岸本佐知子 『気になる部分』/『ねにもつタイプ』/『なんらかの事情』
★★★☆☆
翻訳者である岸本佐知子のエッセイ集。それぞれ2000年、2007年、2012年発刊。俗に言う岸本佐知子三部作です(言わないですね)。
どれから読んでも同じテイスト、まるで金太郎アメのようです。タイトルが7文字なのはこだわりなのでしょうか? リズム?
はたしてこれをエッセイと呼んでいいのか、いささか迷います。なんというか、自由すぎる……。
ふつうはエッセイというと、作者の身辺雑記が中心であり、本書もその類であることは確かなのですが、〝身辺〟の範囲がものすごく広いです。
平たく言うと、岸本佐知子の頭の中までをも含めた身辺雑記なので、実際に起きたことも起きていないことも、事実も想像も過去も現在もすべて一緒くたになっています。
そんなわけで、どこまでが実際にあったことで、どこからが想像(あるいは空想、妄想、記憶)なのかが判然としません。昔、乙一の『小生物語』という創作日記のようなものを読みましたが、近いものがあります。創作エッセイ。
というわけで、ふつうのエッセイと比べると、内容から作者の実生活を想像するのはむずかしいです。とはいえ、全体の印象から人となりを思い浮かべることはできます。
なんというか、実に不可思議な人です。子供のままの感覚をそのまま持って大人になったというと、あまりに定型的な物言いですが、当たらずとも遠からずではないでしょうか。
しかし真剣に考えてみると、大人の思う子供らしさというのは案外大人の創作である部分も多く、子供というのはそれほどイノセントでもピュアでもないんですよね。子供は大人の顔色を窺うし、空気も読みますから。語彙が少ないので表現力が拙いところは否めませんが、いろいろなことをわかっています。感覚的に世故に長けている子も少なくありません。
岸本佐知子はそういう子ではなかったようです。全然。まったく。
学校で一人、二人はいた、なんとなくぼーっとしていて、何を考えてるのかよくわからない不思議な子のカテゴリーに属する子供だったのでしょう。そのぼんやり感を失わずに大人になったわけです。
だいたいはどこかの段階で矯正させられるものですが、そのまま成長できたのは希有なことです。貴重種です。保護しないといけません。
文章はリズムがよくて読みやすいです。さすがは名翻訳者。
内容は先にも述べましたが、奇想天外、摩訶不思議な味わいです。肩の力を抜いて、くすくす笑いながら読めます。
いろいろな人がいるものだなあと、空を見上げたくなります。