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俺は、迷いながら歩いてる。

突然ですが、皆さんは「迷ってる」ということを正直に人に言えますか?

ファミレスのメニューでどれにしよう?というレベルの「迷ってる」ではなく、例えば仕事や人生において、どっちの方向に進めばいいのか?というレベルでの「迷い」を、口に出しているでしょうか。

きっと、あまり口にしてない人が多いんじゃないかと思います。

逆に「いや、言ってるよ」と思う人も多いのでしょうか?
よく上司が部下の話を聞きながら、「俺だって迷うよ」なんて言うのもありますね。でもこれって、本当に本心から「迷ってる」ことをカミングアウトしているのだろうか?

どちらかと言えば、あなたの気持ちがわかるよ、という共感の意味だったり、もしくは「俺は迷いながらもこんなに立派にやっている」という迷いのマウンティングだったりする場合もありますから、なかなか一筋縄にはいかないものですよね。

ではなぜ、「迷う」と口にするのは難しいのか?

それは、「迷う」という言葉自体が重くネガティブであり、その発言が自分の信用低下に直結する気がするからでしょう。迷いなくまっすぐ前を向いてガンガン進む、そういう姿勢の方が人の信頼を短期的には集めやすいです。

では長期的にはどうなのか?

長期的にもちっとも迷わない人なんて、果たしているのでしょうか。
自分の話をすると、私は結構迷いながらここまでやってきたという自覚がありますし、その都度「迷ってる」という言葉を口 にする方です。

「迷ってる」の同義としての「モヤモヤする」ということについて、SUGOIのインターンとして働いているめぐみが、以前私との対話をこんな記事にしてくれたこともあります。


というわけで今回は、なぜ自分は迷いを口にすることを躊躇わないのか、ということについて話していきたいと思います。


●「プロジェクションマッピングの人」になってしまった

私がSUGOIという会社を作ってから、今年でちょうど10期目になりますが、ちょうど10年前のことを思い返すと、あの頃はプロジェクションマッピングという映像技法のブームが来ていた時期でした。

東京駅に大掛かりに投影してという、当時話題になったアレですね。
それから数年は様々な媒体やイベントなどの演出で使われたりしてチヤホヤされていましたが、今はだいぶ落ち着いてきている印象があります。

10年前当時、私は様々なダンサーの方達とのプロジェクションマッピング演出や制作を手掛けていたため、国内だけでなく海外からの依頼もいくつも入り、あちこち出張したり制作したり、という日々を過ごしていました。

KATSUMIさんとのこの作品を、どこかでご覧になったことのある方もいらっしゃるかと思います。



このご縁で、様々なステージパフォーマンスや、メディア、イベントでのプロジェクションマッピング制作を請け負ってほしい、という依頼があちこちから入ってくる状態でした。

制作者としてインタビューを受けることもあったりと、起業したばかりの身としてはいいスタートダッシュが切れて、ありがたい状況でした。
普通なら、この波に乗って行けるところまで行くのだと思います。

ですが、私はそれをやらなかった。
経営者として、乗りかかった大波から降りる判断をしたのです。
(そんな馬鹿な!)


●「乗っちゃえ!」とは行かなかった この時期、自分は迷っていました。

「なんで迷うんだよ!せっかく波が来てるんだから、乗っちゃえよ!」
そんな声を周りからよく聞いたような気がします。

なぜ自分が迷っていたのか?

それは、このまま続けてはいけないと動物的、直感的に思ったからです。
プロジェクションマッピングの案件は次々と入ってきていましたが、その一方で、案件の相談を受けるたびに「プロジェクションマッピングの人」「新進気鋭のクリエイターです」という紹介が自分の代名詞のように一人歩きしていくことに、気持ちの悪さのようなものを感じてしまったのも事実でした。

あくまでもプロジェクションマッピングとは、私にとって「手段」の一つだから。その手段を、自分の、そして会社のメイン業務としていくのはかなり心細いものでした。

私は、今も昔も、正直なコミュニケーションだけをしていたいんです。
潔癖症に近い部分なんだと思います。

だからいつも私の思考としては、何かの手段を用いた時には、その手段の先に何があるのか?
何か企画を立案した時には、その企画の先には何があるのか?
そんなことを考えながら、仕事をしているわけです。
企画を仕事としているなら、当然の思考ですよね。

