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家族でも友達でも恋人でもないのに、私の10年を知る人。

東京生まれ、東京育ちなのに、神奈川の美容室に通って10年が経とうとしている。美容師さんもずっと同じ人だ。髪のことはもちろんだけど、彼は、それ以上に「私」を知り尽くしている。


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10年前、神奈川の大学に通っていた。大学の最寄り駅の前で、2回も私に声をかけてくれたのが、現在もお世話になっている美容師のお兄さん(以下Oさん)だった。

今はSNSでお客さんを集めるのが主流だけど、当時はSNSを集客のために使っている人はまだ少なく、彼のように直接声をかけて名刺やクーポンを渡している人のほうが多かった。

ちょうどその頃、私は「美容室迷子」だった。東京生まれ東京育ちなんて書いたけど、実際には下町生まれ下町育ち。町の美容室は地域のおじさんやおばさんをカットするために存在していて、どこか古くさく、お洒落とはほど遠いお店ばかりだった。

かといって、代官山とか表参道とかの、まるで芸能人が通っていそうな美容室には到底通う勇気もなく、たいして気に入ってもいない地元の美容室に仕方なく通っていた。待ち時間にGTOが読めるくらいしかメリットがなかった。

最低でも4年は大学に通うわけだし、授業の前後に髪を切れたら楽だなと、名刺に書いてあった番号に電話をして予約をとった。もちろん、声をかけてくれたOさんを指名して。


予約当日、学校帰りに美容室を訪ねた。待合ロビーの椅子に座って待っていると、ほどなくしてOさんが現れる。

「今日はよろしくお願いします! 名刺で指名してくれたんですよね? 玄川さんと駅前で話したときのこと、覚えてます!」

170センチくらいの身長で、色白、細身の身体つき、目がくりっと大きくて、flumpoolのボーカルと山﨑賢人を足して2でわったような顔をしていた。年齢は、私より3つか4つくらい歳上だったと思う。

美容師なんだからお洒落でイケメンで当然なんだけど、私は垢抜けない大学生だったので、Oさんに爽やかな笑顔で話しかけられて、えらく緊張してしまった。

施術の前、簡単なアンケートを書かされた。名前とか住所とか、好みのヘアスタイルとかスタイリングの悩みとか、美容室によくあるタイプのアンケートだ。

アンケートの最後に、「施術中はどのような雰囲気を希望されますか?」という質問があった。………どのような雰囲気? 地元の美容室では聞かれたことがなかったので戸惑ってしまう。「あまり話しかけないでほしい」「楽しい雰囲気で」「雑誌を読みたい」などのいくつかの回答の中から、少し迷って「楽しい雰囲気で」にマルをつけた。「美容師さんと仲良く話しながら施術を受ける」ことに憧れがあった。テレビの見過ぎかもしれない。

……でも、「楽しく」を選んで本当に「楽しく」なるのだろうか? 楽しい/楽しくないって結局は人との相性だし……。

――なんて懐疑的に思っていたのだけど、Oさんに施術してもらっている間は、本当に本当に楽しかった。手を叩いて、お腹がよじれるくらいに笑った。「楽しく」ではなく「おもしろく」を選んでしまったのかと思うほどだった。

何がそんなにおもしろかったのか、今はもう思い出せないのだけど、10年経ってもそのおもしろさは変わらない。施術中に(後輩や同僚を巻き込んでまで)平気でふざけるし(しかも小学生男子のようなふざけ方をする)、些細な会話でも呆れるほどいちいち笑いをとりにくる。ひな壇芸人なのか?


笑いの腕はともかく、肝心なのは美容師としての腕だ。私はコントを見に来ているわけではない。ここは美容室だ。

Oさんにはカットとカラーをお願いしていたのだけど、下町生まれの女子大生はいかんせんお洒落に疎い。何をどう変えれば垢抜けられるのか、まったくわからなかった。

「なんかいい感じにしてください」

「わかりました!!」

ふんわりしたオーダーをする私に対して、Oさんの力強い返事。でも、Oさんのトークで笑かされている間に、私のショートボブの髪は襟足まできれいに整えられ、頭のてっぺんから毛先まできれいなピンクブラウンに染まっていた。本田翼みたいだった。

Oさんは、カットしたりカラーしながら、「このカットめっちゃいいわー」「かわいいかわいい!」「このカラーうまく入ってる!」「似合う似合う!」と賞賛し尽くしていた。

イケメンにかわいいと言われるのはさすがに照れるし、Oさんは今でも言ってくれるんだけど、たぶん、自分の技術にも惚れ惚れして言っているんだと思う。自分の手で、お客さんがより良い姿に変わっていくのは、どれほどワクワクすることなんだろう。そうやって自分の学びや努力や技術の蓄積を、謙遜しないところも素敵だなあと思った。


Oさんの美容室を訪れた10年前のあの日、すっかり彼の技術と笑いの腕に惚れこんだ。だから、今日もあの美容室に通っている。


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でもやっぱり、ここだけの話、東京から神奈川に通うのは普通にしんどい。大学に通うのも大変だった。だって1時間半もかかるんだもの。

だから、正直、美容室も、大学を卒業したら変えるつもりだった。神奈川に住んでいるわけでもないし、都内の会社に勤めているのに、なんでわざわざ神奈川まで? もう神奈川に用はない。

でも、1時間半かけてまで、決して安くはない交通費を払ってまでして、Oさんのいる美容室に通うのは、やっぱりOさんを信頼しているからなんだと思う。

10年Oさんに髪を切ってもらって、一度も失敗したことがない。「切りすぎたかしら」と思うことがあっても、周りの人には「今っぽいじゃん!」「似合ってるよ!」と褒めてもらえるし、手持ちの服にも馴染みがいい。やっぱり、Oさんに任せて正解だったんだ!

