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精神限界、学校休んで一人旅。帰宅一週間たって振り返る。

半年前から尿が濁り始めていた。そして最近学校に行くと耳鳴りするようになった。原因や関係性は分からないが少なくとも体が泣いているのだと感じて学校を休むことを決意。そのことを私の高校の先生や信頼する方、友達に相談したところ、好きなことをやってみようという話になり、一人旅に行くことに。

一人旅の直前に泌尿器科に行って検尿したが成分的に全く問題ないといわれた(検尿時の尿は濁っていなかった)。性病とか夢精ではと疑われたが、どうして童貞の高校生男子が起床中に二日に一回夢精するだろうか(朝の排尿では濁らず、夕方濁ることもあった)。もし夢精で無ければ珍しい病気の可能性(脂肪が尿に溶けるとか言っていた)、珍しすぎるからありえないと言われた。夢精や性病が有り得ないことを伝えたが「まあ成分は問題ないので経過観察で」と押し切られた。尿濁ってるやつは尿がどうなったら経過観察で再診に行けばいいのだろうか。泌尿器科に行った後耳鼻科に行く予定だったがこの診察を受けて行く気が失せた。

旅に出た。ノープランで北海道&東日本パスを買い、普通列車を乗り継ぎまくった。パスの都合上最大でも一週間の旅だった。

一日目は仙台のアパホテルで銭湯の前に座っていた新潟出身のおじさんとだけ話した。経緯を伝えるとジュースと夜ご飯を奢ってもらえた。FXみたいな投資の勉強はした方が良いぞと言われた時は投資部部長としてFXは投機では?と反論するか迷ったが、テクニカル取引を崇拝していたようだったから説得するのは面倒そうだったので止めた。そのおじさんは家と仕事場しか行き来しない東京に住んでいた頃の経験を「犬みたいじゃない?」と言った。なんか心に残る言葉だった。

二日目~六日目中略。まあちょこちょこ人と話しながら5日目は遺跡の前で知り合った一人旅している大学生と一日秘湯行ったり一緒に過ごして、人肌が恋しくなり一日早めて帰宅決意。帰宅ももう電車乗り換えが面倒すぎたので高速バスを使った。

6日間の旅だったが、何か劇的な変化は無かった。ホテル生活って金ハンパなくかかることと、目的の定め続けることの息苦しさを体感したぐらい。多分旅を攻撃したのはSNSとかスマホかな。旅行ってた時はスクリーンタイム毎日13時間くらいあった。そのスクリーンに映ったものはもう全く覚えてないけど旅のことは多少印象に残っているから、自分の人生はスマホにかなり汚されていると思う。

一方で僕の今大切な人間関係というのはスマホが無ければ同じようには出来なかった。悩みの相談もスマホかPCが無ければ出来なかっただろう。ん。出来なかったのかな。スマホが使えないなら使えないなりにその環境に適応していく気がする。

委員長として仕事ドッサリある(旅行中も明け暮れてた)学校の行事が終わったらスマホ捨てようかなとか思い始めつつ、他の話も書きたい。

学校に戻ってからは、旅に行っていたのはSNS通じて先生たちにもばれていたみたいだが何か言われることはあまりなかった。耳鳴りも治って、尿も今のところ濁っていない。関連性は未だ分からないが、治ったのは治ったのだから、親の「旅に行ったら本当に治るのか?」と返答のしようが無い変な反対をされても旅に行くことを決めたのは私の読みが当たったということで満足である。

元々将来の夢が小1で21個あったのが急速に激減し小学校卒業するまでには夢がある子を羨むようになっていた。ずっとない状態で、段々と、自分のように途方に暮れた感情になっている子が発育できる場所を作りたいという感情が芽生えたのが去年始め。それは変わっていない。絶対に教育に携わりたい。私は人の感情を深く理解しようとすることが好きだから、子どもに対しても分かった気にならずより深い関係を築いていこうとすることが出来る。

だが私は生気がない。。という文章を書く予定だった。ちなみにひとつ前の段落の頭には私には夢が無いという文章を書いていたが少し書き始めてあるやんと消した。

私はほんとうに生気が無いのか?耳鳴りしていた時点で自分はうつ病なのではと疑っていた。そういう先入観の中で辛そうにすることで何か満足を得ているのではないか?

生気がない。好きなものが無いという話を何度か友達に相談したことがあるが、言いながらもそうではない気もするという感情がどこかにあった。実際ゲームはめっちゃ好きだし私はかなり活動的な人間である。学校の中では活動的と言って私をイメージする人は少なくない(それもあんまり不服なのだが)

不服な理由を挙げると、活動的だというのは何の長所でもないと思っているからだ。ん、いや、長所だとは若干思うが、長所などでは無いということがとっても気持ちいいからだ。まあ実際大したことではないと思っている。やりたいと思った事を周りが渋っている中でちょっと速く実現すれば活動的だと評価されるからである。一回やっちゃえば二回目以降は苦にならない。なんなら遅さが好奇心を削る。

誰しもが自分を天才だと思いたい。いつかその欲は切り捨てられる。特に進学校に入ると自分を環境の中で相対化し「自分ってそうでもないかも」と思う瞬間が訪れる(逆もあるw)。勉強がとてもうまくいっている訳では無いが、私は自分に絶対的な自信がある。その自信は教育に人生を捧げたいと思い始めた高一の最後、コロナ渦でより強固なものになった。自分でも何故かは分からないが、周りをあまり気にせず、悩む時も自己完結型で悩む。

そのつもりだったが実際にそうなのだろうか。自己完結型で悩むというのは「あの子より勉強できないどうしよう」ではなく「やばい理解できない分かんない理解したいけどどうしようううううう」といった具合なのだが、「周りを全く気にしていない」と断言することが周りを意識するやつのあるあるパターンなので怖くなった。しかし、この断言にはあまり違和感を感じない。私が違和感を感じないときは珍しいから多分あってるんだろう。

文章を書いていると普段会えない自分と会える。頭の中で考えているとどうにも自分から抜け出せない。そういえば二年間くらい授業のノートを真面目に取っていない。取ってみたら新しい自分と会えるかもしれないな。

いやあ、俺やっぱり面白い奴だなあ。

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