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日本の学校はなくなるべきなのか?

私は中学から大学まで私立の女子校に
通ってました。
名古屋では、勉強ができるか周囲と雰囲気が
合わないか本人が物凄いヘノヘノモヘジ
(私は勝手に「自分を持っている」=ヘノヘノモヘジと言ってます)か
でなければ中学で試験を受けて地元を離れる
なんてのはあまり考えにくい土地です。
(引っ越しもあまり好まない人が多い傾向が
ありますしね。)
基本、愛知県や岐阜県、三重県は地元の高校に行くことが
多い土地柄です。高校で、たとえば野球などのスポーツ留学を
考えたり、勉強のできる子は地域の名門を目指したり。

私立に通う人が多い場所となると、東京、京都、大阪、奈良
(そう、実は奈良って多いんですよ)が思い浮かび、その後
東京を囲む関東の周辺地域、神奈川や千葉あたりでしょう。

とはいうものの、大学の地位は世界から選ばれる大学ランキングで
いうと東大で30位くらい?京大でも50位くらいになるとか
新聞で見ます。そんなにひどいもの????となると、
そのうち日本の学校というのは全体的に世界からすると
「要らない学校」なんでしょうか?
何を持ってして「世界から選ばれる学校」なんでしょうか。

日本で言うところの「東大」「京大」「早稲田」「慶應」・・・
と言うのは、学閥ではなく、「学校閥」と言うのだとか。
ああ、学歴ではなく、学校の派閥、学校ブランドってところか。

となると、日本の大学で満足しちゃあかんのか?
洋風の考え方が世界の中心になってしまっているから
そうなるんじゃないのか?
アジアが優勢に立っている分野だってあるんじゃないのか?

確かに、日本の学校教育システムって、本当は抜本的に
入換しないといけない時期ではあると思います。
だって、「一度踏み外すと元に戻れない」村八分になりやすい
システムのまま、生徒も先生も悩みながら運用しているんですもん。

たとえば、「ここがダメでもこれで代用できる」とか、
「代わりにこの試験に受かればここに合流できる」、
2回チャンスがあるからすべってももう一度チャンスが
ある、など、現状だと一度のチャンスの門の前にも立てないと
簡単には日本にいられない状態になっています。
(一番如実に現れているのが税関の入国管理システムです。
一度疑われるととにかく国外退去を命じまくる。本当に
困っているから日本に難民としてきているのに、難民?
そんなわけないでしょ、余裕があるから日本に来てるんでしょ?
と言わんばかりの対応。あなたロボットが来てるんじゃないのよ)

そもそも日本は明治の頃から教育分野にお金をけちられているんです。
昔の文部省は「人を育てたいからこの教科書作るお金ください」
「この人を育てたいからこういう学校作らせて下さい」とかなり
本気で頼んでいたのに、大蔵省は学校卒業した官吏達が勤めている
はずなのに「は?そんなもん自分の力で頑張るもんじゃ。学校や
先生になるための金?それよりかは国を強くするための方に金を
こっちはかけたいんじゃ。勝手にやれ!」とばかり言ってたんですって。

今も、「ひとクラス15名から20名で単位にすれば、先生の面倒も
ずいぶん気楽になるのに。あと、本当に学校がこういう仕事って
担わないといけないの?せめて一度整理させて!先生の数も、
事務員さんも用務員さんももうちょっと増やしてほしい!でないと
いつまで経ってもブラックだよ〜」と叫んでいますが、財務省は
そんな文部科学省や全国の学校の叫びなんぞどこ吹く風。

そのうち本気で全国の学校がなくなり、東大の存続価値さえ
なくなってしまっても知らないんだから。
学校が日本で建っている意味とは何だろうか、哲学のようですが、
本気で考えなくてはならない話だと、私は考えています。


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