音楽も役に立たない夜

普段はずっと、音楽を聴いている。

移動も一人でいる時も実家にいてもずっと基本、イヤホンをしている。音楽の詞だとか音の荒々しさに縋りたいのが理由だ。

でも、音楽も役に立たない夜がある。今日で二度目。

音楽が役に立たないと感じた最初の日は、ここ数年間で一番悩んだ日だった。仕事で上手くいかず、私を頼る声すら嫌になって、頼りたかった人に拒絶された日。失恋の日。人生で初めて、自分のものになることは一度もなく振られた日。大惨事。

これまで生きてきてもっとピークはたくさんあった。けれど、自分自身との付き合い方が分からなくなったのはこれが今までで一番。そんな時に音楽は役立たなかった。何を聴いても違う。ずっと助けられてきた曲も色々な思い出が邪魔して意味を成さなくなった。雑音だった。好きだった人が好きな曲は不協和音になった。前聴いた時は、あんなに幸せな気持ちで聴いていたのが嘘のようだった。


今日で二度目。

環境も未だ変えられず、時間が経つにつれて周囲に対する諦めだけがついていく。

目が合って、その一瞬で嫌悪する冷たさだけ、確実に通じ合った。話はずっとすれ違っていたのに。皮肉だった。

素直に書く。手に入れられないものはただただ憎いままだ。

いつまで経ってもきっと、そのままだ。諦めるなんて自分都合の言い方するのも腑に落ちなくて、その姿が決して見えない位置に行くまで感情はこのままなのだろうと思った。認めることをしなくてはいけない。一人だということ、寂しいこと、大嫌いだということ、反面、無感情ではなくまだ気持ちが残っているということ。


自分について時間を費やしてやりたい時、音楽は邪魔になる。

また、音楽が邪魔な時は自分しか頼れない時だった。


二度目のそんな夜を迎えて、一度目の自分が今日まで生きてきたことを精一杯褒めようと思った。私は自分の承認が昔から苦手だけど、よく頑張りましたと今言ってやれるのは自分しかいないので、今日は甘やかしてやりたい。


夏が嫌いです。平成最後の夏というワードはもっと嫌い。

冬より夏の方が本当は寂しい。春より夏の方が大切な別れが多い。

冬の寒さより、夏の暑さの中で人に頼る方法が分からないからもっと距離が開くし、春の形式的な別れより、夏の情緒的な別れの方がいつだって悲しい。

夏が嫌い。

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