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「なんだ、せっかく夏休みも会えると思ってたのに」

高校受験を控えた、中学生最後の夏だった。

給食のお膳を片付けている最中、同じクラスの男の子――便宜上、以下からY君とするけれど――に「夏休みの講習、来るよね?」と聞かれた。

夏休みまであと少し。彼が話しているのは、今朝申し込みが締め切られた学校の夏期講習のことだろう。7月の後半と8月の前半・後半に英・数・国の三科目の補習を行うらしい。

お盆とお箸をそれぞれステンレスの食器カゴに戻す。箸と箸がぶつかって、カチャっと小さく音がした。彼からそんなことを聞かれるなんて、思ってもみなかった。

「……塾の夏期講習に行くから、学校の講習には行かない」

淡々と答える。すると彼は

「なんだ、せっかく夏休みも会えると思ってたのに」

と、言った。

……?? ……ん? なんだって??
“夏休みも会えると思ってた”??

心臓がバクバクしてしまう。それは、ストレートに、夏休みも私に会いたいと思ってくれてるって解釈していいのでしょうか?

どうして、そんなこと言うんだろう。
期待してしまう。
君のこと、好きになりたくないのに。


___


私の通っていた中学校は、そこそこ荒れていた。

生徒が授業中に教室を抜け出したり、校内で(時には学校の外で)暴れまわるのは日常茶飯事。45分間の授業はまともに行われたためしがなかった。トイレや空き教室にはタバコの吸い殻があったし、髪を金色に染め、耳や鼻にピアスをつけてくる学生もいた。

先生たちは、学校の治安を守ろうと頑張ってくれた。体育の教員免許を持つガタイの良い学習指導員を雇い、廊下に常駐させ、私たちが悪さをしないよう監視させていた。

学校に行くのが、嫌で嫌でしょうがなかった。暴力を振るったり、弱者をいじめたり、誰かに迷惑をかけることを「カッコイイ」と思っている同級生たちにほとほと呆れていた。

私自身がいじめられていたわけではないけれど、友達がからかわれている姿を見るのも嫌だった。友達のために言い返したり、闘ったりしたこともある。私は、「スクールカースト」の下の方にいた。

中学3年間、必死で勉強した。学校で暴れ回る不良も、人をあざ笑うクラスの女の子たちも、やられっぱなしの友達も、みんなキライ。誰とも同じ高校に行かなくて済むように、偏差値の高い優秀な学校に進学したかった。定期考査で、私は学年トップを取り続けた。

早くこの環境から抜け出したい、その一心だった。



中学1年生の時、Y君と出会った。男女別の出席番号がそれぞれ「23番」だった私とY君は、入学当初となりの席だった。窓際のいちばん前の席が私、通路を挟んで右どなりがY君の席だ。

Y 君は「荒れている生徒」ではなかったけれど、品行方正な生徒でもなかった。最初の授業――たしか数学だったような気がする――で、先生が話している最中、急に立ち上がって「紙くず」を捨てに行ったのは、なかなかの衝撃だった。

授業中、となりの席の人がなんの前触れもなく立ち上がっただけでもびっくりするのに、堂々と教壇の前を横切ってゴミを捨てに行くって、正気か。私と先生……というか、教室にいた全員が、あの時、彼の動きを静かに目で追っていた。

「え? 何? どうした?」

先生の動揺した問いかけ。

「え? ゴミ捨てたかったんで」

平然と答える彼。息をのむ先生(と私)。

「授業中に立ち歩いちゃいけないって小学校で習わなかったの?! ゴミは!! 授業が終わってから捨てなさい!!」

「えー、すみません」

えー、じゃない。

10年以上昔の出来事をありありと思い出せるなんて、我ながら気持ち悪い。Y君との思い出をさかのぼると、いちばん古い記憶がコレだった。


私とY君は、「出席番号が同じ」というただそれだけの理由で、何かと接点を持つようになった。試験期間中の座席はとなり、美術など教室を移動して受ける授業は決まって同じテーブル。自然と、よく話すようになった。

Y君はサッカー部に入っていて、運動神経も良かったし、体育が好きだった。手先も器用だったから、美術や技術も得意だったと思う。でも、あまり勉強はできなくて、5教科の成績は私に張りあっては負けていた。

Y君は、馬鹿で阿呆でお調子者だけど、どこか憎めなかった。「学校の人たちとはできるだけ関わらないようにするぞ」と固く決めていた私の心にも、するりと入ってきた。人と距離を縮めるのが異様に上手かった。

