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おさななじみがいないわたしが考える“教育のかたち”

私は父の転勤に伴い、3つの小学校に通いました。転出・転入の生徒も多く、時期もばらばらで手が回らなかったからなのか、今とは時代が異なるからなのか、学校や先生からきめ細かなケアを受けた記憶がありません。

授業の進度なんてクラスによっても違うくらいですから、学校が変われば「まだ習ってないよ~」なんてことも当然あります。
雪が降らない土地からやってきたのに、いきなりスキー場で「リフト乗って滑るぞ~」とか、水泳の授業では飛び込みを習っていないのに、「クロール100M×4人の400Mリレー(もちろん飛び込みで)」とか。

国語や理科はなんとかなりますが、算数は習っていないところの先に進まれちゃうと、当然のことながらさっぱりわかりませんでした。逆に、ここはもうやったぞ、というところは授業が復習になりますから強いですね。

でも、習ったところ・習っていないところがまだら模様にあっても、なんとか取り戻せるものです。

コロナの影響で休校が続く中、「学びを止めない」ということがさかんに言われ、多くの学校・先生・企業がオンラインコンテンツを提供してくださっています。本当にありがたいことです。

でも、学びが多少止まってしまっても、わたしは経験上、なんとかなると思っています。

大人だってみんながみんな、毎日毎日常に学び続けているでしょうか。授業が少しでも止まってしまったら、人生に多大な悪影響を及ぼすのでしょうか。
「やってみて、わからなければ調べる」それができれば、長い人生の間に、遅れた分はいくらだって取り戻せると思うんです。


私は日本語を学習している生徒さんとの会話レッスンを受け持っています。Skypeでの1on1です。

先日、生徒さんからの告白がありました。
「大学で日本語を勉強していた。2年生の時に10単位ほどパスできなかった。パスできなかったものは、次年度に年下の学生と一緒に履修しなければならない。それはとても恥ずかしいことで、年下からは馬鹿にされるし、仲間ハズレにもされる。講義は難しいし、友達はできないし、大学生活はとても苦痛だった。」
涙が出ます、と言いながら話してくれました。

そんな彼は
「先生の授業を受けてからは、自信を持てるようになりました。先生は馬鹿にすることなく、自分が話すことに耳を傾け、待ってくれます。日本語を勉強することが本当に楽しい。」
と言ってくれました。

また、オンライン授業を行っている先生が
「オンライン授業になっておどろいたのは、不登校の子がオンライン授業では一番反応が速かった。その子がいちばん学びたかったんだろう。学びの場を欲していたのだろう。」
というようなことをおっしゃっていました。

学びたくても学校に行くことができない、誰かと比べられるのは嫌だ、そんな学生を、オンライン授業はすくい上げてくれます。


オンライン授業でも学生カーストが存在する、というような意見も目にしました。オンライン授業になっても仲良しグループは存在するし、コミュニケーションが苦手な子はますます影が薄くなってしまう、カメラ越しでも話し方、映り方がうまい人はウケがいい、というような意見でした。
これは、カメラをオフにする、先生がファシリテーターになる、ということで解決できるはずです。

以前、ボス(私の雇用主)の授業に参加したことがあります。その授業は少人数で行われており、ボス以外の学生はすべて「顔出しなし」のオンライン授業でした。
学生はカメラをオフにすることで、講義に集中できるようでした。
学生に意見を求めるときは偏りが無いように指名し、学生の意見をもとに話を広げたり次の学生につなげたり、うまくファシリテーターになっていました。

また、娘の休校中に探求学舎さんの動画をYouTubeで視聴しました。画面では先生とスクリーンしか見えませんが、先生には生徒たちの顔が見えているようです。生徒たちはチャットで質問したり、感想を伝えたりできます。先生はコメントを取り上げながら生徒たちの反応を見ていました。教室にいるような雰囲気がこちらにも伝わってきましたね。

オンライン授業は小児入院患者さんにも相性がいいと思います。
長期で入院しているこどもたちには先生が病院で勉強を教えていますが、これは先生の負担も大きいですし、こどもたちも孤独ですよね。
そんなこどもたちにオンライン授業ができたら、孤独が和らぐんじゃないかな。

学校では授業以外の、学校でしか得られないものがあります。
オンライン授業で救われるこどもたちがいるのも事実です。
どちらもうまく共存してほしい。学びのかたちは多ければ多いほどいい。

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