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国際女性デーに思う、男女の役割意識の現在と過去。

今日3月8日は、「国際女性デー」です。1904年3月8日にニューヨークで女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こしたことが発端であり、1920年にコペンハーゲンで開催された国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日が提唱されたといいます。

そのようなこともあって世界でさまざまなセレモニーなどが開催され、女性差別を解消して男性と平等に活躍できる社会に向けたメッセージが送られています。しかし、そのような世界各国での努力の傍ら、仕事や教育などをめぐる意識についてはいまだ女性に対する偏見が根強いことが知られます。



3月5日に国連開発計画(UNDP)が発表した世界75か国の調査結果によると、約88%の人が女性に何らかの偏見を持っており、特に仕事や教育、政治参加などの面で女性に偏見を持つのは、男性91%、女性86%に上ります。

同調査結果によると日本で女性に何らかの偏見を持つ人の割合はG7各国(調査対象外のイタリアを除く)で最も高く、国際的にも男女間の格差の解消が遅れていることが問題視されています。



平成を経て令和の時代になって、かつてのような古典的な“男女観”は徐々に影をひそめつつありますが、それでも昭和の“戦後教育”を受けた世代の人の奥底にはまだまだ“男性中心”社会の固定観念が色濃く残っており、ジェンダーギャップもさることながらジェネレーションギャップが大きいと思います。

昭和の時代に生まれ、その時代に教育を受けた人は(もちろんどの時期かによって内容はかなり異なりますが)、子どもの頃から「男の子は将来一家の大黒柱となって家計を支える」「女の子は将来結婚したら主婦として家事を担う」ことが期待され、暗黙のうちにもそうした人生設計に疑う余地がないことを前提として、人生を歩んできたものです。

ところが、かつてはほとんどの人が疑うことがなかった「男性=仕事」「女性=家庭」という役割分担は、そもそも日本古来から普遍の構図だったわけでも何でもありません。


例えば、江戸時代の農家や商家の研究も盛んになってきていますが、いずれも女性はコミュニティーにおける重要な働き手であって、男性とともに力を合わせて稼得労働に身を置いていたことが知られます。

私たちは無意識のうちに、「むかしむかし 、おじいさんは山へ柴刈りに 、おばあさんは川へ洗濯に・・・」という桃太郎の逸話の世界観が“日本古来の伝統”だと考えがちですが、それは文字どおり“おとぎ話”であり、歴史的な事実ではありません。

少なくとも平均的な日本の家庭には、“専業主婦”は存在しませんでした。例外としては上級武士や公家の妻が想定されますが、それらの家には当然ながら身の回りの世話をする奉公人が存在しましたから、“奥方様”は文字どおり奥向きの統括の役割を担う、家政機関の長とも呼ぶべき存在でした。



明治以降の富国強兵、殖産興業の時代の中で、「夫が外で働き、妻は家事や育児を担う」という政策誘導が行われ、いわば人為的に“専業主婦”というカテゴリーが作り上げられたというのが、現実だと考えられます。

その後の終戦、そして戦後の高度成長期には企業戦士を支える存在として“専業主婦”が大きな力を発揮しますが、それは必然による結果というよりはむしろ歴史の偶然の積み重ねともいうべき流れだったと評価されます。

時代は平成を経て令和へ。男女の役割分担や役割意識は、文字どおり大きく変貌したといえます。それはただ変化したというよりは、ある意味ありのままの姿に回帰したという部分もあるように思います。



日本はジェンダーギャップランキングでも、例年のように先進国で最下位を更新しています。国際女性デーの日。未来志向で「男女の役割意識の現在と過去」について冷静に振り返る機会にしたいものです。



学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。