それに、Oさんは私の面倒くさがりな性格もよく心得ている。私の朝は時間との戦い(ぎりぎりまで寝てるから)だと知っているので、寝癖がつかないようにミリ単位で調整してカットするのだ。毎朝、ほんとうに髪がハネていなくて感動している。Oさんは、私の「なんかいい感じに」という人任せなオーダーを、スタイルと機能性の両面から叶えてくれる。


信頼しているのは、施術の面だけではない。この10年、毎日とはいかないけど、大体2ヶ月にいっぺんは顔を合わせてきた。施術中、Oさんは「ルミネtheよしもと」かと思うほど笑わせてくれるけど、真面目なことも、同じくらいたくさん話した。もしかしたら、Oさんは友達より私の10年を知っているかもしれない。

大学生のときは、ゼミやサークルの人付き合いの悩み。社会人になってからは、やりたい仕事と与えられた仕事が違うジレンマ。恋の話だってした。平日休みの彼と休みが合わず、すれ違いに疲弊していたことも、Oさんは知っている。

美容室でセットチェアに座りながら、その時その時に直面している悩みを吐露してきた。Oさんは、私の髪を切ったり、ロッドで髪を巻いたり、髪にカラー剤を塗ったりしながら、うんうんと相槌を打って聞いてくれた。

美容室でしか顔を合わさないOさんになら、言えてしまうことがたくさんあった。たぶん、単純に話を聞いてほしかっただけなんだと思う。当時の私は、「心配かけたくない」とか、「こんなことを言ったら嫌われるかも」とか、そんな気持ちが先行して、親しい人にこそ悩みを打ち明けられなかった。

起こった出来事に対して、私がどう思ったのか、どう行動したのか、Oさんに話しながら整理して、確かめていた。その選択で良かった、それできっと間違っていなかったって、Oさんに話しながら、自分の気持ちを固めていたのかもしれない。

Oさんは、いつも私を肯定してくれる。もちろん、私とOさんの考えが異なるときもあるのだけど、絶対に否定はしない。「玄川さんの立場ならそう思いますよね」と受け入れ、自分の体験と照らし合わせながら「俺はこう思います」と話してくれる。そして私も「Oさんのような考え方もあるよなあ」と、トゲトゲした心が少しマイルドになるのだ。

否定しないのは、私が「お客さん」だからかもしれないけど、それでもいい。誰かに肯定されるのは、とても心強いことだから。


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Oさんとは、互いの「夢」を共有している。

私は、文芸創作の勉強をするために大学に通っていたので、当時から「書く仕事がしたい」と話していた。Oさんも「美容師の道を極めたい」と語ってくれた。実際に彼は、すぐにお店のトップスタイリストになったし、今はもう店長の役職にもついている。彼が育てた後輩もめきめきと成長し、コンテストで賞を獲るなどしている。

一方で、私はまだ何者にもなれていない。私がほそぼそとインターネットで文章を書いていることをOさんは知っているし、応援もしてくれている。たとえば、私が「残業が多い」と嘆くと、「文章を書く時間がなくなってしまうのは良くないですよね」と、Oさんは私の夢のことを第一に考えてくれる。それが、とてもうれしい。

Oさんと将来どうなりたいか話していると、自然とやる気が湧いてくる。施術を終えて帰る頃には、心が軽やかになっているから不思議だ。モヤモヤを吐き出して、背中を押してもらって、また頑張ろうと思える。美容室は、見た目だけでなく、心も整えてくれる場所だったらしい。


「美容室に行く理由」は、人それぞれ違う。髪を切る、カラーをする、パーマをかける……、様々な理由があるだろうけど、私はたぶん、Oさんに会いに行っている。Oさんに聞いてほしい話があって、あの美容室に行っているんだと思う。

「どんなヘアスタイルにするか」より、Oさんに話したいことを考えながら、神奈川まで電車に揺られている。ヘアスタイルのことは、私が考えなくても「なんかいい感じに」って言えば、なんかいい感じにしてくれるって、もう十分すぎるほど知っているから。

家の近所にも、そこらじゅうに美容室はあるけど、私はこれからも、1時間半かけて、安くはない交通費を払って、Oさんのいる美容室に通い続けるだろう。いつかOさんに、白くなった髪を染めてもらうのも楽しみだ。

さて、次に会ったときは、どんな話を聞いてもらおうかなあ。


#私が美容室に行く理由

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