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エフとキャベツの帽子_7.未来への扉

『金字塔』特別編 エフとキャベツの帽子
 秋帽子
(前回「6.ダイヤモンドの輝き」より続く / 第1回はこちら

7.未来への扉

 妨害が止んだことを確認した東川たちは、《塔》の頂へと向かった。
 戦士たちは、二体の《四法王》をけん制するように、東川の周りに円陣を組む。秘められた力の大きさを示すように、全身を覆う鎧兜がキラキラと輝いている。
 やがて東川は、《塔》の15メートルほど上空に黄金の光を放ち、バスケットボールのコートくらいある、大きな図像を描き始めた。
 扉?…いや違う。もっと大きな構造物だ。
「門…でしょうか?」エフは書き込まれたルーン文字を読み取った。
「夢と…冒険と…巨大なモンスターの世界へ…れ…レッツゴー?」
 それを聞いた恵庭さんが、文字をスケッチしながら派手にズッコケた(オタ仕草)。
「博士の最初のセリフだね。」浩一くんは苦笑いした。
「ハカセ好きの池田氏が、この場に間に合わなくて残念だなあ。」
 元ネタがわからないエフは、「はあ…」とあいまいに答えるほかない。全くオヤジというものは…。勇猛な戦いぶりでハラハラさせたかと思えば、わけのわからないジョークで、こちらを脱力させるものである。そういえば、ジョーンズが「鯆」の女子トイレで浩一くんに偽扉の説明をした時も、何かしょうもない話を織り交ぜていたような気がする。
 やがて、東川は、扉の図像を完成させた。出来栄えをじっくり確認すると、両腕を掲げて、小手の魔力を起動する。ただし、先ほどの戦闘とは違い、素早く連発するのではない。ゆっくりと、直径1メートルほどの光球を創り出し、扉図に向けて、シャボン玉を吹くように送り出した。
 魔力の光球はゆらゆらと宙を漂い、黄金で描かれたルーン文字に触れる。その直後、図像全体が、水面に立った波紋のように、ゆらゆらと揺らいだ。鍵石の力で、偽扉が実体化するプロセスが開始されたのだ。
 その様子を眺めていた浩一くんは、感心して言った。
「ダイヤモンドは、戦闘に役立てるだけでなく、こんな使い方もあるわけだね。
 こんなものを、東川さんはどこで手に入れたのかな。
 そうだ。俺たちが《竜の泉》で会った時、エフは宝石を拾っていたよね。」
「いましたね。私も一緒に拾いました。」と恵庭さん。
「はい。」エフも一応覚えているが、夢の中に暮らしていたようなもので、あまり記憶は鮮明ではない。あの時、どうしてすぐに恵庭さんと打ち解けられたのか、その経緯を思い出せないのである。
 浩一くんは、エフに質問した。
「もしかして、あのダイヤモンドは、《竜の泉》で発見されたものかい?」
 残念ながら、エフは答えを知らない。
「《竜の泉》では、ダイヤは拾えません。よく似たジルコンはあるんですが…。」
 恵庭さんが驚いた。
「えっ、ダイヤは拾えないの?」
「うん。そうなの。
 《竜の泉》のある階層は、王家成立以前にマウンドを建設した、竜の魔法に守られています。竜は、『夢』と『旅』の扉に、ダイヤモンドを使用することを禁じていました。戦いのために戦士を召喚することはありましたが、泉には入らせませんでした。その理由はわかりません。お役に立てず済みません。」
「ふうん。」浩一くんは、不思議そうに首を傾げ、肩に乗っているエフの背中をなでた。
 一つだけ、確かなことがある。
「東川さんは、鍵石を持っているんだね…。」
