【コラム】火曜日にもサザエさんがあったんだぜ

サザエさん

それは日本が日本であるための五文字(それは言い過ぎ)

サザエさんは終わらない。
終わらせない。
もし、終わる時が来るなら地球も終わる時だろう。

「笑っていいとも」も「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」も終わった。終わらないと思っていたものもいつか終わることを目の前に叩きつけられた。そして「タモリ倶楽部」も終わる。タモさんのレギュラーがまたひとつなくなる。タモさんがお元気かは当たり前のようにレギュラー番組で知ることが出来ていた。
音楽番組氷河期の現在、「ミュージックステーション」は色んな意味で死守せねばならない番組となった。

「渡る世間は鬼ばかり」は橋田壽賀子さんが存命である限り終わらないとナンシー関さんは断言していた。それは現実となった。岡倉大吉役の藤岡琢也さんが亡くなっても宇津井健さんが代役を務めたが、本来特殊なドラマであった渡鬼はキャストとドラマは現実と繋がっていてフィクションでありノンフィクションという流石「橋田壽賀子ドラマ」と、タイトルに書かれるだけのことはあった稀有な番組であった。

長寿番組の宿命は演者の高齢化にある。
「サザエさん」もとうとう初代キャスト(声優さん)はサザエ役の加藤みどりさんだけになってしまった。
先日、タラちゃんの声優さんも旅立たれた。
タラちゃんはアニメの中でずっと同じ年のまま生き続けるが、視聴者も制作側も年老いていく。私たちは慣れ親しんだサザエさんファミリーの声がある日を境に変わった(代わった)ことを受け止め、悲しい哉順応していく。

国民的アニメのサザエさん。
サザエさん論は長い歴史の中で山のようになされてきた。書籍も多数存在している。
あの寺山修司もサザエさんについて持論を書いていた。
マスオさんの婿的ポジションについてのあれやこれやを…。
サザエさんは寺山修司の筆をも動かす由緒正しきアニメーションである。
原作の4コマ漫画のネタにも限りがある中でどの話もオリジナルで三本立てを毎週お茶の間に提供する。これは日本の文化といえる。茶の湯、生花、日本舞踊、歌舞伎、相撲、サザエさん。
もうそれくらいの日本文化である。

地球があと何年人間が住める惑星なのかはわからない。今のこどもたちの孫たちのそのまた孫たちも「サザエさん」を観て育つだろう。(と、願う)
もちろんその時は私は遥か昔の人間だ。
今この記事を読んでいる人もそう。
サザエさんファミリーも何度声を変えて(代えて)いるだろう。

なんとか世界観を保つアイテムの大きなブラウン管テレビと黒電話は死守出来てるだろうか…

堀川くんは…
ちょっと置いといて…

時代劇のカテゴリーに分類されてはいないだろうか…

私は「タモリ倶楽部」が終わると知り、それについてタモさんが仰った「番組の役目は充分果たした」の意味をずっと咀嚼している。まだ、咀嚼し続けている。(早く飲み込め…)

「サザエさん」は100%終わらないなんて私のエゴなのかもしれない。しれないじゃなくてエゴだ。
終わってほしくないけど形あるもの、存在するもの、生まれてきたものはいつか終わる。

それが私の生きている内なのかそうでないのか。
結局は誰にもわからない。

終わるって淋しい。

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