見出し画像

それを「行動力」というのなら

先日「セブンルール」という番組で、45歳で全くの素人からワインの生産・醸造を始めたという元パート主婦の方が軽やかに語っていた。

「やりたいって思ったら、やったらいい」

仕事風景を見たら、すごく大変そうだ。でもやりたいという心の声、いや、肚からの声に従って始めた。だからこそ、覚悟が決まっていて、淡々と、夢中で仕事しているその女性の姿は、眩しかった。 


2年前、バイクの免許をとった。ずっと一人乗りだったが、先週末、秋晴れの気持ちのいい日、初めて6歳息子を後ろに乗せて走った。

初めての2人乗り。後ろには大事な大事な息子。運転にはかなり慣れていたが、やっぱり少しドキドキ。 


でも走り出したら、一気に落ち着いた。息子の温もりを背中に感じながら、いつも以上に慎重さを心がけながら走る。

信号で止まり、走り出す前に「動くよ」と声をかける。息子が「わかった!」と言いながら、私の腰に回した腕をギュッとする。 

あぁ楽しい。一人バイクとは、また違った楽しさ。思わず笑みがこぼれる。 


用事の帰り際、私たちがバイクで来ていることを知ったママ友が一言。

「え、バイク!?」

彼女は“ママがバイクに乗る”という発想がなかったようで、目を丸くして驚いていた。 


こんなこともあった。
今年5月、ヴァイオリンを習い始めた。6歳息子がやっているのをそばで見ていて、私もやりたくなったのだ。42歳の手習い。(コロナ禍で期せずオンラインレッスンからスタート)

始めて5ヶ月、教室の発表会に出ることに。息子との共演と、私のソロの2曲を演奏するんだーと、同じ教室に通う、息子と同じ保育園のママに話したら…

「え、ママも出るの!?」

始めてまもないし、子どもだけじゃなく親も一緒に出ちゃうことは、彼女から見れば「信じられない」ようだった。 


そう言われて、やっぱり無謀かな?とは少し思ったけれど、出ない選択肢は私にはなかった。ヴァイオリンが楽しくて楽しくて、基礎練習だけでなく、曲を弾けることがただただ嬉しかったから。 


人から見ると、私は(無謀なほど)「行動力がある」らしい。昔から、やりたいと思ったらすぐにやる方ではあったが、ここ数年、加速している感がある。 


それを「行動力」というのなら、私の場合「やらないともったいない」という気持ちに駆り立てられているのかもしれない。「この地球人生の時間は限りがあるのだから、やりたいのにやらない理由はない」って、そんな感覚。(やりたいと思ったその時が、一番エネルギーも出るしね) 


もちろん、時間やお金、環境の制約はある。私自身、お金を得るためだけの仕事をやめられないでいたりもする。

学生時代からずっと憧れているパリに行けていない。3ヶ月パリに滞在し、そこを拠点にヨーロッパ中に散らばるピカソ作品などの絵画を存分に味わうという夢もまだ果たされていない。息子を連れて取材旅行にも行きたいけど、まだその道は見えていない。 


そういう「やりたいことリスト」は大事に温めつつ、“今すぐにできそうなやりたいこと”からやっている感じか。 

それがバイクに乗ることだったり、ヴァイオリンを弾くことだったり、コーヒー豆を手挽きすることだったり、こうしてnoteにエッセイを書くことだったり、週末は必ず家族と過ごして思いっきり笑い合うことだったり。


やりたいことをすぐにやれることは幸せだ。そんな風に動ける状態(状況)にあることは本当にありがたい。 当たり前のことではないから、そうできることへの感謝も忘れてはならないと自分に言い聞かせる。


この頃、強く思う。制約や障害はあったとしても、それが純度100%の望みならば、できないことはきっとない。


限りある地球人生。やりたいことをやろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?