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青春のタペストリー

中 乃波木さんの個展は読む写真展でありながら自らが物語に入り込んだキャラクターとなり読まれている側にもなる。

写真の見方というものはわからないが「なんかいいな」と思えるものがあればそれでいいんだと思う。
館内の世界は和らいでいた。
難しく考えることはない。
順路を案内してくれる動物たちに身をまかせよう。

会場は予想以上に広かった。
作品数も多い。
それでも贅沢に展示出来る広さだ。

順路を進む。
途中で僕の足は止まった。

バス停でバスを待つ中学生のタペストリー。

北鉄奥能登バス「三波」
雨風しのげる停留所の前に立っている男子中学生の写真から声が聞こえた気がした。

バスを待つという日常のありふれた行為。
既に彼らには行為とも認識されていないかもしれない。当たり前の生活のとある時間の一コマにすぎない。
青年の振る舞いや顔つき、眼差しが僕の足を止めた。
待つという耐える感情をその視線の先に見据えた上で何かを望んでいるようだったから。
そりゃあバスを待ち望んでいるのだけど、それだけじゃなくて、待ち望むことに考えさせられたのだ。

「待つ」って成長だな、と。

ちなみにフォトファンタジーという乃波木さんの写真にイラストを描くスタイルが違和感なく溶け込んでいる。
溶け込みすぎてはじめは気づかなかった。
青年を覗く鳥や花やそれらの妖精や蝶たちが心配せずにただ見守っている。眺めている。

おせっかいな感情を与えない能登の風のようなキャラクターたち。
自然そのものとはシンプルなのかもしれない。

そして写真がタペストリーになっているのがストーリーなのだ。
タペストリーって垂れ幕、文化祭、運動会と学校のイベントを思い出させてくれる素材、生地だよなぁと。
この青春真っ只中、もしくは入り口に立たされているバスを待つ彼らの淡くてぼやけていて、掴みきれないはがゆい葛藤が滲み出ていると感じたのだ。

今回の展覧会を知ったのもとある偶然が偶然を繋いで叶ったことだった。
それを偶然とひとくくりにしてしまうのが嫌なんだよなぁ、と必然に結びつけたがる些細な綱引き。
いいじゃないか、どちらでも。
生でこの眼で向かい合えたんだから。

物語の世界から現実に戻った証なのかもしれない。

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