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「シーライオニング」漫画を読んだら、悪役のアシカさんが在日にしか見えず、悲しくなりました

note初心者として、本当はユルい記事をたくさん書いて好感度を集めたい。平和に生きたい。小さな日常を幸せに過ごしたい。家賃をカバーできる不労所得がほしい。コロナが収束したらもういちどTinderをやりたい。部屋にウォーターサーバーがほしい。温泉に入りたい。アムステルダムに行って植物鑑賞を楽しみたい。ポジティブなエナジーを分かち合いたい。

のは山々なんですが、むしろ忖度なく書くためにわざわざペンネームでペルソナを作ったということを忘れないためにも、最初からぶっとばし気味で行こうと思います。
できればふざけていたいのだけど、「でも世の中ふざけるな」という気持ちを自分の中に閉じ込めると、ふざけていても目が淀んでるみたいなトランス状態になってしまいますからね。こっちは澄んだ目でふざけて生きるためのリハビリとして書いとんじゃ!比例は公明!って感じです。


さて、不要な前置きを失礼しました。ここからは「ですます」調は省きます。

「シーライオニング」という新語

「シーライオニング」と言う舶来語が流行っている、あるいは物議を醸しているらしいことを知った。
twitterの観測範囲内で、この言葉を見かけることが、ここ最近増えた。この言葉はなんだろう?と思った。ただ、すでに指摘している人もいたが、シンガポールのランドマーク「マーライオン」に関係する何かで十中八九間違い無いだろうと最初は思った。

しかし、使われている文脈をパラパラと眺めていても、いまいちどういう現象を指す単語なのかしっくり来なかった。
そこで、検索して元を辿ったところ、以下の英語漫画が語源となっていることがわかった。

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LAの漫画家デヴィッド・マルキという人が2014年に発表したウェブコミックだそうだ。この漫画をもとに、英語圏ではある種のミームとしてずいぶん前から使われていたようだ。

漫画に出てくるアシカ(シーライオン,SEA LION)のように、「根拠を出してください」などと質問しながら、しつこく他人に絡み続けることを「シーライオニング」Sealioningと呼ぶ、ということ。


最初、英語圏ではどんな文脈で使われていたのだろう?
少なくとも今の日本語twitter空間では、主にフェミニズムの文脈から、この行為を批判的に捉えたムードで使われている新語・流行語とお見受けする。

・「セクシュアルハラスメント」(「セクハラ」として定着)
・「マンスプレイニング」(男性が女性に偉そうな説明口調で接すること)
・「トーンポリシング」(本質じゃなくて言い方の問題にすり替えること)

などに続く、「あの現象に海外で名前がつきました」系の輸入ことばとしてちょっとずつ受け入れられているようなのだが。

元ネタ漫画の翻訳版を読んでみると

この漫画は日本語で読める。次の図が、twitterで出回っている日本語訳版だ。見た限り「あんな」さんというアルファツイッタラーが先月、有志として翻訳して投稿後、シーライオニングというミームとともに拡散されている。

「あんな」さんは日英ネイティブスピーカーだそうだ。僕はネイティブ的な英語感覚は全くないので、ちょっとよくわからないのだが、なんとなくセリフのトーンが変わって・・・いるよ・・・うな・・・まぁよくわからないけど。

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「アシカは無理」と言っている女性に対して、アシカが絡んでいき、延々と質問し続ける様子がよくわかる。女性はほとんどアシカと目を合わさず、最後には「あっち行って!」と言っている。
みなさんはこの漫画を読んで何を感じるだろうか。やっぱりこういうウザ絡みは最低だ、と感じるのだろうか。あるいは、この女性が自己中心的だ、と真逆の反応をするだろうか。

僕にはこう見えた

なんであれ、しかし。

実際のところ、僕には、この漫画は、下図のように見えた。
このようにしか見えなかった。
僕の見えた通りに改変したのが次に掲載する図だ。作者のデヴィッド・マルキさんには大変恐縮だが、アシカのイラストも差し替えさせてもらった。

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僕にはシーライオン(アシカ)さんが、どうにも、在日コリアンにしか見えなかったのだ。なぜだか知らないが、もう最初からそうとしか受け取れなかった。
在日コリアンが、”普通の日本人”によって公然と語られる差別的言説に触れてしまい、
存在を否定された怒りや悲しみを内面に押し殺し、グッとこらえつつ、
あくまで節度を失わないようにと涙ぐましい努力をし、
相手が観念するまで粘って絡み続け、なおも罵倒されて「消えろ」とか言われるという、
めっちゃ悲しい様子にしか思えなかった。


はい。言っておくが、僕は在日韓国人4世だ。

シーライオンに何かを仮託する人々に対抗し、在日に何かを仮託して代弁させようとしているわけですらない。
単に、自分ごととして、この漫画はこのようにしか見えなかったのだ。

「作家が書くことができるのは、たった一つのものだけだ…書く瞬間に、自分の感覚の目の前にあるもの。私は記録する道具だ…」

とか言いながら、超現実的な変態ジャンキー悪徳小説を書きまくっていたのはウィリアム・S・バロウズだが、僕もそんな気分になったので、自分の感覚の目の前にあった通りに漫画を改変してしまったことを、お許し願いたい。

悲しみが足りないから、世界は良くならない

そして、この改変版を作って改めて思ったのだが、全体的に悲しすぎるよ。

みんなはこの漫画のアシカを見て、普通に悲しくならないのだろうか。


「悲しみが足りないから 世界はよくならない」とジャン・リュック・ゴダール監督が去年、銀座の映画館で、スクリーンの向こうから言っていた。その通りだと思った。


しかしtwitter世論を見るにつけ、このアシカを見ても全く悲しくならない人が、どうもたくさんいるみたいなのだ。

そりゃ何も良くならないわ…と思ってしまう。


このnoteは当初の下書き段階では、ここから後に、悲しみや怒りに任せた長文、おどろおどろしい地下活動のマニフェストなどを書いていたのだけど、掲載しないでおく。


もう断絶とか分断とかいうレベルじゃなくて……わかりますよね?わからない場合は……この先は言う必要ないですよね。ということで

みなまで語るまい。

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