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学生インタビュー86!齋藤涼花さん

🕊出展作品🕊

『果樹みた日より』/齋藤涼花
リンゴの樹(2023年3月に切り取られた部分)

どこをみても真っ白い世界から銀のスコップで桃の木 の枝を掘り出しました。繊細で樹皮を少し傷つけただけでも木が弱って、枯 れてしまうこともあるようです。その日から三年が経ち、わたしは未だ果樹園に通い続けています。大雪のあの日に、樹皮を何箇所か傷つけてしまったのです。本当に枯れてしまうんだろうか。はじめは、確かめたい気持ちで足繁くそこに行き続けていたように思います。 春の匂いがして、草花が芽吹く前にわたしは初めて樹を切りました。切り、もちあげ、土に落ちた枝を拾っての繰り返し。樹皮に刃を当てたときに言われた言葉は今でも覚えている。「自分たちよりも何十年も長生きしているものに刃を入れるということなんだよね」私が傷つけた樹の皮はこの三年で癒合し強く上を向いています。

🕊学生インタビュー86🕊
アーツ&ルーツ専攻 齋藤涼花さんにインタビュー!

齋藤涼花

──どのようなものを研究、制作していますか?

果物(リンゴ、モモ、サクランボ)の栽培に携わりながら果樹という生き物の研究、またそれを形成する環境や時間を、文字・写真・立体を組み合わせた空間として表したりしています。

──制作活動をするうえで大事にしていることはありますか?

果樹や果物という言葉はものすごく多角的な意味を持ち合わせているものだと思います。
それを対象として表現するときに、私が持っている果樹に対する感覚や目線をしっかりと持っておくこ
と。畑に立っていれば見失うことはないのですが、より固く「私がみた果樹」を大事にしています。できるだけ、今の私なりに果樹に対して誠実でありたいと思います。

──卒業制作ではどのようなものを制作しますか。

私は、果樹を私よりもずっと大きな大きな生き物だと思いながら向き合っています。どれか一本の木を
贔屓目にみるのではなく、勢いのある大きな木も弱って枯れそうな木も等しく大きな敵わないものです。
それが、少しでも伝わるような空間にできたら…と思って制作しています。


──大学入学前と比べて、自分自身が変わったと感じるところはありますか。

秋田のおいしいものや、もちろん果物を食べつづけ舌が成長したかなと少しだけ思っています。

──大学生活の中で印象的だった出来事を教えてください。

出来事ではないですが、たつのおとしご(アーツ&ルーツ 4 年)のみんなと同期として過ごせてとって
も幸せで恵まれていたと感じています。それぞれが大切にしていることを少しずつでも今まで大事に育
ててきて、またそれをお互いに知っていて、思いやっていて。そんな空間に身を置けていたから私自身も考えていることをとことん大事にできたのだと思います。素敵な人たち。みんなの展開をこれからも楽しみにしているし、応援しています。

──最後に一言お願いします!

是非、ご来場いただければと思います。よろしくお願いいたします。

【作品・制作物】

「憧憬 桜桃畑にて」
素材:槐、木炭紙、木炭、写真、木箱、天糸
二度目の展示を終えた後から、私にとって二年目の桃の収穫があり、リンゴの収穫出荷があり、 冬囲い、
剪定作業にうつっている。その中での今回の表現は、果樹(桜桃、桃、林檎)への向き合い方を模索するも
のとなった。
果樹は生き物と捉え今まで制作と農作業を続けてきたが、私は対話をしたいがために果樹を「人のよう
な生き物」と捉えて向き合っていたことに気づいた。果樹を果樹として見る、対するには何ができると考
えたときに、「出力してみること」をした。それがこの空間である。生長の過程で一本残った主幹が土か
らの無機養分と太陽からの炭水化物を大いに受け取り、あまりにも強い力でのびたため、こぶにヒビが
入った状態で腰を据えている桜桃の樹に私は惹かれて四月に写真を撮っていた。その写真から量感を掴
むためのドローイングをし、その後ドローイングしたもののみを見て槐の樹をその形に削った。 平面か
ら立体へ質量のあるものを形取るとき、平面の裏側は畑に行きその樹を 360 度の角度から見たことがあ
る私の記憶に委ねられている。この木を削った後に私は桜桃畑に行き、もとの樹を見ると私の記憶の中
の裏と実際の樹の裏は全く異なっていた。この行為を通して、私の樹に対する知識や見る目はまだまだ
浅はかで自分勝手であるが、今の私の記憶のみに委ねて樹を木で形取り続けることで私と果樹が近づい
ていく経過を記録できるのではないかと考えるようになった。 立体から壁の写真までを天糸で仕切って
いるのは、果樹と私の交わる境界を明確にするためのものである。写真と絵の間にははっきりとした果
樹の記憶と像が存在しているが、絵と立体の間には明確な果樹の記憶は存在せず、私の中の記憶と像が
存在し映っている事になる。鑑賞者は立体より先に立ち入れないという意志から立体の前に横に天糸を
張った。

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