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表現するために、私は書く。

今、文章を書く仕事をしているけれど、作文を褒められたこともないし、これと言った受賞歴もない。ほんとうに、「書くことが好き」それだけで、どうにかこうにか、ここまでやってきた。

「書くのが得意なんです」「読書感想文はいつも賞をもらっていました!」と、わざわざアピってくる人を見ては、正直焦りを隠しきれなくて。他者からの承認と、自らの承認を得るために、少しでも“書く”スキルを身につけようとあれやこれや努めてきた。


どうやら、世の中には、たくさんの“書く”テクニックがあるらしい。

・全体の文字数は〇〇字が良い。
・一文は〇字まで。
・タイトルには数字や伏せ字を入れる。
・お役立ち情報を書くと良い ……etc.

ほかにも、たくさん、たくさん。


上手に書けるようになって、今よりも多くの人に私の文章を読んでもらいたい。そんな思いから、これまで培ってきた「(オリジナルの)書くための経験則」を捨て、世間一般で語られるテクニックに則って文章を書くようになった。みんなの「良い」を使えば、誰かに褒められる文章に近づけると思っていたのだった。


でも、その途端、文章を書くのがつまらなくなってしまった。プツンと糸が切れたように、言葉を紡ぐ手が止まった。


原因は明白だった。テクニックに則った文章、そこに一切の《私らしさ》を感じられなかったからだ。


小さい頃から文章を書くことが好きだったけれど、上手な文章を書くこと、人に褒められるような文章を書くことが好きだったのではない。「書く」という手段で、自分を、自分の世界を表現することにこの上なく悦びを覚えていたのだった。

良しとされるテクニックは、可能な限り余分なものを削ぎ落としていく。「私の表現したかったこと」の多くは、ノウハウ上の観点から見れば「余分」なものだった。それらを削ぎ落してみたら、強みとして褒められることもあった表現力やオリジナリティがごっそりとなくなった文章になってしまった。



今ならわかるのだけど、「表現するための文章」と「売れる・バズるための文章」は、毛色が違う。とにかく文章が上手くなりたいと思っていたから、当時は気が付かなかった。承認を得たいという焦りから、上手くなる方法があればなんでも飛びついていたのだ。

もし、自分で商品やサービスを持っているなら、ライターとしてクライアントの商品を宣伝することが仕事だったとしたら、それらを“売る”ために、テクニックを使って文章を書くことも必要だし、重要だと思う。

でも、どんなにテクニックがあっても、最終的には人の心に届かなければ意味がない。心に届かなければ、売れない。誰かの心に届けるために必要なのは、本当に小手先のテクニックだけなのだろうか。


私がなぜ書くかと言えば、それは「表現するため」で、誰かにお役立ち情報を届けたいわけでもないし、商品を売りたいわけでもない。世界をどうこうしたいとも思わない。私は、なんのためでもなく、自分のために書きたい。これからも、ずっと。

そしてそれが、たまたま誰かの琴線に触れ、たまたま誰かの心を動かすことができたなら、とても幸運だと思うのだ。




《まとめ》
ノウハウだけに頼りきらない。オリジナリティも大切に。
《“written”のホームワーク》
あなたはなぜ、書くのですか?
あなたの書きたい文章は、どんな文章ですか?

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※参考URL>>>https://note.mu/fladdict/n/n6012cf1b49fd
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