人なつっこい性格だから、先生にも可愛がられていたし(彼の名誉のために書いておくと、初回の授業以降、急に立ち歩くことはなかった)、私や私の友達、つまり「スクールカースト」の下の方にいる人にも、あまり偏見なく接しているように見えた。


私たちの間に、これと言った特別な会話はなかった。

授業がどうとかテレビかどうとか、どこにでもいる中学生が話すようなことを話していた。マンガやアニメの話が多かったかもしれない。当時から、私は「ONE PIECE」や「テニスの王子様」といったジャンプ作品が好きだった。

余談だけど、私は、中学校生活を「ONE PIECE」に救ってもらった。

学校に行くのがつらかった時、麦わらの一味が歌う「ウィーアー!」を聞いて、心を落ち着けてから家を出ていたし、テストで良い成績を取ったご褒美に、単行本を少しずつ買い集めていた。

ルフィたちの冒険も楽しかったけれど、強烈に惹かれたのは「仲間」というものだった。

この荒れ狂った中学校で「仲間」はできそうにない。でも、高校に行ったら出会えるといいな。ルフィにとっての、ゾロや、ナミや、ウソップのような。一緒に生きていきたいと思える最高の仲間に。

そんな淡い希望を抱いていたから、なんとか死なずに済んだ。


話を戻す。「優秀な高校への進学」だけを目標に学校に通うのはつらかったけど、Y君と話をしているとほんの些細なことでも楽しかった。彼は、何か面白いことを言って人を笑わせるのも得意だった。

極力、学校の人を避けていた私にとって、Y君は唯一「楽しく話ができる人」だった。暴力やいじめをしてくる人とは違って見えた。

たぶん、心を許していた。


___


中学2年生の時、Y君とは違うクラスだった。その1年間はあまり関わりがなかったと思う。会話は確か一度だけ。年1回開催される写生大会のために、学年全体で菖蒲園に足を運んだ時のことだ。

紫色の菖蒲の絵を描いている最中、どこからともなくY君が現れて、「見せてよ!」と言ってきた。「イヤ」と断ると、「なんでよ!一生のお願い!」と懇願してくる。こんなことで一生のお願いを使うなよ、と笑けてしまった。

その日以降、Y君と話すことはなかった。


3年生に進級すると、また同じクラスになった。出席番号も同じ、となりの席からのスタート。まるで1年生に戻ったみたいだった。

1年生の時と、Y君はさほど変わっていなかったように思う。成長期だから背丈が伸びていてもいいはずだけど、元々Y君は背が高かったし、私は小さい方だったから、身長の変化には気がつかなかった。

学年が上がったタイミングで不良デビューする生徒も多かった。でも、Y君はいたって普通の中学生のまま。Yシャツを第二ボタンまであけたり、カラフルなベルトをしてきて先生に注意されていたことはあったけれど、中身は相変わらず馬鹿で、阿呆で、お調子者で、人なつっこくて、憎めなくて。変わっていなくて安心した。

私とY君は、1年のブランクを感じさせないくらい、元通り、すぐに仲良くなった。また面白いことを言って、何度でも私を笑わせてくれた。


「Y君のことが好きかもしれない」と、思ったのは1学期が終わる頃だった。

「これ」という決定的なきっかけがあったわけではない。話していると楽しくて、もっと話したいな、明日も話せたらいいな、という気持ちが、日に日に膨らんでいった。

今、これを書いているアラサーの私から言わせてみると、その感情は間違いなくだ。恋なのだけど、中学3年生の私は、絶対に認めたくない理由があった。


Y君を好きになってしまったら、これまでの努力が全部ムダになる。

長期休みまでの日数をカウントダウンして待ちわびるほど、学校がキライだった。「中学校で一番優秀な生徒」と教師に言われるまで勉強に打ち込めたのは、偏差値の高い高校に進学して、この学校の人々と永遠のお別れをするためだ。

もし、Y君を好きになって、運よく両思いになって、付き合うことになったとして。そうしたら、この学校の人とは縁を切れない。Y君は、男女問わず友達が多かったし、不良になった子とも、私の友達をいじめていた子とも、誰とでも仲が良かった。

