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なぜ夢を叶えたい

『努力すれば夢は叶う』
かつては幸せになりたい人々を励まして、鼓舞する慣用句だった気がする。
多くの先人たちのように、ただ生きるために働くのではなく、自分の個人的な夢を追って実現できれば幸せになれるはずだ。と言う発想だっただろう。そんな発想が出来るくらい人間社会に余力があった時代だったのかもしれない。

時が経つうち、努力はしなければいけない、夢を持って叶えなければいけない。君の夢は何だ? 人生で達成したいことは何だ? 早く見つけろ。さもないと負け組になる、という呪いの言葉になっている気がする。

たぶん幸せになることと、上記の慣用句はほぼ関係がない。
と思う。

この世の中には、
自分の努力だけで何とかなることと、
結果に他の人たちの意向動向が関わること、
の2種類があると思う。
そこの境界線を掴んでいないと、無駄な無理をするようになる。

①音楽が好きだからミュージシャンになりたい
②有名なミュージシャンになりたい
と言う夢は、だいぶ違う。
職業が何であっても、そこに有名な、とか、成功した、お金をたくさん稼ぐ、影響力のある、などの条件がつくと、夢の本質が違ってくる。

好きなことをやりたい、その好きなことの技術を磨いて良いものを創りたいって言うのが夢の中心核なら、まずは自分一人でコツコツやっていれば、そのうちなんとかなる。それは何とかなる。やりたいって思いを胸に感じて、エネルギーと時間を注いでれば、確実に少しずつ上達する。機会が巡ってきて、それを職業にし、お金を稼ぐこともできる可能性がある。そして誰かといっしょにそれをやって、働くようになることもあるだろう。そんなにハードルの高いことではないと思う。私がこの人生で出会った人々を見てきた実感でしかないけど。

ここで大切なのは、自分が好きなこと、やりたいことをやっているという実感だと思う。
やっていることそのものが目的で、と言うか、目的と言う言葉さえ頭に無い状態、3歳児が遊んでいる状態で、つまり無我夢中で楽しい・幸せだと実感していること。あくまで自分の満足感、充実感が軸になっている活動。もちろん、仕事になってしまうと、お金の対価として要求されることは出てくる。期待に応える必要性が出てくると、楽しんではいけない、真面目にキチンとやらなくてはいけないモードになったりする。
大切なのは、やっている時に胸の中心で身体全体で、少しでも喜びを感じているか。期待に応える真面目モードの時は、たぶん頭だけでで考えながらやってしまう。それだと魂が篭らない。そこに気をつけて自分がそれをやっている時の幸せ感を失わないようにバランスをとることを忘れないようにする。

最初から、自分が良いと感じるものを良いと言ってくれる人がお金を払ってくれればいい、というラインを設けると『期待に応えるモード』にハマりにくくなるかもしれない。あくまで、自分のやりたいことをやっている時の幸せな感覚を守っていく夢の叶え方。人生の旅の道すがら、いつでもほんのり幸せ感がある生き方。

一方は、ー旅の道の最後に成功者・有名人としての自分の像があって、その自分になるための努力しかしない生き方。

そこでは、がんばりだけが頼りになるかもしれない。その道を歩いている間中、今の自分では不充分なのだ。いつか充分価値のある成功者の自分になるのだ、頑張ろう! 諦めるな! やれば出来る! そうやって突っ走って、未来への希望と気合いと興奮だけが旅の友では、疲れて燃え尽きて当然だろう。

売れて有名になりたいとか、金持ちになりたいとか、成功者の仲間位入りしたい、などの条件のつく夢は大抵、燃え尽きるコースを辿ると思う。
まずは他者が必要になる。
まずは他者の期待に応えるところから始まる。
誰かが、自分の創ったモノを気に入ってくれて、買ってくれて、褒め称えてくれないと。しかもたくさんの人が。物凄くたくさんの人が。

そうすると、人に気に入ってもらえるモノを創ろうとする、気に入ってもらえる言動をするようになる。意識が常に、他の人の動向に、自分の外の世界に向く。たくさんの人が好み、求めるものを、それだけを探すようになる。