 ただし、この鍵石は、《塔》に入るためのものではない。《塔》から、どこか別な世界へ向かう扉を開く鍵だ。そんなものがあるとは、トマルダ様を始め、《塔》の誰も教えてはくれなかった。東川にしてみても、誰かが親切に教えてくれたわけではないだろう。例によって、他人の思いもよらない所をうろうろと探し回り、どこかで答えを見つけたのだ。エフと浩一くんには、まだまだ学ぶべきことがあるということらしい。
 エフたちが会話をしている間に、扉の実体化が完了した。
 巨大な扉だ。
 表面は、植物の枝のようなもので覆われている。
 節くれだった幹の中央に、顔のようなものが付いていた。その顔の、口のように見える部分が、モゴモゴと蠢いた。
「願いは一つだけ…」音声は届かないが、エフには、植物の顔がそう言っているように聞こえた。
 東川は杖の光で空中に文字を描きながら答えた。刻み付けるような直線で構成されたルーン文字だ。
「仕えるのは一人にのみ。」光り輝く文字は、そのように読める。
 顔はニヤリと笑い、ウインクしたように見えた。その直後、びっしりと絡まっていた植物は、スルスルとほどけて消えてしまった。
 その時、扉があるはずの場所に、何かが出現した。
「噴水?」
 それは、大量の水だった。プールの底に穴でも開けたかのように、大量の水が空中から噴き出してくる。水流は、《塔》に触れる前に蒸発し、真空中で凍り付いてキラキラと輝いた。東川の杖が作り出す空気のドームに遮られ、ゆっくりと月面に向けて滑り落ちていくようだ。
 続いて出現したのは、虫たちだった。翼を広げたカラスよりも大きなトンボたちが、勢いよく飛び出してくる。直前に捕らえた獲物なのか、頑丈なアゴに生きた小鳥を挟んだ状態の虫もいる。大量の空気が一緒に噴き出しているためか、すぐには死なず、《塔》の外壁に立つ四人に向けて、一斉に突っ込んできた。杖の結界も、この生き物たちは遮らないようだ。
「危ない!」恵庭さんが思わず悲鳴を上げた。
 しかし、虫たちは、扉の向こう側との気圧差によって真空中に吸い出されただけで、東川たちを攻撃しに来たわけではなかった。重力の方向が変わったことに対応できず、やみくもに蛇行・旋回している。そのまま、四人の頭上を飛び越えて《塔》の外壁に近づくと、《塔》を守っているケプリの炎が巻き起こり、トンボの群れを飲み込んでしまった。
 空気の流れが落ち着くと、東川は、最初に噴き出した氷を使って、《塔》の頂と、扉との間に橋を掛けた。橋の上には一定の重力が生じ、空気も保持されている。風に吹かれた木の葉が一枚、ひらひらと裏返りながら、橋の上に落ちていった。つまり、扉の向こうの世界が、一部こちら側に張り出している状態だろうか。
 様子を見守っていた《四法王》は、橋を破壊すべきか迷っているようだ。じっと、扉の向こうを注視している。
 ここで東川は、自分の帽子を取り出した。コートや手袋と一緒に身に付けていたものが、激しい戦闘の中でも奇跡的に…いや、意図的にその形を保っていたらしい。
 東川は帽子を手に取り、何かの呪文を唱えながら、勢いよくクルクルと回し始めた。詠唱が最高潮に達すると共に、帽子は一瞬青白く輝き…。
「あっ、キャベツ…。」
 そうだ。エフたちが半日かけて謎解きに取り組んだ、「キャベツの帽子」がその姿を現していた。
 東川はキャベツとなった帽子を杖に乗せ、皿回しのように、頭上でクルクルと回した。すると、キャベツは次第に大きくなり、通常の10倍以上の大きさとなった。
「なんだか、ピザ職人が生地を広げているみたいですね。」恵庭さんが感想を述べる。
 東川は、ピザならぬ巨大キャベツを、氷の橋に投げ置いた。