Y君に恋をして青春するよりも、この学校の人たちと一生関わらないで済む人生の方が、当時の私にとって重要だった。

残酷なことを書くけれど、“この学校の生徒”という言葉の中には、いつも一緒に遊んでいた友達も、Y君のことも含んでいた。どれだけ仲が良くても、話しているのが楽しくても、「特別扱い」できなかった。

すべてをなかったことにしたいと思えるほどに、毎日が苦しかった。


「なんだ、せっかく夏休みも会えると思ってたのに」

と、Y君は言ったけれど、私だって「学校の講習に行けば、Y君に会えるのかな」と思うことはあった。実際に、塾の夏期講習を受けながら「Y君、ちゃんと学校の講習行ってるのかな」なんて、よく想像していた。

Y君に会いたいという気持ちより、学校に行きたくない気持ちの方が大きくて、強くて、確かだった。15歳の私は嫌に現実的で、大人びていて、恋に盲目には、なれなかった。

当時、携帯電話も持っていなかったし(持っていたとしても、誰かに連絡先を教えることはなかっただろうけど)、夏休みの間、一度もY君とは会わなかった。


___


夏休みを終えて、2学期、3学期と季節が巡っても、私とY君の関係が発展することはなかった。仲の良い異性のクラスメイト。それだけでも、十分に居心地がよかった。

話しているとやっぱり楽しい。あんなに憂鬱だった学校も少しは楽しめるようになっていた。Y君とくだらないことで笑い合っている時間が好きだった。

一方で、彼を好きにならないように、一生懸命気持ちをセーブしていたのも事実だった。

もう捨ててしまったけれど、学校がつらすぎて遺書のつもりでつけていた当時の日記には、「Y君とこんなことを話して楽しかった」と記しながら、「でも、好きじゃない。これは恋なんかじゃない」とも、自分に言い聞かすようによく書いていた。



「Aさんと、何かあった?」

技術の授業で木材をギコギコ削っている時、Y君が私に尋ねてきた。ドキッとして、リズミカルにノコギリを動かしていた手が止まってしまう。

受験が終わって、残すは合唱コンクールと卒業式だけになった頃だった。ガリ勉の甲斐あって、私は第一志望の高校に推薦入試で合格を決めていた。Y君も、私立高校への進学を決めていたと思う。

その頃、仲良くしていた友達――便宜上、彼女をAちゃんとする――と、どうにも上手くいかなくなっていた。

Aちゃんとは、小学校の時からの付き合いで、マンガやアニメの話で気が合った。リストカットの傷を見せてきたり、ちょっと変わった子だったから、スクールカーストの上の方にいる子から目をつけられやすく、私が代わりに怒ることもあった。

Aちゃんが所謂「別のグループ」の子と仲良くし始めたのは、3学期に入ってからだっただろうか。彼女は「阿紀に嫌われたら死んじゃう」と言うほど、私に依存していたところがあったので、私以外に仲の良い友達ができたことは、心の底から良かったと思っていたし、安心した。

だから、Aちゃんに「無理に私たちと一緒にいなくていいよ、もうすぐ卒業だし好きな人と一緒に過ごしてね」と伝えた。それ以上の意味もそれ以下の意味もなかった。でも、以来、なぜかAちゃんから避けられるようになってしまった。どうやら、「阿紀に嫌われた!」と勘違いさせてしまったらしい。私の言葉足らずだった。

正直、Aちゃんと上手くいっていないことをY君に見抜かれているなんて思わなかった。馬鹿なくせに。どうしてこんなところだけ目ざといんだろう。

そういえば、以前、家族で近所のファミレスに行った時に偶然Y君と会ったことがあった。その時も、私の姉が髪をいじる癖がある、とか、私の父が着ていた服についてものすごくよく観察して、後日学校で報告してきた。めちゃめちゃ恥ずかしかった。観察力だけはあるのかもしれない。

溜息を吐く。もう卒業も近いし、隠す必要もないだろう。ノコギリを再度前後に動かしながら、Y君にAちゃんとあったことを話した。それから、仲直りするつもりがないことも、正直に言った。

Aちゃんのことは好きだったし、仲の良い友達であったことは確かだけど、心のどこかで、依存体質のAちゃんと関係を続けていくのはしんどいと思っていた。同じ高校に行くわけでもないし、上から目線だけど、これ以上世話をできないとも感じていた。

Y君は、手を動かしながらも私の話を静かに聞いてくれた。入試で休みの生徒もいたから、技術室はいつもより人が少なかった。四人がけのテーブルには、私とY君しかいない。木材を削る音がうるさい。この会話は、たぶん他の人には聞こえなかっただろう。

