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【山羊日記#5妄想とけじめ】

なぜ過去のシナリオをお直ししたくなったのか日々少しずつわかってきた気がする。
ひらめきの衝動にはやっぱり意味があるもんで、ざっくりと言えるのは生焼けの土を窯でしっかり焼き上げて在るべき所定の位置に置いてやらねばいけないと、ずっと昔からモヤモヤしていたものの凧紐がきれたということ。
それが今だったということかと。
それはどうしても焼ききれなかったもので、火力もなく、自分の手にはおえなかった。
中途半端に手を出したから生焼けのまま無理矢理完成したと言い聞かせてずっときてしまった。
今ならそれを格好は悪くてもカチカチに焼き上げることが出来るんじゃないかと無意識に思い立ったんだと。
そんな自己分析に至った次第です。

にしても、遅々として進まずてこずってはいる。
創作とはやはり苦しい。
が、それ以上に充実している。させてくれる。

当初の設定を少し変え、時代の説明や諸々のナレーションは極力省き、詩をはさむという自分の好き放題な形式。

映像でもラジオドラマ(音声のみ)でも通用する形に仕上がればベストなのだが相当大変だと覚悟している。

何気なく観ているドラマもつけっぱなしのTVから流れている映像も、沢山の人の時間や労力をひとつに結集させたものだと思うと「消費」してるなぁと、申し訳なささえ感じてしまう。

恥じぬように焼き上げなければ。

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