「これは、エサだな。」浩一くんが断言した。
「なるほど…。」エフも、その説に賛成である。
 あまり知られていないが、キャベツには、ある種の動物を呼び寄せる力がある。キャベツの葉を食べてしまうアオムシを退治するため、特殊な臭いを発して、アオムシの天敵であるハチを招くことができるのだ。念の入ったことに、アオムシの種類に合わせて、別な種類のハチを呼び出すこともできるらしい。
 もちろん、この「キャベツ」は本物の植物ではなく、東川の帽子が姿を変えたものである。害虫の天敵ではなく、何か別の生物を呼び出すために、特別にあつらえたものに違いない。その生き物とは、一体どんな相手であろうか。
 ほどなく、その答えが出た。
 カメだ。宙空のポータルから姿を現したのは、巨大な亀の頭だった。まだ扉の向こうにある全身を含めると、アフリカ象ほどの大きさがあるだろうか。
 エフは驚き、端末の画面から、上空の《塔》に視線を移した。見上げると確かに、巨大な亀が、《塔》の上空に出現しようとしている。悪夢のようなリアリティのある光景に、全身の毛が逆立った。エフは慌てて、浩一くんの肩にしがみついた。
「あっ!あの生き物は知っています。書斎にあった図鑑で見ました。」恵庭さんが声を上げた。
「でも、あれは…。」
 遙か1億年先で生まれる、未来の生物だ。
 それは、人類が滅亡した後の物語である。何度目かの氷河期が終わって海氷が溶ける。また、プレートの移動に伴って海洋底が押し上げられ、海水面がさらに上昇。その結果、地表の大半が水面下に没し、残された陸地には、巨大な湿地帯が形成されるという。植物に覆われた高温多湿の地上世界を支配するのは、哺乳類ではない。巨大な陸棲の草食性爬虫類と、酸素濃度の上昇に伴いサイズが一回り大きくなった昆虫たちだ。
 1億年後の沼地をのし歩く、巨大な草食性爬虫類の代表は、カメである。
 死ぬまで成長し続ける彼らは、条件さえ整えば、とんでもない大きさにまで到達する。巨大化すれば体が冷えにくくなり、温暖な気候と相まって、事実上の恒温性を獲得できる。もはや、じっと甲羅干しをして体が温まるのを待つ必要はなくなるのだ。あまりに大きすぎるため、彼らを襲う肉食獣も限られる。
 若い頃は周囲に生え茂る大量の植物を食べて一気に成長し、首尾よく無敵の巨体を得た後は、「亀は万年」を地で行く長寿の存在となり、気ままに地上を闊歩するのであった。
 つまり、目の前の亀は象ほどもあるが、彼らの種族の基準では…。
「あれはまだ、子どもサイズですね。」恵庭さんが、端末の映像の横に、動画サイトの画像を呼び出して分析する。
 そう言われてみると、何だかあどけない顔立ちにも見える。つぶらな瞳が好奇心に輝く様子は、幼子のようだ。
 子亀は、向こうに置かれたキャベツの緑に誘われ、橋の上に大きな前脚を踏み出した。氷の意外な冷たさに、不安そうな鳴き声を上げる。この子の住む世界には、凍った水面など存在しないのだ。しかし、よほどいい香りが誘うのだろう。意を決して、橋の上を渡り始めた。
 子亀がキャベツにかぶりつこうとする直前、東川が魔法を解き、帽子は元の姿と大きさに戻って、東川の頭の上に納まった。
「くぅお?」
 子亀は困惑して、キャベツがあるはずの場所の匂いを嗅いでいる。その隙に、東川は子亀の甲羅の上によじ登った。背中の上から杖を伸ばして、尻の方を突っつく。
「おぉ?くうぉん?おっおおー!」
 びっくりした子亀は、背後で何が起こったのか見ようと、身体を回転させた。扉と向き合うことになった子亀は、そこで初めて、自分が見たこともない異様な世界にいることに気付いた。必死に体を揺らし、悲鳴を上げて助けを呼ぶ。
