中学2年の時には全国でも勝負できる記録になり、その年の全国中学校水泳競技大会では6位に入賞。同時に、初めて日本水泳連盟が定めている「ナショナル強化選手」の標準記録も突破しました。
ナショナル強化選手になると“JAPAN”と書いたジャージや水着をもらうことができ、ナショナル合宿という全国の中学1年〜高校3年までのトップスイマーが集まる合宿にも参加できます。
当時の自分の目標の1つでもあったので標準記録を突破できた事はすごく嬉しかったです。次の年のジュニアオリンピックでも13~14歳の部で優勝することが出来ました。
当時は家族や友達、親戚までもが「絶対にオリンピック選手になれよ!」と僕の水泳に期待をしてくれていたと思います。
◆ 大きな挫折。なぜ自分は勝てないのか?
そんな自分が立てた中学3年の目標は全国中学校水泳競技大会での3冠でした。個人種目の200m、400m個人メドレー、チーム種目の400mフリーリレーでの優勝。
しかし、結果は400mフリーリレーは優勝できたものの、200m、400m個人メドレーでは2位(200m)、3位(400m)で3冠どころか個人種目では1つも優勝することは出来ませんでした。
結果的には金、銀、銅メダルとチームの総合優勝という周りから見れば十分な結果でも自分の中ではこれっぽっちも満足出来ていませんでした。
その時に改めて“目標を立てて達成できなかった時の悔しさ”を味わいました。なぜ優勝できなかったのか・・・
練習はしっかり出来ていたし、調子も悪くなかった、勝てる実力も持っていたと思う。
後に高校の恩師から言われたのは「全中で勝てなかったのは人間的に未熟だったから」ということでした。
確かにその時の自分は「自分さえ良ければ良い、水泳さえ頑張っていれば良い」と考えていたかも知れません。何でも思い通りで、大会や練習で調子が悪ければ、サポートしてくれている親や周りにまで“反抗期という言い訳”で当たっていたように思います。
今、思い返しても嫌なヤツだったと思います。
そんな自分も高校に進学し、また環境の変化を経験します。
僕の通っていた京都外大西高等学校は5月から全員が学校の外プールで練習をしており、その時期のプールの水温はまだ20℃くらいでした。まともに練習が出来ない環境にまたしても苦労し、もがいていたのを覚えています。
しかし、高校の水泳部に入って、まず教えてもらったのは水泳のトレーニング方法でもフォームでもなく、“人間形成”でした・・・
どんな事を教わったのか?
など高校時代のストーリーはまた次回書きますね。
今回も最後まで読んでいただき誠にありがとうございました!
また宜しくお願い致します!
山本哲史(Akifumi Yamamoto)
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スポーツを軸にビジネスを展開しているスポーツベンチャーです。
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