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自分の望みにまっすぐ正直でありたい。に潜む父の影

自分に正直でありたい
自分を大切に生きたい
自分の望みにまっすぐ手を伸ばしたい

そう思っているのに、セーブしてしまう私がいました。

本当は頑張りたくないけど、
「これだけやっちゃおう。頑張れ私」
とムチ打って自分を、頑張らせようとする私がいました。


欲しい物があるけど、後々のことを考えて我慢する私がいました。


家のこと、子どものこと、主人に丸投げして休めばいいのに、丸投げすると大変なのがわかっているから、これだけは。と頑張ってしまうところがあります。

どうしても無理な時は主人にお願いして休むのですが、「しんどいけどまだいけるかも」と思ってしまうところがあります。


ふと浮かんだのは、父でした。

父は、毎晩のように、酒のつまみになるものを買ってきていました。

自分のだけ。

自分だけみんなと違うものを食べます。

そして、それを片付けない。

朝までそのまんまなので、仕方なしに母がそれを片付けます。

そんなのをずっと見ていて、子どもながらに、
「何でこの人(父のこと)だけ違うもの食べる訳⁉️」
「何で片付けもしない訳⁉️」
とイライラした毎日を送りました。

怒られるのが恐いので、私も、何故父だけ違うものを食べるのか聞けないし、片付けてとも言えませんでした。



そんなことがあり、私の中に
「自分だけがいい思いをしてはいけない」
という考えが根付いてしまったようです。

父に対する強い怒りや軽蔑と共に。

「自分だけがいい思いをする」ことは父と同じことをすることになる。

そんな自分が許せない。と思っていたようです。



なので、自分だけが休むとか、自分にだけ何か買い与えるとか、そんなことに抵抗が出るようです。

体調が悪いから休む。
欲しいから買う。

それだけのことなのに、それをダメなこととして自分に与えようとしない。

しかも、「自分だけ」にメリットがあることをしている人を私は「軽蔑」していたみたい。



でも、父も、娘も、自分の欲求に正直に生きてるだけなんじゃないだろうか?

父の場合は、それ以外にも父に対して積み重なった負の感情があるので、父のやること全てが不快で、怒りや軽蔑に変わる。

娘の場合は「3歳だし」「まだ言葉も通じないし」と仕方ないと思うところもある。


それぞれに抱く感情は違うけど、結局は自分の欲求に正直に生きてる人に対して私の感情が動いていたんだ。

私が自分の欲求に正直に生きたかっただけ
なんだ。


内観して、自分に正直に生き始めたとたけど、まだまだだったのかもしれない。

もっと私が欲張りにワガママに生きることを許可していこう。


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