【エッセイ】憚(はばか)りもせず

はじめに…

エッセイのタイトルが憚りもせずなので、中島みゆきさんの「瞬きもせず」を想起させているのではないかと色んな意味で不安で申し訳なくなっている。まぁ、関係ないのですが折角なので「瞬きもせず」をお聴きください。(何が折角なんだ…)

どちらかといえば今回のエッセイはみゆきさんの「たかが愛」に近く、最終的には「それは愛ではない」なのかもしれない。
と、いうわけで「たかが愛」もお聴きください。(話が進まん…)

「それは愛ではない」は公式チャンネルにないのでCDで聴いてみてください。
と、本題に入る前から2つもリンク?を貼るという長ったらしさ…まとまらない私の悪い癖。

さて、それらをふまえて本題へ…



全国各地に点在する某大型商業施設。
様々なショップが集結し、一通り揃っているから不自由なく事足りる。とにかく平和な空間である。
平凡がチクタク時計を刻むその箱物の中にはオアシスがある。
通路のど真ん中に線を引くようにソファーが置かれている。観葉植物の緑も添えて。そんなに敷居が高くない洋食屋のシェフのきまぐれサラダのように緑は地味に主張する。そう、そこがオアシスだ。

高校も授業が終わる時間帯。
帰宅部は冬でもまだ明るい内から社会の縮図そのものの日常ワンダーランドへやって来る。ぞろぞろと。
運動部や文化部の生徒たちと違い、帰宅部の身なりは所謂ブランドものが目立つ。
スノーブーツも3万近くするいいものだ。(いや、そのくらいするから…という人もいるだろうが、百歩譲って高校生の金銭感覚で私は高級と捉える。大人になってもそれはかわらず…)
制服以外で帰宅部は運動部や文化部の生徒らと持ち物の水準が違うことがわかる。それが恵まれているとかしあわせかとかは別の話として。
校則を蹴ってバイトもしているのだろう。自由に使えるお金があるティーンズは眩しさ倍増である。何も飾らなくとも輝かしいから…。
(※もちろんここに出てくる帰宅部は帰宅部のごく一部の生徒のことで、帰宅部全てのことではありません)

老若男女で賑わう平日の某大型商業施設。
ちらほらと見かけるのは制服姿のカップル。
人目も憚らずに男子が女子の頬を習字の毛筆のように頭でなぞりぐにぐに擦る。プレイだ。

この「人目も憚らず」の「憚」という漢字が放つ暗黒色。
調べてみると
【意味】①はばかる・さしひかえる・おそれる「忌憚」②はばかり(ア)遠慮(イ)便所
【下つき】畏憚・忌憚・敬憚

便所とまで出てきたが、やはり忌憚が脳裏に焼き付いているせいか憚らずという言葉には泥水の質感とおどろおどろしさを感じてしまう。

人目を忍んでならまだ微笑ましいというか、こちらは何一つ知ったことではないのだが、なんだろうか。
なんだろうか(二度言う)
公共の場で、しかも人が集まるとわかりきった場で下手したらおっぱじまるんじゃないかとゾッとする未成年のからみ合いを披露するのか。あれは見せていてかつ魅せているのだと勝手ながら思ってる。先述したプレイだ。確信犯である。ソファーというステージで。

もちろんこちらは「あぁ…」と目を逸らす。
まぁ、この時点でなぜこちらが気を遣わないかんのかが解せんのだが、エスカレーターなんかで階下を見ればソファーにはそんなのが何組もいるのが一目瞭然。(だいたい一階に多い)

成人は18に引き下がったがこういうのを見せつけられると18でいいわなとも思う。
でも、成人は、はたち。20歳のままであってほしかったのが個人的意見。
18から20までの2年間は宇宙を漂流する時期であってほしいから。このなんとも地に足がつかないふわふわなじれったい2年間は大人とは何だろうと考えるきっかけになり考えた過去が残る。その過去とは尊いもんだ。
でも世の中は「はい、まだ数年余裕ありますから急にではないのでごあんしんください。でも、心の準備はしておいてください」と、成人の年齢も変えてしまう。それだけじゃない。ぼーっとしてたら色んな決まりを変えられてしまう。こちらから聞いて尋ねないと教えてくれない役所の担当者のように。あちらからは実は…なんてこちらが得になることなんて教えてもらえない。
あぁ、どこかの偉いとされる誰かが集まって物事は決められていくのだな。

昔、テレビで観た東京のどこかの駅の終電のホーム。(バブル期の映像)
そこにはとさかヘアーで肩パッドのタイトな服を着た女性とダブルスーツの男性が別れを惜しみ(まるで今生の別れのように)弱い磁石がカッチャンカッチャンくっついてはのけぞりを繰り返しその不快な粘着感はブラウン管越しに子供だった私の体にとりもちのように乗っかってきた。ぶっちゃけ気持ち悪っと思った。
グレース・ケリーとグレゴリー・ペックなら見惚れてしまうが、しらふでもないどこの誰かも知らないアベックのそんなもん、見とうない。
ヒットポイントもスピードも吸い取られる厄介な呪文をかけられた。

それと同じものを日暮れ前の大型商業施設の中で見せられている。あ、魅せられている。ジュディ・オングのジュの字も感じない。
制服のもうすぐ成人たちによって。(中には18になってるかもしれない)

憚ったら便所か…
だったら明るい通路のソファーで繰り広げてもらった方がいいのか…健全なのか…

あーあ、ここで店内の何かわからんエンドレスなBGMが「夜霧よ今夜も有難う」に切り替わればいいのに。

〽しのび会う恋を つつむ夜霧よ
知っているのか ふたりの仲を
晴れて会える その日まで
かくしておくれ 夜霧 夜霧
僕等はいつも そっと言うのさ
夜霧よ今夜も有難う


書けば書くほど惨めになる。トホホ
やっかみにとられても仕方ないが、でも、見なきゃいいじゃんとかそんな問題でもない気がして。
見せんなよ。て、これは多様性とか昨今の何でもハラスメントになる次元じゃない…よね。理解できなくても批判するなを肝に銘じている(理解とは理解する努力。認める努力)が、各所に気を遣いすぎたらなんにも言えねー。だから言わせてもらうよ。トホホだよ。

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