「……まあ、それもそうだよな。いつまでもお前が面倒見れるわけじゃねーし。Aさんも一人立ちしないと」

「あはは、ありがとう」

本来なら「仲直りした方がいいよ」と誰もが言いそうなことを、Y君は言わなかった。

卒業まであと少し。元々、この学校の人とは縁を切るつもりでいたのだから、誤解とはいえ、Aちゃんとも然るべくしてそうなったのかもしれない。でも、3年間ずっと同じクラスで、ずっと一緒にいたから、やっぱりちょっとつらかった。

だから、Y君が気にかけてくれて余計にうれしかった。私の決断が間違っていたとしても、肯定してくれたことが、なぜだか妙に心強かった。



中学3年間のうち、笑顔で登校できたのは卒業式の日だけだった。この監獄のような場所からいよいよ卒業できるんだと思うと、うれしくて仕方がない。晴れやかな気持ちだった。

放課後、仲良くしていた子の何人かで卒業アルバムに寄せ書きを書くことにした。私たちがアルバムを回しているのを見て、Y君も「俺も書く!」と言って書いてくれた。

私の元に戻ってきたアルバムを見る。女の子たちは割と長々とコメントを書いてくれていたけど、Y君の寄せ書きはサラッと一言だけ。青いボールペンで書かれていた。

「ONE PIECEよ、玄川のためにいつまでも続いてくれ……!」

笑ってしまった。
この人、私のことよく見てくれていたんだな。


___


卒業してから、あの学校の人と関わりを持つことはなくなった。もちろん、Aちゃんと仲直りすることもなかった。高校入学と同時に携帯電話を持つようになったけど、メールアドレスも電話番号も、あまり人に教えなかった。

一度、自宅の前で中学校の同級生(割と不良の部類に入る人たち)に絡まれたことがあって、「玄川だよね? メアド教えてよ」と言われたけれど、「人違いです」と断った。相手は困惑していた。

高校デビューを果たしたわけでもないし、見た目は中学生の時とさして変わらなかったと思う。人違いで乗り切った私のメンタルの強さよ。


でも、「中学校の人たちとは縁を切る」という確固たる意志があったにも関わらず、ほんの出来心でY君の「前略プロフ」(当時、メールアドレスで登録できるプロフィールサイトが流行っていた)を探してしまったことがあった。

高校2年生の、修学旅行の夜だった。クラスの女の子の恋バナを聞いていたら、急にY君のことを思い出した。

Y君のページはすぐに見つかった。どんなことが書いてあったか忘れてしまったけれど、名前と誕生日と高校名と出身中学校と部活と、必要最低限の情報しか書いていなかったと思う。

修学旅行特有の高揚感のせいだろう、勢いでY君にメッセージを送ってしまった。「中3で同じクラスだった玄川です。元気?」とかなんとか、当たり障りのないことを書いたような気がする。返ってくるとも思っていなかったし、返ってこなくてもいいと思っていた。

数日後、Y君から返事があって驚いた。「久しぶり! せっかくだからメールしてよ!」という文言とともに、メールアドレスが添えてあった。Y君の言葉が文字になって表示されるのは、なんだか変な気持ちだった。

そこから、何回かY君とメールのやりとりをしたけれど、どんな話をしていたのか思い出せない。普通の高校生が普通に話すようなことを送り合っていたんだと思う。次第に、返事は来なくなった。



一度だけ、Y君に会ったことがある。高校3年生の時のことだ。

日差しは夏だったけれど、まだ風はひんやりしている。初夏と呼ぶのがふさわしい季節。授業を終え自宅の最寄り駅に着いても、夕暮れを感じさせないほど空が明るかった。

ウォークマンから、携帯電話会社のCMに起用されたYUIのラブソングが流れてくる。「ONE PIECE」の楽曲だけでなく、J-POPも好んで聴くようになった。学校に行くのに、自分自身を奮い立たせる必要がすっかりなくなっていた。

自宅付近のローソンの前、自転車とすれ違う。私の髪がふわっと風になびいた。すれ違いざまに目が合う。男子高校生のようだ。ふと、Y君の顔がよぎる。似ていたような気がするけれど、まさか。信号を渡る。私は歩き続けた。

「ちょっと待って!!」

すれ違ったはずの自転車が急に目の前に現れて止まった。びっくりして身体が跳ね上がる。え、何、引き返してきたの?!

