ジェンダーギャップ指数をめぐる議論について。

先日、世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ指数」について、私の意見をnoteに書きました。

日本は120位に位置づけられ、先進国の中で最も低い順位ですが、国連開発計画・人間開発報告書の「ジェンダー不平等指数」なども考慮するならば、必ずしも一面的に女性の社会的地位が低いとはいいきれないのでは・・・

戦後のライフスタイルの変化や男女の服飾文化の変遷なども紹介して、今日的なジェンダー間の矛盾や問題について、少し考えを述べました。

そんな中、雑誌『WiLL』6月号(ワック出版局)でジェンダーギャップ指数について正面から論じられた論考が発表されました。

橋本琴絵氏「朝日『男女平等 日本120位』の怪しげな根拠」

ややセンセーショナルなタイトルですが、ジェンダーギャップ指数をめぐるメディアの対応の問題点やジェンダー差別をめぐる最近の論点について丁寧に整理されているので、少し触れてみたいと思います。



スイスを拠点とする一つの非営利団体に過ぎない世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ指数」について大手メディアや政治家などがこぞって「日本の女性差別」の現状が端的に示された統計だとみなす行き過ぎについては、橋本氏の指摘される通りだと思います。

日本よりはるかに上位のエスワティニ王国における目を覆うべき女性差別や中国における特定民族の女性に対する強制労働などの現状などに触れて、ジェンダーギャップ指数を一面的に評価することに懸念されている点も、分かりやすい問題提起であり、率直に頷けます。

さらに、オリンピック聖火リレーについて愛知県内に女人禁制の区間があったことが問題視され、組織委員会からも公式コメントが発表された出来事について、そもそも聖火の元であるギリシャのオリンピアでは男子禁制の伝統において採火儀式を行っているという指摘は、痛快なまでに正鵠を得ていると思います。

これらの指摘は、いずれもジェンダーギャップ指数を過剰に評価することの矛盾や問題点を分かりやすく示しているといえるでしょう。



その上で、氏は女性の権利と同様に「男性差別」についても問題視する必要があると主張します。

離婚時に母親が子どもを連れ去るのは合法で、父親が連れ去るのは犯罪(判例法理上)という矛盾について、国際結婚の増加で国際問題にも発展しているという現状。

これは世界的には父親の子どもに対する権利の制約にほかならず、北朝鮮による拉致事件と同様に各国政府から非難されるケースもあるといいます。

子育てにおける女性優遇思想が、「男性差別」に結びついているという見立ては、子育ての現場や離婚時の人間模様などをみるかぎりでは、日本社会の矛盾の一断面だということができるでしょう。



ただ、橋本氏の意見に首肯できない点もあります。

それは、「内助の功」こそが日本の伝統文化であり、「男性の労働を精神的かつ物理的に支援するのが日本人女性の役割」だと断言している点です。

氏は、女性が専業主婦としての生き方ができなくなることで、「旧ソ連型」の社会の建設に向かう恐怖を覚えるとまでいいます。

しかし、この見解は受け止め方によっては従来女性が日本の雇用環境の中で抱えてきた矛盾や差別を解消に向かわせる努力に水を差すものであり、逆に「専業主婦神話」が再来する懸念もあります。

氏は、このように指摘されます。

日本人女性が本当に「会社経営」をしたいと切に願っているのか、それとも会社経営をする夫を支えたいと願っているのかといった意思確認をすることなく、女性を労働させることを先進的であると錯誤したまま社会の舵取りをすれば、重大な問題が起きる。いや、それはすでに起きている。

そもそも「会社経営」をしたいかどうかは、男女差というよりは、まさにその人本人の資質や適性、意思などに左右されるというべきであり、運命的なものも含めて、属人的な個体差によると考えるのが妥当でしょう。

男性だから会社経営が向いているというわけではなく、従来の日本社会では、圧倒的に多数派の男性はサラリーマンとして雇用されることで生計を立てる道を選択しました。

起業家の比率が相対的に少ない日本では、世襲において事業承継した二代目、三代目の経営者が多いという事情もありますが、従来は男児に恵まれなかった経営者は「婿取り」や「養子」などによって後継者を迎える例も少なくありませんでした。

ところが昨今では、あえて男性を後継者に迎えるのではなく、実子である娘が後継者に座るという例も珍しくはありません。

私は仕事がら経営者からさまざまな相談を受けますが、「婿取り」のつもりで娘が結婚したものの、「婿」ではなくあくまで娘が後継者に名乗りを挙げるという例が、業種業態を問わずに増えていると感じます。

娘その人の意思で経営者を目指すのであれば望ましいことでしょうし、何より実の子どもである娘が継いでくれたらそれに越したことがないというのが、包み隠さぬ親心というべきでしょう。

従来、「女性」であることを理由に、同じ子でありながら差別され、その意思や能力に関わらず、事実上排除されてきた社会のあり方の方が深刻だと思います。



橋本氏は、女性の特有能力と男性の特有能力は違うと力説されます。

女性の特有能力は、助産師の仕事のような出産におけるきめ細かな観察力や対応力。だから、日本では助産師資格は女性しかなれない。

逆に、射撃において動く飛行機に命中させる偏差射撃をしたり、株や為替などの投資で未来予想をして巨万の富を築くのは、男性の特有能力。

たしかに、一般的な蓋然性は高いような気はしますが、やはり最終的には「個体差」による部分が大きいのではないかと思います。

氏は、「男は外で働き女は家で」という価値観は神武天皇以来の歴史と伝統に基づく「経験則」だといわれます。

しかし、それでは説明がつかない日本史上の偉大な女性は数多く存在しますし、近代以降、深刻な社会的差別と人生を賭けて格闘しながら、涙ぐましい努力で権利を手にしてきた偉大な女性たちにあまりに失礼だと思います。



カントの『純粋理性批判』から、「女性は知性に優れ知性に劣る」「男性は理性に優れ知性に劣る」と導く見立ても、なるほどとは思うものの今日のような多様性の時代に根を下ろすだけの普遍性まではなく、やはり「個体差」による例外や反証は少なくない気がします。

さらに氏は、末尾において、エドマンド・バーグの『フランス革命の省察』の一節から、男女の特性を尊重した連続性を重視した社会の発展を説かれます。

この点も一般論としては首肯できるものの、同時に多様性と向き合うことが社会のあり方として具体的に広範に求められている私たちの未来への見取り図は、保守主義の枠組みで語るにしてもかなり複雑な様相を呈していると思えてならないです。

橋本氏の問題提起に真摯に学びつつ、「ジェンダーギャップ指数」をめぐるさまざまなテーマについて、積極的かつ前向きに意見交換していきたいものですね。

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。