【エッセイ】遅生まれ、その言葉の試練と神秘

中原理恵さんの「東京ららばい」の
〽だから死ぬまで ないものねだりの子守歌

これが最近、本当にその通りだなとつくづく思う。
一人っ子は友達の兄弟(姉妹)を羨ましく思うもの。
体重を増やしたくて無理して食べてもBMI値が18以下から抜け出せない痩せは「羨ましい。出来るならこの肉わけてあげたい」という冗談でさえ本気で分けてくれと思うもの。

人はどうしてこうもないものねだりをするのだろう。

以前俳優の渋江譲二さんのnoteが面白いとツイッターで紹介させてもらった。マリオブラザーズの音符のブロックを弾むように話が進むエッセイ。ネタ発見のアンテナの感度が超高性能ハイスペの渋江さん。記事を読んでから街ブラすると渋江さんのような面白いネタ画像になる看板はないか探している自分がいた。が、全く見つけることは出来なかった。そんな時改めて渋江さんってすごいよ…と、項垂れるのである。


こんなに面白い文章を書かれるが渋江さんは俳優さんである。
実写のタキシード仮面も仮面ライダー響鬼の威吹鬼も渋江さんだ。超有名である。
でも私にはテレ朝の2時間ドラマ『人類学者・岬久美子の殺人鑑定』の警視庁の守屋をまず思い浮かべてしまう。
主演の大塚寧々さんが人の骨を研究している大学の准教授役で警察から捜査協力を依頼されて事件の遺骨の鑑定をするサスペンスドラマ。
この骨から声を聞くみたいな設定が好きで死人に口なしでは終わらせないで犯人にたどり着き事件の真相を暴く過程。かっこいい。
その大塚寧々さんと一緒に事件を解決していく警視庁の守屋という役が渋江さんなのだ。

なぜか私はこの渋江さんが俳優渋江譲二なのである。

このnoteでたまたま渋江さんの小ネタやエッセイを読むまで渋江さんは俳優一本だと思っていた。
が、やっぱり俳優さんは多才である。
エッセイも同じ83年生まれということもあってありありとその時代の光景が浮かびその時の自分とリンクするので尚更感情移入出来てしまうのである。

そして、渋江さんの「3月は遅生まれ」

心のキャッチャーミットの真ん中を硬球が貫通する衝撃を受けた。(もう穴空いちゃうレベル)
そうそう!早生まれじゃないよね!遅生まれだよね!なんて。
だが同じ83年生まれなのに渋江さんは私よりひとつ学年が上になる。3月生まれだから。遅生まれだから。1月2月生まれも同じ83年なのに先輩。そのもうちょっとだったのにのトップに君臨するのが3月生まれではなかろうか。(なかろうかて…)
先輩……。
中3からしたら高1は雲の上の存在である。
たった数日で理不尽なまでに、強引に、力づくで…振り分けられる学年。教室も階が違う。

実は一年ちょっと前に自分も学年概念についてのエッセイを書いていた。
それはこの「3月は遅生まれ」に通じて仕方ない(勝手にそう感じているだけですが…)
学校という教育の場で一年の区切りをつけねばならないこともわかる。
だが、端っこから端っこを両手を広げても届かないことのやるせなさはどうしたって生じる。
そこにはハイレベルなないものねだりが存在する。

ちなみに自動車免許取得に誕生日が追いつかないと取りたくても取れない法律の壁があるが、早生まれじゃなく遅生まれ(3月生まれ)は学年の中で一番若くいられるという点では4月生まれの友達なんかは羨ましがっていた。私は8月生まれなのでなんとも微妙。夏休みに学校で誕生日おめでとうをもらえないのが他の子と比べて羨ましかったりもしたくらいか…。個人的には誕生日が遅ければ遅いほど野心を心に秘めていたり、あまり顔に出さないけどすっごく感情のメーターはでかかったりする人が多い印象。(あくまでも個人的意見。せまい周囲の情報から)

なぜだろう…
最近再び遅生まれ概念がところどころで生じる。
その度同じ学年に収まった奇跡を感じる。
同年代と同学年は似て非なるもの。

渋江さんは「ふぅ〜ん」と思われるだろうが『人類学者・岬久美子の殺人鑑定』では気が付かなかったがとてつもなく身長が高いことに最近『ブラック/クロウズ』というドラマに出演されていた渋江さんを見ていて感じたことだ。
渋江さんは何を今さらそんなことをと気だるそうに「無駄に背が高いから」と半笑いで受け流すだろうか…。
無駄に…
いや、無駄なんかじゃないんです。
渋江さんは3月生まれの体格差についても記していた。十一ヶ月以上の差。これはデカイと思う。
でも、渋江さんは4月の一番クラスで先に誕生日を迎える生徒よりも大きくなられた。(何目線だ…)
3月生まれの3月生まれにしかわからない葛藤や苦労、苦悩があるのだろうが、渋江さんはそれを糧にヒーローにもなり、刑事にもなった。(役で)

肩の力を抜いて読めるnoteのエッセイや写真に一言ネタはそんな人生の結晶なんだと勝手に解釈している。

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