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【コラム】見事な伏線回収(有吉弘行さん)×(ナンシー関さん)

ナンシー関さんが1998年の段階で見抜いていた【有吉弘行さんのふてぶてしさ】

『テレビ消灯時間2/ナンシー関(文春文庫)』に収録されたそのコラムには当時電波少年でユーラシア大陸をヒッチハイクで横断し(させられ)帰国後はお笑い芸人の枠におさまらず(本人が望んだというより周りがそうさせた)アイドルみたいな位置にいた猿岩石の有吉弘行さんを「童顔なのにふてぶてしさしか印象に残らない」とナンシーさんは綴っていた。

あれから有吉さんご本人も仰っていた「地獄を見た」期間を経て今ではその生身の人間的強さと生来持って生まれてきたふてぶてしさ(媚びず貫く信念)を発揮し、とてつもない安定感を提供してくださっている。
番組を選ぶ時、有吉さんの名前があればはずれないから観ようと思える。

だが、当時(1998年)、そのことを見抜いていたナンシー関さんの目。
さすが!としか言いようがない。

有吉さんは芸能人にあだ名をつけていった。
かなりどぎついあだ名ばかりだが、ナンシーさんは納得しただろう。
そうだ、それこそあなたのふてぶてしさなのだ…と。
だが、全国の視聴者の中には毒舌の度が過ぎると(過剰に反応し)抵抗感を抱く方もおられる。それは人それぞれの考え方なので何も言えはしない。
そこで折れずにその芸風を貫けるかは大きいと思う。

有吉さんは貫き通した。

かつて毒蝮三太夫さんが「やい、じじい(ばばあでも可)まだお迎え来ないのか?」と、お年寄りをいじりたおして大爆笑させていたように、諸刃の剣のような際どい芸風を有吉さんも年月を重ねて築きあげていった。
だが、毒蝮三太夫さんもそうだが有吉さんの笑いにも愛がある。
楽しいものを作ろうと心から思っている人に対しての思い遣りを感じる。
それは地獄を見てきた辛さを誰よりもご本人が知っているからだと思う。

毒舌とはまたニュアンスは違う、的を得た鋭さが心地よい境地へと達したのではなかろうか。
少なくとも私は不愉快には感じない。
時代は常に有吉さんのような鋭い快感を求めている。
それは、どこかナンシー関さんのコラムにも似たところがある。
ナンシーさんは有吉さんにシンパシーみたいなものを感じていたのだろうか。
後に有吉さんはナンシーさんの存在(このふてぶてしさの文章)を評価し認めている。

今思うのはここに達するまでの年月は現在への伏線だったのかもしれない。
令和となった今、有吉さんはあらゆる番組でずっと昔から蒔いてきた種から育った花実の収穫をしているように思える。

有吉弘行さんは伏線回収の真っ只中におられるのではないでしょうか、ナンシーさん。

そうナンシーさんに問うてみたいのだ。

※追記(2023/10/09)
有吉さんが今年の紅白歌合戦の司会に決まりましたよ、ナンシーさん。

あなたの先見の明はその想定を上回る勢いで衰えることはありません。

ナンシーさんはテレビの中には入りたくないと、出演を極力拒んでおられました。
外だから言えること、中に入ってしまえば繋がりや関係を築いてしまうから書けなくなると。

ナンシーさんのコラムニストへの自覚、覚悟は真面目で真剣で人生をかけている姿勢をそれが物語っていました。

でも、有吉さんの活躍はこれからもずっと続きますよ。もう下がる気配すら予想できません。
中に居ながら、テレビの中から、有吉さんの生来持っていたふてぶてしさで、怯むことなく、媚びることもなく、ナンシーさん不在の今を有吉さんは(これは私が勝手にそう思いたいだけかもしれないが)ナンシーイズムで批評して笑いに昇華してくれているように思うのです。

ナンシーさんがいてくれたら…と、SNSでは何人もの人が同じことを思ってくれています。
もちろん私もそのひとりです。

今、世界は大変なことになっています。
日本もカオスの確変が止まりません。

それはナンシーさんがいてくれたら何て言ってくれるだろう…が、とんでもない角度で右肩上がり状態を意味します。

でも、いないことを顔を踏みつけられるように思い知らされるのです。

あの人くらいだよ、俺のことを見抜いていたのは…

有吉さんは、ナンシー不在のこの日本で数少ないナンシーを秘めた存在です。

私たちにできることは有吉さんをこれからも応援することくらいです。

有吉さんにナンシーさんを求めて重ねている人はきっと多いのです。

そちらの世界のテレビで観ていてくださいね。

いつも私たちの心の中にひとりのナンシーを…。

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