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言葉を取り戻して一年

1年前、私はインスタグラムを辞めた。

何か大きな出来事があったわけではない。ただ、仕事帰りの車の中で「辞めよう」と思った。今まで辞めることは考えていなかったけど、その時はもう確信だった。疑わなかった、清々しかった。

朝起きればインスタを開き、夜寝る直前もインスタを見ていた。生活のほとんどの出来事を投稿していたし、写真にも文章にもそれなりに気を使っていた。私はインスタグラムをちゃんと楽しんでいたし、大切にしていた。でも、辞めた。

それほど生活に浸透したものを辞めるのだから、最後にパッと何かやって、すっきり終わらせようと思った。その結果が「私がインスタグラムを辞めるまで」ということばの展示である。

当時、詩人の最果タヒや谷川俊太郎が詩の展示をしていて、それに感化されたのもある。いいなー、私もこれしたいなと思った。レベルは違えど、私もことばの展示ができた。やりたい!と言いふらすのは大事だと思う。おすすめ。

意外といろんな人が見てくれて、いろんなところから感想をもらった。感想をもらうと嬉しいけどなんて言ったらいいかわからず、ことばの展示をしたくせに笑ってごまかした。でも、本当に嬉しかった。心の中では踊っていた。

それから、1年が経つ。

インスタを辞めて私は良かったと思っているけど、みんなに辞めなよ〜なんて言うつもりはない。この時代、辞める方がどうかと思うし、何かから置いていかれている感覚はある。流行りの服はもちろんわからないし(もともと詳しくないけど)、同世代が何を着ているのかすらわからない。

辞める前の私はLINE返信できない病にかかっていた。短く、くだらないLINEならすぐ返信ができる。しかし、重要で、ちゃんと考えて返信なくちゃと思うものは全然返信できなかった。平気で無視したりした。重要なのに。重要だからこそ。
たぶん、情報に溺れていたんだと思う。自分のことも情報化して、普段は直接関わりない人の情報まで得ていた。友達の、友達の、彼女のインスタを見ていた時は、途中から世界一無駄な時間だなと思った。あふれる情報をを私はどうすることもできず、息つぎのしかたすら忘れ、苦しんでいた。上手に流せばいいと思ったけど、流れていくことだけでも、私の中に何かを残していった。それが積もり積もった。
インスタを辞めてから、情報が減って、私は息がしやすくなった。LINEも返せるようになった。手放しても何も困らなかった。こんなもんか、と思った。

あと、単純に人と比べる回数が減った。私は、すぐ人と自分を比べて落ち込む。隣の芝生は青すぎる。加工されまくった写真と、生身の私を比べたってどうしようもないことを知っている。それでも比べる。比べないほうがいいよと言ってくる人全員に言いたいのは、うるせーよってことだけ。


インスタグラム。いつかまた始めるかもしれない。それはまだまだわからないけれど、その時は前よりも息つぎの仕方が上手になっていることだろう。情報に溺れないこと。そして、私の言葉を守り続けること。似たような写真と、似たような言葉に流されずに。私は私の言葉を守りたい。それは個人的で、些細なこと。でも確かに、私を救うものだ。



また、展示がしたいなーと思っている。
今の私にしか話せない話を。こそこそと。


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