見つかって、それを創造出来て上手くいくこともある。多数では無いけど、有名人・成功者になれることもある。いつまでも上手くいかなくて諦めざるを得ないこともある。

上手くいって成功してそのポジションに長く居続けられることもあるし、ポシャることだってある。

飽きられてポシャる。頑張ってるから燃え尽きてポシャる。人のニーズを満たすために何かをし続けることは、頑張る以外に力を出し続けられないのかもしれない。しかもそれがその人たちを喜ばせ、幸せにすることが真の目的ではない。そうすることで自分が成功者になりたい、が本心だろう。

それだと、創造物に受け取る人への愛がこもらない。もともと無いから。そうすると表面的にだけ、目新しくなった感だけで勝負するようになったりする。頑張るしか無い。ずっと続けられなくて燃え尽きてしまう。燃え尽きないで、手品のように手を替え品を替え頑張っていられる人たちは今の時代、ポピュリストと呼ばれる。たぶん重度のサイコパスだろうと感じる。その人たちを見るたび、苦しそうだなと思う。

そもそも、それをやってる始めから終わりまでまでずっとポジティブに頑張っているだけなら、苦しいのではないか。ポイントポイントで達成の喜びがあったとしても、それは興奮で、身に染みるような幸せ感がとは違うのでは無いだろうか。私の実感では、違った。個人の体験でしか無いけど。

自分がやってて幸せなことで成功者になればいい。それの方が希望は感じられる。ただ自分が好きに創ったモノをたくさんの人が好きになってくれるかどうかはわからない。成功者・有名人になれるほどのたくさんの人々がお金を払ってくれるかどうかわからない。

だからと言って、知らん人たちに自分の作ったものを好きになるようコントロールすることはできない。それをやろうとするのが広告だけれど。サブリミナルとか無意識に強制的に買わせる手法もたくさん考えだされ、使われているけれど。

それを使うのであれば『気に入ったから買って使う』のでは無くなる。
コントロールされて買った。
自分の自由意思とは関係なく買った。
になるだろう。
それでも成功できれば満足か?という問いは残る。そして、たぶん100%、コントロールビジネスはコケる。時間の問題なだけ。

自分が好きでやったことを好きになってくれる人がどのくらいいるかはわからない。人の好みはコントロール出来ない。
それは、どうやっても出来ないし、やらない方がいい。コントロールビジネスでお縄になる人はたくさんいる。

じゃ、夢は叶わないのか、叶ってる人たちは特別なのか、叶っても不幸なのか、ってなる。
『夢が叶う』だけにテーマを特化すれば、たぶん、いろんなことの総合なんだと思う。運も含めて。
正直、決定的な正解なんて、わかんない。

ただ認識して、分析していくとわかることがある。
どうすると幸せ感があるか、頑張って燃え尽きるかは自分の内面で起こることの観察でわかる。世間の中で働く中で、成功するノウハウを学び、どんなコントロールをすると因果応報がくるかなどは、自分の外との関わりでわかっていく。その作業はやった方が無駄な苦労は減ると思う。

そこそこ幸せに生きていこうとするなら、夢を叶えるを目標に立てずに、まずは、やりたいことをやっていけばいいんじゃないかと思う。

やりたいことは、やってると楽しい。
やってて楽しいことは、イヤなことやるより遥かに伸びる。
伸びれば、良いねって言ってくれる人も現れたりする。
それが仕事になることだってあるかもしれない。
大きく成功しなくたって、好きなこと仕事にできれば幸せかもしれないし、仕事にすると好きなことを純粋に楽しめなくなるから、趣味にしておく方が幸せかもしれない。いろいろ選択できる。
でもさ、好きなことは好きなことで、ただやっていれば幸せだから、ただやって、その幸せを充分味わえばいい。

人間として生まれたら、何かやりたくなるものだ。
何もしないのは暇過ぎる、退屈過ぎるから。
やってて楽しいことだけは、いくつか持っていた方がいい。
少しでも時間がある時、やりたくなること。
世間の価値基準を無視して、自分がやって楽しいこと、やりたくて仕方がないことがあると、生きやすいと思う。

そのやりたいことを夢と言ってもかまわないと思う。自分がやりたいこと、自分が夢と呼んでいるものの本質をわかっていればいい。
最初は漠然としていても、やり始めたら、やってる実感が教えてくれる。何が楽しくてそれをやるのか。その楽しさの核心は何か。
それが感じられていれば、感じているその感覚が、きっと世間の声に惑わされても、ブレない自分に戻してくれる。
そんな気がする。

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