ですが、プロジェクションマッピングのブーム期に寄せられる需要とは、大抵が「ただ話題になりたい」という要望でした。
これだと、どうしても私の思考とのズレが生じてしまうんです。

話題になり、バズった先に何があるのか?
それがないなら、そもそもこんなことやらなくていいんじゃないか?
自分で自分の仕事を潰してどうするんだ、なんですが。

細かく考えず手段もニーズだと割り切って、行くところまで行ってしまった方が良かった、という考え方もあるのかもしれません。
けれど、私にはそれはできなかった。

なので、手段としてのニーズと私自身との間には、ミスマッチが絶えず生じていました。


●先が見通せる時代、見通せない時代

ちょうど10年前くらいというのは、先がある程度見通せると思われていた時代から、全く先が見通せない時代へと切り替わる 瀬戸際だったんだと思います。

見通せる時代なら、大波が来れば何も考えずに乗ればいい
だが、見通せない時代には、大波が来た時にそれに乗らないという選択肢についてもきちんと考える、つまり「しっかり迷う」能力が大事になってくると思うんです。

私はもともとしっかり迷う性質だったので、この10年前のタイ ミングにも例外なくしっかり迷い、今の「正直なコミュニケーションを大事にしよう」という道へ進んで行ったのです。 それでも、そこまで決断するのに2年以上かかったのですが。

なぜ「プロジェクションマッピングの人」という波に乗らなかったのか?
それは単純に、せっかく自分が作った会社を、ちゃんと続けていきたかったから。

私はその昔、高校サッカーの強豪校に在籍していました。
そこでは全国各地からサッカーエリート達が集い、プロを目指して切磋琢磨するのですが、何人もの先輩、同級生がプロになっていきました。

その中でも、私の印象に一番残っているのが、当時から花形だったエリート選手よりも、地味ながら一番実直にサッカーに向き合い、なんとかプロの切符を獲得していった一人の選手でした。
そんな彼は、初期こそJリーグの中でキャリアを積んでいったものの、数年経つと解雇になってしまった。しかし、サッカーを続けていきたいという想いから海外移籍を果たし、10カ国近い国々を渡り歩き、結果的にはエリートだった選手よりも、一番長くプロサッカー選手を続けていきました。

そんな答え合わせを長年かけて見ながら、これはウサギと亀なんだな、と自分は思いました。

世の中の波に乗り、スピードに乗って目標を達成するという生き方もあるけれど、長く地に足をつけて進むために、亀の速度で迷いながら進むという生き方もある。

そして、今のこの先行きの見えない時代においては、迷いながら進む亀の足取りに、多く学ぶものがあるんじゃないかな、と思ったりするのです。


●負けを取りながら長続きさせる、それがプロ


私の好きな作家に、色川武大という人がいます。

『麻雀放浪記』という小説を書いた作家であり賭事師ですが、その彼が書いた書籍の中に、プロというのは負けを取りながら長く続けていける者、という内容があったのを記憶しています。

人は皆、目先の勝敗に一喜一憂するけれど、プロの賭事師は上手い負け方をするのだと。全勝ちというのは確率的にあり得ないし、そこを目指してしまうと必ず早々に失敗する。それより6:4の勝率であっても、うまく負けて大局を見られる人の方が、長く続けることができる。そんな内容だったと思います。

自分の生き方も、まさにこれが良い。
大波や小波、色んな波が押し寄せてきても、無思考に飛び乗ることなく、常にちゃんと迷うようにしたい。

それによって得たものは、あの時にプロジェクションマッピングの人としてやり続けるよりも、大きかったんじゃないのかな、などと思うのです。
そしてこれからも自分は、堂々と迷い続けていくつもり。

大人だろうが社長だろうが男だろうが、そんな属性に関係なく、大いに迷える自分を楽しみ、周りの人たちにもそういう姿を見せていきたいなと思っているのです。


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