「玄川じゃん、玄川だよね?!」

やっぱり、Y君だった。顔を見るのは卒業式以来だった。日焼けしていたけれど、顔には当時の面影があって、すぐにY君だとわかった。

「いや、人違いです」

動揺して、咄嗟に嘘が出てしまった。

「いやいや嘘でしょ」
「人違いですっ」
「またまたあ。玄川でしょ?! 玄川じゃん!」
「人違いだって……あははっ」

いつかは「人違い」で乗り切ったのに、Y君の前では笑ってしまってダメだった。だって引き下がらないんだもん。ここまで「玄川だよね?!」とグイグイこられたら、笑いをこらえ切れなかった。

「へー、元気そうじゃん」
「そっちこそ」
「かわいくなってて安心した」
「ハイっ?!?!」
「じゃあ、またな!」

短い会話だった。颯爽と自転車を漕ぎ出して、瞳の中からどんどん真っ直ぐ遠ざかっていく。呆然と後ろ姿を見つめた後、声をあげて笑ってしまった。

なんであの人、やたらと殺し文句が上手いんだろう。
恥ずかしがることもなく、なんでも素直に言えてしまうところが、

好きだった。


___


Y君への恋心をすとんと認められたのは、実は中学校の卒業式の日だった。

友達が――仲違いをしてしまったAちゃんではないのだが――最後に手紙をくれた。その子は、私と同じグループではなかったけれど、小学校の時からの友達で、中学3年生の時に同じクラスになってからは毎日のように手紙のやりとりをしていた。これが最後の手紙かと思うと、感慨深い。

手紙には、「Y君のことが好きだった」というようなことが濁して書いてあった。

――驚かなかった。彼女はY君と仲が良かったから。バレンタインにチョコをあげていたのも知っている。たとえ義理チョコだったとしても、キライな人にあげるはずがない。

あんなに頑なに「好きじゃない」「好きにならない」と意地を張っていたのに、何で胸がチクッとするんだろう。

ああ、私、とっくにY君のことが好きになってたんだ。

すべてが終わってからじゃないと、認められなかった。もう二度と、こんなに悲しくて切なくて、やるせない恋愛はしたくない。



今、Y君がどこで何をしているか知らない。

成人式にも行かなかったし、そういえば、お世話になった中学校の先生のお通夜でY君を見かけたような気がしたけど、誰とも話したくなくて逃げるように帰った。

大人になった今も、中学校の人たちとの関わりはない。だから、Y君の情報が私に入ってくることもないし、逆を言えば、私の情報が彼に流れることもない。

Y君と最後に会ってから、10年以上経つ。Y君は私のことなんて忘れてしまっているかもしれない。私自身、あんなに憎んでいた中学校での記憶がかなり薄れつつある。でも、Y君との思い出は、忘れたくないことの方が多い。だから忘れないうちに、ここに書き残しておきたいのだ。

もうY君に会うことはないだろうけど、彼が今もどこかでちゃんと生きているとしたら、

あの時と変わらず、馬鹿で阿呆でお調子者であってほしい。
人なつっこくて、誰からも好かれる人であってほしい。
思いやりがあって、誰かを笑顔にできる人であってほしい。
どうか、あの時と変わらないでいてほしい。

私と彼の人生が交わることは、二度とない。高校3年生の時、あの路上で一度交差したきり、二人の人生の線はそれぞれ違う方向に伸びていった。あれが、私たちの最後だ。

だけど、この恋はこれでいい。
この終わり方が最高のハッピーエンド。
そう、これ以上ないってくらいに。

今でも、夏がやってくると思い出す。
「なんだ、せっかく夏休みも会えると思ってたのに」
と言う、つまらなそうなあの声を。


――これが、はじまらずに終わった、私の大切な恋の物語。


#キナリ杯


*2020年6月6日追記:このnoteが、作家・岸田奈美さん主催「キナリ杯」特別リスペクト賞10「令和の大恋愛賞」に選ばれました。

以下のnoteから、岸田さんによる講評がご覧になれます。うれしすぎるので、ぜひ(私と)共有してください。

岸田さん、読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!

2020年8月5日追記:キナリ杯の受賞作品が「キナリ杯2020」として電子書籍になりました。

Kindleで読めます。もちろん私の作品も掲載されていますよ!
noteに、出版にまつわる思いを書きました。そちらも合わせてお読みいただけるとうれしいです。


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