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愛されていた、お弁当

美味しいご飯は人を幸せにする。
誰と食べるかも大切だけど、誰が作ってくれたのかもすごく大切。

これは私がご飯を作る側になって、食べたいと思ってくれる人がいることはこんなに幸せなことなんだと気付いた切ないお話。


できちゃった婚だった私には「結婚」というものの全容がまるで分からなかった。
妻としても母としても、右も左も何も分からなかった。

出産して間も無く、私は夫のお弁当を作ることになった。
まだ小さな長女の世話をしながら、夫のお弁当を毎日作るなんて至難の技だったけれど、みんながこなしているそれが夫婦のカタチなんだと、疑問を持たなかった。

主婦初心者の私が作るお弁当は、二段弁当の上の段には前日の夕飯の残り物と冷凍食品。
下の段には詰め詰めに入れた硬いケーキみたいな食感の白ご飯…というのが定番だった。


特別美味しくもないであろうそのお弁当を、夫は毎日完食して帰って来た。
しかしある日、いつものように完食したお弁当を流しに持ってきて夫は言った。

「いつもご飯がケーキみたいだから、もうちょっとふわっと入れて欲しいんだけど…」

建築系の力仕事をしていた夫はとてもよく食べた。
だからお腹いっぱいになるように詰め詰めに入れてたのに…育児で余裕のなかった私は、思いやりを否定された気がして、その言葉に冷たく返した。

「文句言うならもう作らないから。」

それからケーキみたいなご飯の入れ方のことは言わなくなった夫だったが、ある日また完食したお弁当を洗い場に持ってきてこう言った。

「そろそろ、保温弁当買わない?せっかく美味しいカレーだから、弁当でも美味しく食べたい。」


今となっては考えられないが、初めての家事育児に忙殺されていた私は、前日に作ったカレーを冷たいままお弁当に入れていた。

「朝から温めて作るの大変なの、分かってる?」

ここでも私は冷たく夫に返した。

それからもしばらく、いつまでも未熟な私のお弁当を夫は残さず食べ続けてくれていた。


数年後、めでたく次女が生まれた。
だけど幼い子ども2人育児の、あまりの大変さとホルモンバランスの乱れから、ひどい産後クライシスに私は陥ってしまった。

そんな私を見かねて夫はしばらくお弁当作りを中断してくれた。

経験した人にしか分からないけれど、私の産後クライシスはとてもひどかった。
何に対してもイライラして、子育てや結婚生活の全てが自分だけにのしかかっているような感覚から抜け出せず、夫とも喧嘩が絶えなかった。



どんな夫婦にもうまくいかない時期がある…相手がとても憎く思えるときもあれば、全てを捨てて別れてしまいたくなるときもあるだろう。

長年連れ添った夫婦は相手の嫌なところを見ないようにしたり、うまくスルーして逃げたり、時には話し合いを重ねながらほんとうの「家族」になっていく。
そうして歳を重ねたとき、相手と一緒になってよかったと思えるんだろうか。

残念ながら私にその機会は与えられなかった。


なぜなら夫が事故で急逝したから。





私は突然、もう夫のお弁当を作らなくてよくなってしまった。


なぜ、ケーキのようなお弁当をやめてあげなかったんだろう。
なぜ、保温弁当を買ってあげなかったんだろう。
なぜ、早起きして、温かいカレーを作ってあげなかったんだろう。


なぜ、もっと優しくしてあげられなかったんだろう。


どうして人は失ってからでしか、大切さに気付かないんだろう…



夫が亡くなって、10年が経った。
幼かった子どもたちもずいぶん成長した。

私のお弁当はまだまだ未熟だけど、もうご飯を硬いケーキのようには入れなくなった。
前日のおかずも冷凍食品も入れるけれど、イライラしながらお弁当やご飯を作ることはなくなった。

食べてくれる人の顔を思い浮かべるだけでもう一品おかずを作ってしまう、そんな母親になれたし、娘たちは「ママのご飯が一番美味しい」と言ってくれる。


あなたも、私が作ったお弁当だから毎日残さず食べてくれてたんだね。
私はちゃんと愛されていた。あの時、もっと感じることができていたらよかったのに。

あなたに買ってあげられなかった保温弁当は、子ども達に買ってあげる。

そしてその保温弁当で最初に作るお弁当は温かいカレーにするんだ。




美味しいご飯は人を幸せにする。
誰と食べるかも大切だけど、誰が作ってくれたのかもすごく大切。



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