経験談 尊敬を失った話
今までずっと「なんていい人なんだ」と思っていた人が、とんでもなくクレイジーだった。
私はその人をいたく尊敬しており、10年近くその人に憧れ、追いかけ続けていた。
バンドマンというのはそういうものなのだとわかっていたが、それでも、その落差は絶望的だった。
外面は非常に良いので、外部から見れば活動的で、他人に優しく、とても耳障りのいい綺麗事を言える。先輩にいい顔したいし、後輩にカッコつけたい。
一方で、それが身内や目下になると、自分のいいようにコントロールしようとして、人を極端に攻撃する。特に、私のような気の利かない女は、罪悪感なく正義の心で攻撃できるみたいだ。
初めて会った時はそんな人じゃなかったと思っているが、今となってはそれもただの外面だったのかもしれない。あるいは、随分と傲慢になられたのかもしれない。
具体的に何がしんどいかというと。
まず私はスタッフとしてイベントに入るわけだが、そこには最低でも当日の予定が必要だ。
ここで私はタイムテーブルをもらえない。明確な入り時間がわからない。
入り時間がわからないから早めに行き、周辺で待機する。
しかし、どれだけ連絡を入れようと関係ない。そもそも連絡しても見ない。向こうの思った通りの時間に入らないと、怒られる。そして、機嫌を損ねたら無視をされる。
他のメンバーはLINEの連絡グループがあるが、私はそこにいない。明確な線引きがある。そちらのメンバー内では情報共有もされているし、打ち上げの連絡もあるらしいが、私はさっさと帰らされる。
ミソジニーかと思いきや、女性のカメラマンは上手くやっている。
スタッフという役職をとんでもなく見下げてバカにしているため、私がヒイコラやろうとも、差別される。職業的差別、あるいは、縦社会。
先日の遠征では、私が行くという事さえも正確に認識されていなかったため、別途宿を取る必要が出てきた。
その日は、そこで大きな花火大会があって、土日だったので金額も高かった。
でも、請求したところで払ってもらえると思わなかったので、結局自腹覚悟で安めの宿を取った。
ネカフェでもよかったけれど、周りの優しい人たちが「それはあまりにも可哀想だ」というので、可哀想がられながら、私は宿を取った。
もちろん、私の失敗は色々ある。それを怒られるのは仕方のない事だ。だが、あえて失敗ばかりを見られているような、目の敵にされているようなことばかりな上にタイミングも悪い。
ここで一度立ち返るが、私はその人を尊敬していた。だから、その人のそういう部分を、見て見ぬふりで誤魔化そうとした。
私が悪い、私がついていけないのが悪い。そう思っていた方が、私の10年を無駄にしなくて良い。
信頼できず必要ないのであれば、「要りません」と一言言ってもらえたら、私も自身が愚かなだけで済んだのに。
しばらくそうやって騙し騙し生きてきたが、急に糸がプツンと切れた。その人の楽曲全てをアンインストールし、交わりをたつことに決めた。
そういった貴賤を、一般社会的に非難することはできない。
なぜならその人はバンドマンであり、常識や社会的通念の枠外で生きているからだ。
芸術における才能とセンスはもちろんあると思うし、人に恵まれている部分も多くある。
これを、天然のサイコパスと捉えるか、ADHD・ASDに見られる発達障害的傾向と捉えるかは正確でないが、いずれにせよ話は通じないし、外面はいいので多くの人がその人を守るだろう。かつての私がそうであったように、その人を尊敬する人は大勢いる。
私が言いたいのは、
そういう人とは早く離れるべきだ
ということだ。
私自身、ほとんど会って話すこともないのに、尊敬と絶望の間の落差でいっとき持ち直せないくらい傷ついた。
少しでも違和感を覚えたら、逃げるべきだ。そのまま見て見ぬ振りをしてつっこんではならない。
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