 すると、扉の向こうから、ぬうっと、長い長い物体が現れた。首だ。
「今度は大蛇か?」浩一くんが頭をひねった。
 違う。これもカメだ。
 ただし、最初に現れた子亀の10倍は大きい。首に続いて、背中や腰に巨大な骨片を乗せた胴体が姿を現した。現生のゾウガメなどとは異なり、頑丈な甲羅は、すっぽりと全体を覆ってはいない。あまりに巨大なため、もはや隠れるための家を必要としていないのだろう。筋肉が盛り上がった、力強い肩が見えた。背骨と共に骨格を支える一部の装甲を除き、余計な甲羅は省いて、重量の軽減を図っているのかもしれない。
 全身のシルエットは、紛れもなく先ほどの亀と同じだ。子どもの悲鳴を聞いて、親亀が助けに来たのだろうか。
 子亀が怪しげな小動物に跨られているのを見た大亀は、邪魔者を払いのけようとしたのか、まっすぐ突進してきた。しかし、橋の途中で足を滑らせてしまう。勢い余った大亀は、子亀の横を通り過ぎ、橋が繋がっている《塔》の頂に、右の前脚を踏み下ろした。
「うわっ!危ない。」
 大亀の右前脚が《塔》の上部にかかると、《塔》はその重みに耐えかねたように、ぐっと沈み込んだ。下から見上げていると、今にも空から墜ちてきそうな低さである。
 これはさすがに、ケプリも黙認できなかったのだろう。《四法王》が動き出し、亀の首に槍を突きつけようとした。しかし、橋と《塔》の接続部を守るダイヤモンドの戦士たちが、盾を掲げてこの動きを制した。
 浩一くんが腕組みをしてつぶやいた。
「この巨体を相手にさっきみたいな格闘戦をしたんじゃあ、《塔》がひっくり返ってしまうかもしれないぞ。どうやって止めるんだろう?」
 今夜の東川の辞書には、「ネタ切れ」という文字はないらしい。《塔》の下側面に四角い開口部が現れると、内側から、白くて細長いものが這い出してきた。
「竜だ…。」
「東川さんのお友達の、永井さんに似ていますね。」恵庭さんが、以前にエフたち一行を助けてくれた竜の名前を挙げる。
 白い竜は、永井さんに似ていたが、より胴が太く、西洋のドラゴンのように見えた。
 這い出した竜は、翼を広げて《塔》の外へ飛び出すと、大亀を威嚇するように、とぐろを巻いて旋回する。驚いた大亀は、《塔》に掛けていた前脚を引き戻し、防御の姿勢をとった。とはいえ、日頃は捕食の危険にさらされない巨体のこと、随分と隙だらけの姿に見える。その間に子亀は、大亀に踏みつぶされないように、橋の上を扉の方へと移動した。その背中には、東川がゆうゆうと腰掛けている。
 大亀を退かせた白い竜は、《塔》の上へと戻った。一列に並んだダイヤモンドの戦士三体の傍らに降り立つと、竜はその姿を変えた。戦士たちと同じ光輝く鎧をまとい、巨大な聖戦士の姿になる。二本足で直立した身長は、背中から伸びた2枚の翼と、たくましい尾の部分を除いても、東川の3倍はありそうだ。
 エフは、信じがたい気持ちでその姿を見つめた。
「ああ伝説の…。
 私たちは今、はるか昔に失われた、おとぎ話の神獣を見ています。
 あの姿は、竜の世界における最強の守護者、金剛石のドレイクです!」
 ドレイクは両手を腰に回して、白金の双剣を引き抜いた。人間には真似のできない、優雅で滑らかで、満身の殺意をはらんだ動きだ。
「シャーッ、カッコいい!」恵庭さんも手を止めて、画面の中の竜戦士に見入った。
 エフは、《竜の泉》で、虹色の頭をした守護者から聞いた物語を思い出していた。
 支配者の地位を失う前、竜の世界には、隠された真実を預かる守護者がいた。守護者に逆らった者には、恐るべき罰が執行された…。
