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軽やかに仕事をする背中を後輩たちに見せられたらいい

「吉田さんはどうしてその仕事を選んだのですか?そういう選択肢に行き着いたこと自体、不思議というか、スゴイなって。私にはそんなの全くなかったから。」

出産した産院で助産師さんと話していたとき、彼女は私がテレビ番組を作る仕事をしていることについて、こう聞いてきた。

命がけで新しい命を生み出して数日後、柔らかい光差し込む個室で、ゆったりと時間が流れ、傍らにはほわほわの赤ちゃんがもぞもぞ動く…そんなほえ〜とした空気感の中でそう問われ、仕事がまるで別世界のように感じたのをよく覚えている。それくらい、なんというか、子宮とつながること(妊娠・出産)とテレビの仕事がかけはなれていたのだろう。


田舎で育ち、小さい頃からテレビっ子だった。テレビドラマを観て都会に憧れた。(小学生の頃にやっていた「東京ラブストーリー」はすべての台詞を言えるほどドハマリした。)

旅番組を観て、世界にはこんな素敵な場所があるのだとときめいた。ドキュメンタリー番組を観て、人がこんな想いを抱えてこんな風に生きていると知り、人間を見つめる思考が少しずつ広がった。CNNを観て、世界で起きている様々な紛争や出来事を知り、大変な人たちを何とか助けたいと国際関係の仕事を志した。「映像の世紀」という番組を観て、映像の持つチカラに衝撃を受けた。


私の小さな世界が広がるきっかけに、いつも映像があって、自分もこの強いチカラを使って、伝えてみたいと思った。


映像ということでテレビの世界を選んだのは、やはり身近だったからだろう。ディレクターになって、朝の情報番組を担当することになった。小学生からお年寄りまで伝わるような言葉選びは、ニュースを担当しているときにかなり鍛えられた。一番のめり込んだのは、人の生きざまを伝えるドキュメンタリー企画だ。一人カメラを持って取材対象者のもとに行き、その人に、その現場に、カメラを感じさせないくらいまで馴染み、たくさん見つめ、たくさん話し、寄り添った。

取材する中で、私がたまらなく嬉しいと思うのは、人の表情が変化する瞬間に、想いが溢れ出る瞬間に立ち会えたときだ。その人の”素“が見えて、”本音“が見えて、その人そのものがバッと滲み出る。そんな瞬間をカメラに収めたいから、写真ではなく、映像を選んでいるのだろう。

私は割と人に馴染みやすいようで、頑なだった人の心が少しずつほぐれ、私にだけ打ち明けてくれたり、その状況を撮らせてくれたり、家族の食卓に混ぜてもらったりしたこともあった。この仕事をしていなければ出逢わなかったであろう人たちとの交流が楽しくて、刺激的で、のめり込んだ。(面白エピソードや武勇伝は、かなり持っているので、機会があれば書いてみたいと思う。)


面白いもので、取材者側(ディレクター)と取材対象者側の“距離感”というのは、画面に滲み出る(この目線でドキュメンタリー映像を観てみると、また面白いのでオススメだ)。あるとき、私のVTRをチェックする立場の人から「心地よく、優しい」と言われたことがあった。思うに、人のいいところを知らず見ようとするし、せっかく関わったのなら笑ってほしいので、相手に突きつけるような鋭さがないからだろう。それを自分に足りない部分だと頑張ろうとしたこともあるが、そうではなく、ディレクターそれぞれの“持ち味の違い”なのだと、いまは思う。「鋭さにかけるけど、なんか観ちゃう。そしてちょっとじんわり」そんな世界観が私の持ち味かもしれない。


仕事のモチベーションは?と聞かれたら、私の場合、自分が取材した方の生き様や想いが伝わり、それを観た人たちが“何か”を感じてくれる“共鳴”に立ち会えることだ。テレビを通じて伝えたとき、視聴者から「元気づけられた」「励まされた」「〇〇さん頑張ってください」という声が届くときは本当に嬉しい。今はSNS等でさらに反応をつかめるようになって面白い一方、反論もガチで目にするので、時にあぁ…となるときもあるが、そういう時代であると割り切り、それはそれで素直に受け止めている。


ここで最初の話に戻るが、産後、助産師さんと話していて、ふと私は誰?状態になったのは、それまでの働き方と、目の前の状況とのギャップが激しかったからだった。

いまはテレビ業界も働き方改革で勤務時間などは守られるようになったが、私がキャリアを積んできた時代は、OAに向けては徹夜当たり前。納得がいくまでとことんやらなければ気がすまなかった私は三徹もよくしていた。また取材は基本一人で行うことが多かったので、自分が撮らなければ画がない、成立させなければならない、OAに間に合わせなければならない、そういう緊張感にいつも包まれていた。

そんな心身の無理もあってか、子どもを授かるのにはとても苦労した。ただ子授かりを考えるまでは、自分の体のケアより仕事の充実が何より大事で、いかにいいOAを出すかばかりを考えて生きていた。そんな生活に疑問もなかった。頑張っている自分を誇らしいとさえ思っていた。それだけやりがいがあり、楽しかったからだが、後輩にはそんな働き方は勧めない。「そうかもしれないけど、体第一ね」とやっぱり伝えたい。


実は私の出産は、かつてある産院を取材した経験が生きている。その取材を通じて、命がけで新しい命を生み出そうとしている母たちの姿を目の当たりにして、私には「命を生み出すこと」のイメージがかなりクリアに出来ていた。だから出産に対しての恐れも不安もなく、陣痛から出産まですごく時間がかかっても、そのイメージが支えになって乗り切ることができた。助産師さんからは「本当にいいお産でした」と褒められた。子を授かることに苦労していたときは、それまでの生き方を後悔したこともあったが、この出産を通じてすべてが救われた気がした。


いま、かつてのように命を削るような仕事の仕方は手放した。少しゆるく、楽しく、でも締めるところは締めて、面白いOAを出す。そんな風に軽やかに仕事をする背中を後輩たちに見せられたらと願う、テレビディレクター18年目の冬。

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