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「大黒柱バイアス」からの解放に向けて

男性は家族のためにずっと外に出て働くのが当然。女性は家事や育児を中心に男性をサポートするのが当たり前。こんな昭和的な価値観が急速に揺らぎつつあります。

そもそも男性と女性とは生まれながらにまったく異なる属性を持つ生き物だという考え方と、そもそもは男性も女性も大した違いがないけれども子育てや教育の中で「男らしさ」「女らしさ」が刷り込まれていくという考え方があります。それ以前にジェンダーには揺らぎが幅があるのが通常という考え方もあり、いずれにしても複眼的なとらえ方や理解が必要なのは間違いないようです。

そんな中にあって、男性は社会に出たら定年まで働き続けて家族を養わなければならないという考え方は、現在でも根強いといえます。久しく女性の社会進出が叫ばれ、今では妻がフルタイムで働くダブルインカム家族が主流になりつつあります。育児介護休業法の改正の影響もあって、いわゆるイクメンもじわじわと社会に浸透しつつあります。

しかし、男性が主な稼ぎ手として家計を支えなければならないという発想は、「最後の砦」かのごとく現在においても支配的なようにみえます。

複業研究家の西村創一朗さんは、このような日本社会の現状を「大黒柱バイアス」と呼んで警鐘を鳴らされています。西村さんによれば、「男たるもの、一家の大黒柱として主たる収入を稼ぐべし」という価値観はあくまで実態のない偏見に過ぎないといいます。本来は家庭生活には夫の力が必要であり、妻も協力して家計を支えるべきなのに、「大黒柱バイアス」という呪縛から解放されないために、男女ともに不満や不効率や生きづらさに苛まれているのです。



「大黒柱バイアス」がいかに根拠のない偏見に過ぎないかということは、実際の家計のシミュレーションを見ても一目瞭然です。日本における会社員の平均年収は、男性約540万円、女性約296万円です。仮に、平均的な夫婦の年収を合算すると、540万円+296万円=836万円だとします。

これを夫のみが稼いで妻は専業主婦をしていたとすると、税金や社会保険料を控除した手取りは約638.8万円です。そうではなくて、夫540万円、妻296万円の共働きだとすると、合算の手取りは約664.6万円となり、共働きの方が約25.8万円手取りが増えることになります。この傾向は、合算した年収が同じでも夫婦ともにフルタイム働くことで所得が接近するほど、強まることになります。

もちろん生計を成り立たせるための収入は家族が生活する上での重要な要素のひとつに過ぎませんが、仮に年間25万円程度であったとしても実質的に可処分所得が増えることに魅力を感じる人は少なくないと思います。ある意味では、夫が頑張って「大黒柱」役を務めることは、日本の税制や社会保険制度の上ではダイレクトにリターンが得られるとは言い難いのです。



さらに私が本質的な問題だと思うのは、男性と女性とがそもそも違う生き物であることを前提とする「大黒柱バイアス」は、収入や家計面の影響以上に、夫と妻のそれぞれの生活設計やキャリア設計に致命的な縛りをかけてしまうことで、事実上、男性も女性も「生きづらい」世の中になってしまっているという現実です。

国の働き方改革によって「同一労働同一賃金」を目指す法律が施行されていますが、これはそもそも男性と女性との間の賃金格差が国際的に見ても深刻な水準であることへの危機感からスタートしたものでした。この理念は徐々に浸透しつつあるといえますが、コロナ禍の非正規雇用への影響は正社員以上に深刻であったため、いまだ男女格差が目に見えて改善の方法に向かっているとはいえないのが現実です。

そもそも、夫がフルタイムで継続して働き続けキャリアを築いていく上では、妻がほぼすべての家事と育児を負担するという姿をほぼ暗黙裡のルールとして前提としていたといえます。国のイクメン推進などによって夫の育児や家事への参加も少しずつ促進されつつありますが、現実問題としては妻が出産後もキャリアを重ねて出世していくというルートは険し過ぎる道であり、完全ダブルインカム夫婦か祖母などが一手に育児を受け持ってくれるような事情がないと、なかなか実現しない選択肢だといえます。

一方で、夫はいうとフルタイムで長期雇用されることによって相対的には高い収入と地位を手にすることができますが、その代償としてごく一部の例外を除いて社会に出てから定年まで脇目も触れずに仕事をするだけの生活という「一本道の人生」しか経験することができません。もちろん「それでいい」という人は問題ありませんが、多様性が叫ばれる時代の中で事実上一つの選択肢しかないことへの空しさや閉塞感も強まりつつあるといえます。

男性が手にする相対的に高い収入はあくまで家族を養うためのものであり、基本彼自身が自由にぜいたくをできる趣旨のものではありません。また、彼が職場で手にするステータスはあくまで家族を養う収入を得るための手段に過ぎないことがほとんどであり、転職や定年によってその職場を去ると事実上は何らの意味を伴わなくなります。



男性が夫として父として「一本道の人生」を歩むことには、さまざまな副作用を伴います。それにはさまざまなものがありますが、もっぱら稼得能力のみを期待されて突き進むことの弊害として、金銭的なメリットのない分野について無関心で無頓着となり、利害打算を離れた人間的なつながりや育みが希薄になるといったことが挙げられるでしょう。本来は輝かしい役割分担であるはずの夫婦関係が、お互いに共通のバックボーンを持てないことによりすれ違い、さらには軋轢や対立を生むのだとしたら、いったい何のための役割分担だったのか分からなくなるというものです。

男性がもっぱら男性としての古典的な役割意識のみに集約して突き進んでいくと、その反射効果として女性が男性社会の外側に配置され、仕組みとして女性が差別される構造に置かれます。このことは、世界における数多くの戦争の歴史や、男性による多くの統治制度の変遷によって、証明されているといえます。私たちは、男性が「頑張る」ことによって、女性が差別されるという原始的な構図から、そろそろ完全に決別する智慧と勇気を持ちたいものです。

「大黒柱バイアス」は単なる偏見です。それは、男性たちが戦争をやっていた時代の意識や社会構造の残像に過ぎません。もはや、それにこだわることにメリットはないどころか、無意識のうちに認知や行動に影響をもたらすことで、結果として女性も男性も苦しめられ、本来の自由な人生を手にできなくなる可能性が高まります。男性とか女性とかといった偏見に必要以上にとらわれることなく、誰もが意思と希望と能力に基づいて溌剌と活躍できる時代を目指していきたいものです。


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SDGsへの向き合い方

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。