「あの剣はスコルージ、つまり『天罰』と呼ばれています。
 神の振るう、断罪の聖剣です。」
 ドレイクが翼を広げて飛びかかり、剣を振るう。
 巨大な亀は、一撃で首を斬り飛ばされた。小山のような体が傾き、橋の上を離れて、《塔》の外壁へと滑り落ちてゆく。ドレイクがこれを力強い尻尾で跳ね飛ばすと、大質量が壁に激突する前に、ケプリの光が迎え撃った。プロミネンスが渦を巻き、120トンはあろうかという巨体は、火炎旋風の中であっという間に焼き払われた。
 後には、巨大な甲羅の一片だけが燃え残った。炎の中から飛び出した破片に、ひび割れが走る。《四法王》がその破片を手に取って割れ方を眺め、手にした筆で卜占の結果を書き記した。吉と出たのか凶と出たのか、残念ながらそれはわからない。
 確実なのは、大亀の突撃から《塔》が守られ、氷の橋と、東川が乗った子亀も無事だったということだ。
 東川は再び帽子を手に取り、クルクルと回した。大きくなったキャベツを子亀の目に見せつけてから、扉の向こうへと投げ込む。子亀はキャベツを追いかけて、扉へと動き始めた。
「おやおや、よほどキャベツがお気に召したようですね。」スケッチを再開した恵庭さんが呆れる。
 子亀はすでに、大亀の悲劇を忘れたようだ。巨大な爬虫類の知能は高くない。彼らは変温動物のため、餌の摂取量が少なくて済む。つまり、哺乳類や鳥類に比べ、知能を節約できるのだ。人間は体温がたった数度上下しただけで体調に深刻なダメージを受ける。特に脳の働きに多大な影響が出ることは、誰しも体験したことがあるだろう。これに対し、身体が大きいというだけで疑似的な恒温性を獲得している巨大カメ類は、ほとんど脳を発達させる必要がない。いろいろと知恵を働かせなくとも、目の前に現れた餌を追いかけていれば、無事に一日が終わるのだ。
 こうして、亀の甲羅の上に乗った東川は、ダイヤモンドの戦士とドレイクに見送られ、扉の向こうの世界へと旅立っていった。浦島太郎のように、竜宮城へと案内させるつもりらしい。大亀の犠牲は、現在と未来、別々の世界に属する異質な存在が、扉を超えて進むための代償なのだろう。
 子亀と東川の姿が消えると、扉も揺らいで実体を失い、やがて夜空に浮かぶ《塔》の幻影全体が消えていった。束の間のショータイムが終わり、街の上には、いつも通りの星空が戻ってくる。
「魔法のダイヤモンドを鍵石として開く、未知の世界への扉…。
 わかった。わかりました、東川さん。」
 浩一くんが、高く上った満月を見上げて言った。
「未来とは、探すものではない。狙って、引きずり寄せるものなのですね。」
 それを肩の上で聞きながら、エフは頭を抱えていた。知的助言者として恥ずかしいことに、正直、何が何だかよくわからない。
 これだけの大騒ぎを引き起こすには、大変な手間をかけて準備をしたはずだ。特に、金剛石のドレイクを召喚できる力があれば、どんな地位だって望める。《塔》における最高の法執行官にもなれるはずである。今日の事件が、《塔》の上層部に少なからぬ動揺を巻き起こすのは必至だった。
 では、これだけのことをして、東川は、何を手に入れようというのだろうか。エフには、全く想像がつかなかった。あとで恵庭さんに、もう一度、彼の想い人の話を聞かせてもらおう。たぶん、これは愛とか情熱とかの類の、損得勘定を超えたものの領域に属する話なのだ。
 その恵庭さんは、立ち上がって《塔》の幻影を見つめたまま、茫然としていた。
「行っちゃった…。東川さん、蒸し暑いのは苦手だし、飛び回る虫も大嫌いだけど、大丈夫かしら?
 ああっ!そういえば、トマルダ様の謎解き大会はどうなるの?」
 そこへ、頼もしい声が掛かった。
「大丈夫だよ。お前さんは、他人の宿題を手伝わせたら世界一だからな。」
 東川の仲間で、浩一くんを彼らの探索者グループに招き入れてくれた池田氏だ。人を見る目が鋭く、角切坊が偽出題者であることを見破ったのも彼である。東川を「あーちゃん」、美幌さんを「Bちゃん」と呼ぶ、チームのムードメーカーだ。
「おう、遅れてごめんな。ちょっと前に着いていたんだが、取引先から電話が掛かってしまってね。」
 池田氏は中小企業グループの経営者であり、次から次へと連絡が届くため、同じ話題を15分以上続けていられないのが難点である。
「浩一くん。呼んでくれてありがとう。おかげで、大した光景が見られたよ。
 だけど実は、オレはあーちゃんから事前に聞いて、ある程度このことを知ってはいたんだ。ちょいと未来に行ってくるから、円卓を外れるとね。」
 浩一くんは驚いたが、すぐに納得した。
「計画的行動だったということですね。恵庭さんに言わなかったということは、つまり…。」
 池田氏はニヤリと笑い、恵庭さんをヒジでさした。
「あーちゃんが抜けた空席には、この人が座る。
 さっきマーリンから、名札を用意するから正確な本名を教えろと言ってきた。まず、確定だな。謎解き大会の心配もしなくていいぞ。新しい円卓メンバーの紹介が目玉になるから、あーちゃんがどんな出し物を考えていたかは、誰も気にしていないはずだ。」
 トマルダ様の性格からして、お気に入りの恵庭さんで遊ぶ(「かわいがる」とも言う)機会を逃すとは思われない。エフの考えでも、池田氏の予想は的中しそうだった。ちなみに、マーリンというのは、カレー店の前で別れたダイアナのもう一つの姿だ。やけに大人しく去っていったと思ったが、円卓の管理者として、東川の名札を恵庭さんのものに交換する仕事があったわけだ。知らぬは当人ばかりなり。
 ジョーンズが知っていたのも間違いない。思えば、随分と長い間、《塔》の幻影が空に現れていたわけだが、これもジョーンズの操作によるものだろう。さすが映像関係者、幻影が消えるタイミングもパーフェクトだった。きっちりと戦場ドキュメンタリー映像をプロデュースしておいて、ダイアナがいないのはダイエット企画のせいとは白々しい。彼一流の煙幕で、恵庭さん本人は、すっかり誤魔化されてしまったということか。エフは浩一くんと顔を見合わせて、やれやれと苦笑いをした。
「えー。舞台に上がるのは苦手なんですけど…。」事情を飲み込み始めた恵庭さんは、冷や汗をかき始めた。
「はっはっは。あーちゃんが浦島太郎になった一件を、恵庭ちゃんがドローンを駆使してばっちりスケッチしたのはわかっているぞ。ドローンを使ったリモート測量技術で特許を取得した才媛だということもバレバレだ。というか、あーちゃんが《塔》の連中にも教えたからな。
 こんな面白いかくし芸を、《首席出題者》が見逃すわけがないだろう。ショーの主役は君に決めた!と盛り上がっているさ。」
「ええええ。そんなあ…。」恵庭さんはよよと崩れ落ち、ハンカチをくわえて盛大に嘆いた(オタ仕草)。
 エフは、二代目引田天功のような衣装を着た恵庭さんが、シルクハットから次々とドローンを出しているシーンを想像して、思わずクスリと笑ってしまった。
「あー!エフちゃんまで私を笑うのね。」
 池田氏は恵庭さんの肩を叩いて励ました。
「そうだそうだ。エフちゃんに受けたなら、王国の民にもバカ受け間違いなしだぞ!」
「私は、本の虫に人気の博物雑貨販売員であって、エンターテイナーじゃありませーん…。ううううう、トマルダ様のバカー!」
 恵庭さんの絶叫に、一同は爆笑した。

(「8.謎解き大会」に続く)
※この作品はフィクションであり、実在の人物・団体とは、一切関係がありません。

30周年で六角形に!?深まる秘密が謎を呼びます。秋帽子です。A hexagon for the 30th anniversary! A deepening secret calls for a mystery. Thank you for your kindness.